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目を覚ましたとき、由希の体はなにかに抱きしめられていた。
視線の先にいつもの見慣れた男の横顔が存在していた。
「辰美」
「起きた? もうちょっとゆっくりしていてもいいよ」
いまどこにいるのかと辺りを見渡すと、なぜか木の上にいた。 しかも学校からさほど離れていない場所に立つ一本の大木の上。
幸いにも歩いている者からは姿を確認されることはないが、降りるときに気をつけなければ簡単に命を落としてしまいかねないほど、高かった。
「なんでこんな高いところにいるの? 」
「いやぁ、景色がきれいかなって思って上ったんだ」
案の定、きれいだったという辰美の視線の先にあったのは小さく、けれどもたしかに存在していた小さな町並み。
きれいとつぶやいた由希に辰美は笑うと落ちそうになった由希を己の腕の中へと戻した。
「でも、なんでここに辰美がいるんだ」
「チャイムが鳴っても一向に来ない由希を心配して身に来たら、倒れそうになっていたから拾ってここに上ったの。 それで」
景色へと視線を送っていた辰美は由希へと視線を戻した。
なぜ倒れそうになっていたのかと問う辰美の言葉に由希はなにも言わずに、辰美の胸に顔を押しこんだ。 動物がなわばりを主張するため己のにおいを擦りつけるように由希は顔を何度も辰美の胸に擦りつける。
「なんか、においつけをされているみたい」
由希の頭を撫でる安心したように由希は辰美に体を預けた。
「怖い夢をみたんだ」
「怖い夢? 」
なんのと疑問を投げかけてくる辰美に言うべきだろうかと由希は悩んだ。
簡単に話してもいいような内容ではない、と口をつぐんでしまう。 そんな由希の姿を眺めていた辰美は由希の頭を撫でる。
「話したくないならいいけど」
由希は首を振って、辰美にしがみついた。
うっすらと、だが小刻みに震えている由希の体に辰美はなにも言わずに由希を抱きしめる。 それに安堵した由希は深く息継ぎを繰り返す。
「大和さんに、酷いことをされる夢を見たんだ。 嫌だっていっても大和さんは僕の名前を呼ぶだけでやめてくれないし」
「大和さんが? まさか、由希が嫌がるようなことを大和さんがするわけないじゃん」
それは辰美に言われなくても由希はわかっていた。
大和は絶対に由希が嫌がるようなことはしない。 わかってはいても、いざ大和を目の前にすると恐怖で拒んでしまった。
「わかってはいるよ。 でも怖くて今日の朝、大和さんに怖いって言っちゃったんだ」
申し訳ないとつぶやく由希の頭を撫でた辰美。
その心地よさに再び寝息をこぼし始めた由希を抱きしめつつ、辰美は前を向く。
「誰が、由希を悲しませているんだか」
瞳が赤に変わった。
※※※
「由希、お前、顔色が悪いけど大丈夫か? 」
次に由希が目を覚ましたのは学校の中にある保健室のベッドの中だった。 前もいろいろとあったときにここに寝かされていたことを思い出し、体を起こす。
由希を連れてきたはずの辰美はおらず、由希を心配して顔を覗きこんでいた人魚の子である担任は由希の額に触れた。
「特に熱はないな、辰美が倒れていたと言っていたから心配していた。 体がきつければ今日はもう帰るか? 親御さんに電話するぞ」
「大丈夫です。 墨に帰るなんて言ったらすごく心配すると思いますし、体もそこまできつくはないので」
由希の答えにならよかったと担任は由希の頭をなでて、保健室から出ていく。
担任の後ろ姿を見送って、由希はあくびをこぼす。 教室に戻ると、大丈夫かとクラスメートたちに声をかけられてうなずいた。
「由希が来ない、って辰美がすごく心配していたから。 またなにかに襲われたのかと思った」
笑いながら他人事のように語るクラスメートたちに人の気も知らないで、と由希は思いつつ口にはしなかった。
なんといっても心配をしていてくれたのは事実なのだから。
「大丈夫? 」
由希の机までやってきた辰美は由希の額に触れる。 しっとりと汗をかいてはいるものの、大丈夫だという由希にならいいかと机に戻った。
「授業を始めるぞ」
担任の言葉にクラスメートたちはそれぞれ己の机へと戻っていく。
由希も鞄から教科書をとりだしたとき、どこからか視線を感じて背筋がぞくりとしびれた。 どこから視線を送ってきているのかわからず辺りを見渡すもわからない。
「由希、どうした」
担任の言葉に首を左右に振った。
「由希」
学校が終わり、今日はアルバイトに行こうかどうしようかと校門をくぐったとき声をかけられた。
それが誰なのか、確認をしなくてもわかる。 毎日のように聞いているあの店主の声。 校門の壁によりかかったまま欠伸をこぼす大之助の姿に珍しいと駆け寄った。
「珍しいですね、大之助さん。 今日はなにか用事ですか? 」
駆け寄ってきた由希にかわいいと頭をなでつつ、大之助は右手に持っていた風呂敷を由希の目の前に差しだした。
開いてもいいという大之助の言葉に由希が風呂敷を開くと、そこには風呂敷いっぱいに包まれた苺があった。 どれも赤く、甘酸っぱいにおいを放ちながらその赤い実を寄せ合っている。