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猫まみれ再び

 あとの祭り、とはよくできた言葉。

 その言葉を身に染みて由希は実感していた。 


「ごろにゃあご」


 甘い声をもらしながら、己の体に身を擦りつけてくる猫たちの姿に由希はため息をこぼした。 それも一匹二匹の問題ではない。

 にゃあと鳴きながら十匹に近いさまざまな毛並をもった猫たちが由希に体を擦りつけていたのだ。 


「大之助さんのばか」

「ごめんって、まさか由希が来るとは思わなかったから」


 そんな由希の姿に大之助は申し訳ないと由希のそばにやってきた。 

 由希がいたのは店の台所からでたすぐの廊下。 店をほったらかしにしていた大之助を呼びに台所の扉を開いたとき、ある粉が宙を舞った。

 においはしなかったものの、それを頭からかぶってしまった由希を狙って猫たちがよってきてしまったのだ。


「またたびクッキーを作っていたものだから」


 と言いつつも大之助の喉もごろごろと聞こえるほどに音が鳴っていた。 


「なんか喉がごろごろ鳴っているのが聞こえるのですが」

「うん、だって」


 といいつつ、大之助は由希を懐にしまいこんだ。 ぐりぐりとにおいをつけようと体を擦りつけてくる猫のように由希を抱きしめた大之助。

 そして甘ったるい声でにゃあと鳴いた。 


「大之助さんってそんな声がだせるんだ」


 初めて聞いたと口を開いた由希の唇に大之助は食らいつく。 強引に乱入してくる大之助の舌に目を細めた由希はなんとか離れようとするも足元にまとわりつく猫たちも相まって離れることもできない。

 腰に回された腕は強くなるばかり。 息苦しさと男の力強さに由希は顔をしかめた。 一度、由希の唇から離れた大之助はにゃあと鳴く。

 それにつられて、由希たちの周りにいた猫たちも各々でにゃあと鳴いた。 家の中に響くにゃあと鳴く猫たちの声に由希がどうしたものかとため息をこぼしたとき、すみませんという声が店の中に響いた。


「大之助さん、お客さんがきたよ」

「んぅ…… あとでいいよ」

「いいわけないでしょ! 」


 にゃあと鳴く大之助と猫たちを追い払うも大之助は由希の腰から腕を離そうとはしない。  なんとか離れようとするも大之助はまるでただの猫に戻ったかのように鳴くことしかせず、由希を抱きしめる腕に力がこもる。


「大之助さん、お客さんが帰っちゃうってば」

「楽しそうでなによりだな」


 声と共に部屋の中に現れたのは右手にお店のお菓子を持った猫又の男。 大之助と昔からの仲だと言っていたあの体格のいい。

 男はくんと鼻を動かして、なあと鳴いた。 それはまるで三つカラスのように低く、鼓膜の奥深くまでその声は侵入してくる。


「なんだ、ちょうど作っていたのか」


 男はにんまりと笑った。 気がつくと足元にいた猫たちは由希たちから離れて男の周りをぐるぐると回り、なあと鳴く。


 由希を大之助から分捕った男はもう一度、なぁと鳴く。 由希にほおずりをして髪に指を絡ませる。 くすぐったさに目を細めた由希をよそに男はごろごろと喉を鳴らしてなぁと鳴く。


「そういえば黒猫は」

「にゃあ」


 黒猫を呼ぶとどこからともなくにゃあと鳴く声が聞こえた。 しがみつく男の顔を押してもう一度呼ぶと、にゃあと返ってくる。


「助けて」


 由希の声に反応して黒猫は足元の周りをぐるりと回ってにゃあと鳴いて、そして由希にしがみついていた男に体当たり。


 なあと鳴く男を壁の向こうまで飛ばした黒猫はもう一度鳴いて、由希に体を擦りつけた。


「なんなんだ、まったく」

「うーんぅ、またたびだからすっごい良い。 くらくらする」


 由希の頭を撫でながらなあと大之助は鳴く。 


「風呂に入って落としてこようかな」

「じゃあ一緒にいこうか」


 大之助の言葉に由希は遠慮と手を振って風呂場へと歩いていく。 猫たちは途中までついてきていたが由希が服を脱いでシャワーをだし始めるとすぐによってこなくなった。


「またたびのにおいってなんだろうか」


 シャワーの流れるなかで由希は己の腕のにおいをかぐ。 どんなにおいなのかわからずにかいだ己の腕からなにもにおいはせず、首をかしげた。

 風呂場からでた由希を待っていたのは惨劇と化した台所を掃除している大之助と、それを邪魔するように体を擦りつける黒猫の姿。

 そしてそれを面白そうに笑いながら猫たちに囲まれている男の姿があった。


「由希、上がった? なら片づけを手伝って」


 くしゃみをこぼしながら大之助は由希を手招きする。 さきほどまたたびをかけられているため、あまり近づきたくない由希がたじろいでいると猫に囲まれていた男が由希をそばに引き寄せた。

 あぐらを組んだ上に座らせて、頬に触れる。 


「お前はここにいろ」


 由希の腹に腕を回した男は少年の頭に何度も己の顔を擦りつける。 


「あいつのミスだから、あいつが一人で処理をするべきだろう」

「お前がまたたびクッキーが食いたいっていうからだろ、だから作っていたのに」


 由希をはさんで口論をはじめた二匹の姿にため息をこぼした由希はさてどうしたものかと台所に視線を戻すと、大之助の頭に飛び乗ろうと箪笥の上に立っている黒猫の姿が見える。


 黒猫はにゃあと鳴いた。


 そこから飛ぼうとしたとき、そばにあった茶筒がぽろりと転がり落ちてそれが大之助の頭に当たった。 中からこぼれた粉はすべて大之助の頭へと降りかかる。


「あっそれ」


 由希を抱える男の言葉にまさかと由希が呟いたと同時に


「なあ」


 群れと化した猫たちが大之助に襲いかかった。




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