前へ次へ
7/166

変態との対峙

 意味が分からない。

 由希は一人、揺られる電車の中で思った。 

 大之助に二駅離れたところまでおつかいに行ってほしいと頼まれたその帰り、満員だった車内に体を滑りこませたまではよかった。

 問題はそれからだった。

 遠く離れていく風景を眺めていたとき、ぴたりと体が密着したかと思ったときにはすでに遅く、由希の太ももに手が添えられていた。

 当然のようにそこにいる手は由希の太ももの太さをたしかめるように撫でては、わしづかむ。


「気持ち悪い」


 ぽろりとこぼす。

 その手から逃れようと身を揺すった。

 一度離れた手だったが右肩を引かれたと思った瞬間、体を扉のほうへ押しつけられた。 感じた圧迫感に息をつまらせた由希。

 苦しいと口を開こうとした、そのとき。 ぴたり、と。

 がたがたと激しい音をたてて走っていた電車は突然、動かなくなった。 先ほどまで風のように過ぎ去っていた風景も動かない。

 事故でも起きて止まったのだろうかと由希は思うも、先ほどまで新聞を開いていた男の指が動かない。 携帯電話をいじっていた高校生の体も動かない。

 

「…… 止まった」


 時が止まった。 

 由希はそう感じた。 動かない、音がしない静かな世界に残された自分にどうしてと振り返る前に尻を撫でられてひぃと情けない声をもらした。


「すごいだろ」


 耳元でささやく声が聞こえた。 

 撫でる手を止めることなく、声の主は由希を背後から抱きしめる。 その腕は茶色の毛がびっしりと生えていた。 唯一、指のところだけ毛が生えておらずそこだけは人のように感じた。


「こうすれば、いろいろと楽しめる」


 由希の頬をねっとりとした男の舌がなぞった。 身を震わせた由希におかまいなしと男は由希の上着の中へと手を滑りこませる。 


「あぁ、やはり人の肌はなめらかでいい。 触っていて飽きがない」


 一人、歓喜の声をもらす男は離れようとする由希を逃さないと言わんばかりに体を密着させた。

 扉と男に挟まれて苦しそうに息を吐きだした少年の姿に男はにんまりと笑う。


「あんたも興奮するんじゃないのか。 時が止まっているとはいえ、こんな大勢の前で」


 耳元でささやきながら、男は由希のズボンに手を滑りこまると下着ごしに由希自身に触れる。


「いっそ、あんたがイッた直後に解除しようか? いい声で鳴いてくれるだろう。 そうしたら、周りも黙っていない」

「悪趣味」


 由希の絞りだした言葉に男は笑った。

 握りしめた由希自身に愛撫を繰り返す男の腕をつかむも、力ではかなわないと悟った由希は男の足を力いっぱい踏みつけた。


「いってぇ」


 男は声をもらすと由希から離れた。

 息の荒い由希の姿を一度だけ見て男は指を鳴らした。 鳴らしたと同時に電車が音をたてて動きだす。

 止まっていた男の指が新聞紙の次を開き、携帯電話をいじっていた高校生の笑い声が聞こえた。


「なんだったんだ、一体」


 つぶやいたと同時に次はというアナウンスが響いた。 あぁたどり着いたと安堵の息をもらした由希は停まった電車から降りる。

 改札をくぐったとき


「にゃあ」


 由希の帰りを待っていた黒猫が入り口に座っていた。 そばによってきた由希の右足に尾を絡ませて体を擦りつける。

 なでてともう一度、にゃあと鳴く黒猫の頭を撫でると黒猫はごろごろと喉を鳴らした。


「お迎え、ありがとう。 大之助さんに報告して今日は帰ろう」


 痴漢されたこともあり、疲れていた由希は帰りたいとぼやきつつ先を歩く黒猫についていく。 尾を右に左に動かし、あまつさえ体も左右に揺らしながら歩く黒猫の機嫌はいいようだ。

 ときおり由希へと視線を送ってにゃあと鳴いた。


 店に戻ると縁側で日向ぼっこをしていた大之助と遭遇した。 軽くうたた寝をしている、というわけではなく由希が近づいてもぴくりとも動かない大之助の姿に爆睡していると気がつく。


 人にはおつかいに行かせておいて己はのんびりと昼寝をしている大之助の姿にいらだちを覚えた由希はぶらりとぶら下がった大之助の尾をつかむ。


「起きてください」


 それに、由希は噛みついた。


「ぴぎゃっ」


 突如、尾に感じた鋭い痛みに声をあげて飛び起きた大之助。 その姿に由希はこらえきれず声にだして笑った。

 何事だと辺りを見渡す大之助は先ほどの痛みの正体が由希にあると知ると顔をしかめて由希をそばに引き寄せる。


「痛いんだけど」

「人におつかい頼んでおいて寝ているほうが悪いと思いますけどね」


 大之助の尾から手を離した。

 噛まれたところを撫でる大之助を横目に見て由希は立ち上がったと同時にぱちんと耳元で音が響き渡る。

 先ほどまで響いていた木々のざわめきも、大之助の痛いというつぶやきも耳に入ってこない。

 黒猫も座ったまま微動だせず。


「これって」


 由希が疑問をもったとき、口を塞がれた。 それは先ほど電車で見た茶色の手で。


「なるほど、あんたはここにいるのか」


 さきほど聞いた声が由希の耳に入りこみ、それと同時に耳を這う男のねっとりとした舌に由希は目を細めた。 


 電車から降りた由希をつけてきた男。 一度、電車の中で由希を解放したのは後をつけるためだったのかと由希は舌を打った。


「やっぱり、あんたはいいな。 柔らかくて、気持ちがいい」


 飽きないという男に由希は嫌悪した。 


「そいつはあんたの男か? まさか化け猫の男がいるとはな」


 男は由希の上着を脱がすと固まったままの大之助へと押しつけた。 


「ちょうどいい、その男の目の前でさっきの続きをしようか」


 由希のズボンを引きずり下ろした男に由希は爪をたてるも男はにんまりと笑い、由希の後頭部をつかむとうっすらと開く唇に己を重ねる。

 そのときになって初めて男の顔が人ではない、狼の顔をしていることに気がついた。


 口を吸うというよりも噛みつくと表現していいような荒い口づけに由希は男の肩を叩く。 解放された口から咳きこむ由希の息遣いに男はもう一度、食らいついた。

 のどの奥深くまで浸食してくる男に由希は何度も肩を叩いて離れるように促す。 


「そんな邪険にするなよ、よくしてやるって」


 男がやっと由希を解放したとき、由希は膝をついた。

 息苦しさに肩で息継ぎを繰り返す由希の姿に男は笑う。


「ずいぶんと生娘みたいにかわいい反応だな。 慣れているだろう、人ならば」


 膝をつく由希を強引に引き起こすと固まったまま動かない大之助の上に押しつけた。

 必然的に大之助にしがみつく体勢をとらされると剥きだしになった太ももをなぞり、反対の手は由希の頬に触れた。


「慣れるわけない」

「人のくせに初めてだと? 冗談がすぎる。 おおかたその男をいつもくわえているのだろう」


 さらりとちょっとそこまでというくらいに下の話を吐きだす男に由希はひどく嫌悪した。

 気持ちが悪いと顔をしかめた由希の頬をつかんだ男は目の前にいる固まった男の顔を上げる。 由希の目には無表情のまま固まった男の顔が映った。



前へ次へ目次