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唐傘

 雨が降る。

 ぽつりぽつりと落ちてきていた滴が由希の制服に染みこんでいく。 最初は歩いていた由希だったが一歩進むたびに雨の力が強くなる。


「うわっ、強くなった」


 由希の声と共に雨は空からざあと降り注ぐ。 滝のように次から次へと降り注いでくる滴の塊たちに由希は目を細めた。

 朝までは雨が降るのかと疑いたくなるほど、雲一つない空の世界だったのにそれを保ってくれたのは四限にあった体育まで。

 昼食を食べてとしていたときに雲が現れて、そしていまに至る。

墨の言ったとおりに傘を持ってきておけばよかった、なんて後悔をしてもときすでに遅し。 降られる雨に身を震わせていると、道端にずぶ濡れとなった段ボール箱が無造作に置かれていた。

それになぜか傘がかけられている。


「なんだ、これ」


 傘の隙間から覗きこむと、にゃあとか細い声が聞こえた。 それは生まれて間もないきれいな真っ白の毛をもった子猫。 まだ目が開くか開かないかというところで寒さに震えながらにゃあと鳴いていた。


「酷い、一体誰が捨てたんだ」


 その白猫に触れようとしたとき、その手をなにかに振り払われた。 いまここにいるのは人である由希と身を震わせる真っ白な子猫と、その子猫に滴が当たらないように身を広げている傘だけ。


「なんだったんだ」


 もう一度、手を伸ばすとまたその手をはたかれた。

 子猫にはたかれたのだろうかと首をかしげたとき、さきほどまで身を広げたままだった傘がいきなり意思をもったようにぐるりと体を由希に向けた。

 その傘と目が合う。 あるはずのない傘の側面に一つの大きな瞳をつけた傘は不愉快だというように由希をにらみつけていた。

 本来手に持つ取っ手のところはなぜか人の足に変わっており、下駄を履いていた。


「うわっ、傘に目がある」


 傘は由希をにらみつけて、また子猫を守るように身を広げた。 触れさせないと瞳で訴える傘は子猫のそばに寄り添う。


「守っている、のか」


 もう一度、と手を伸ばそうとしたが傘ににらまれてその手は宙を舞った。

 その間にもにゃあと鳴く子猫の声が小さくなっていく。 震わせる小さな体も徐々にゆっくりとなっていくのが目にみてわかった。


「僕の知り合いにさ、猫又がいるんだけど白猫を診せたいから連れていってもいい? 」


 傘に問う。

 傘は不愉快だとあからさまに目を細めて由希をにらみつける。 いまにも由希に噛みつかんばかりに嫌悪感を現す傘に由希は一瞬たじろぐ。


「このままだと死んでしまう。 だから」


 お願いだという由希から視線を外して、傘は子猫を見つめた。 いまにも消えてしまいそうなほどか細い声で鳴く子猫に傘の瞳は揺れ


「絶対になんとかするから、お願い」


 由希はちらりと傘を見て、子猫に手を伸ばす。 今度は叩かれることはなかった。 制服の前を広げてそこに子猫をしまいこむ。 


「お前も、一緒に。 濡れている体を拭かないと」


 傘に声をかけると傘も由希をちらりと見て、ゆっくりと体を上下に動かす。 了承したのかうなずいたように見えた傘を確認して由希は走りだした。

 後ろを一度だけ見ると傘が、一本の足で由希の後を追ってきていた。 



「大之助さん、この子猫が! 」


 店は雨のせいか、いつも開いている入り口が閉まっていた。 水が嫌いな大之助がとっとと店じまいをしていまっていたせいだ。

 家の中に入ると黒猫とのんびり過ごしている大之助の姿があった。 晩御飯はなににしようか、にゃあという会話をしていた大之助に体当たりするように由希は飛びかかった。


「うぅん、由希ってば熱烈」

「バカなことを言っている場合ですか、この白猫が捨てられていて」


 懐から由希が白猫を取りだすと大之助はすぐに受け取った。 身を震わせる白猫の体を一度だけ舐めて黒猫を呼ぶ。


「風呂を沸かして。 早く温めないと。 それから子猫の食べるものも準備」


 大之助の言葉に黒猫は風呂へと駆けていく。 

 由希はというと着ていた制服を脱いでいた。 雨を含んですっかり重くなってしまった制服を絞るために風呂場に向かうと黒猫がちょうどお湯の蛇口をひねっているところ。

しかも器用に両手で。 そばに置いていた洗濯機に制服を押しこんだ。 しわがつくからしょうがないと一瞬だけ思ったが、どうしようもないかと己に言い聞かせて。


「一緒に入る? 」


 由希の後ろからついてきた傘は由希をちらりと見て、先に風呂場へと入っていく。 すべて脱いでから風呂に入ると傘が浴槽の中で一息ついていた。


「せっかくだから、体を洗おうか? 」


 由希の言葉に傘は浴槽からあがると由希に目がついているのとは反対側に向けて足を折り曲げた。 石鹸をつけたスポンジで体を洗っていると気持ちがいいのか由希によりかかってくる。


「冷たいな」


 いつから雨に打たれていたのか。 傘の体は氷よりも冷たく感じた。 傘を広げてひとつひとつ丁寧に洗っていく。 


「由希、俺も入るから」


 大之助の言葉と共に風呂場の扉が開かれた。 一糸まとわぬ姿で白猫を抱えた大之助は由希たちのそばをすり抜けて浴槽に入った。


「もう、大之助さん。 せめて前は隠してから風呂場にきてよ」


 由希の言葉に大之助は首をかしげた。 さもおかしいというように何度も目をまばたきさせて手元で小さく鳴き声をあげる白猫を眺める。


「なんで家の風呂に入っているのに、前を隠さなきゃいけないの? 」

「いや、一応、僕とか傘とかいますし」


 由希の言葉をあまり理解していない大之助は凍えて震える白猫を湯の中にゆっくりと沈める。 最初は濡れることに嫌がっていた白猫だったが徐々に温かくなっていく体に安堵したのか嫌がるのを止めてにゃあと鳴いた。


 反論する気も失せた由希は傘にお湯をかけた。 身を震わせて体を揺らした傘から飛んできた水しぶきにわっと声をもらすも、傘を浴槽へと誘った。


「そういえば、大之助さんは水が苦手なのにお風呂は大丈夫なんですか? 」

「だって、冷たくないもん」


 温かいのは好きだと付け加えてねぇと傘にふった。 傘はなにも言わずに湯の中に体を沈めてちらりとだけ由希を見る。

 由希はというとスポンジで己の体を洗っていく。 まさか雨に打たれるとは思っていなかった由希は最悪だとこぼした。


「由希、俺も洗って」

「スポンジを貸すので自分で洗ってください」

「いいいじゃんか、少しぐらい」


 白猫を抱えたまま浴槽からでてきた大之助は由希の前に座った。 洗ってと背を向ける大之助にため息をこぼしたとき、傘が浴槽からでた。


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