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「えっちょ、ちょっとまって」
突如として始まった二匹のやりとりに由希は目のやり場がないと大之助の服をひっぱった。 そんなことはおかまいなしに二匹はさらに体を重ね合う。
ただ幼女のように幼い体をした黒猫とそれに覆いかぶさる大人の男の姿をしたカラスのやりとりにまるで犯罪だと由希は大之助に顔を押しつけた。
「由希も混ざるなら混ざったら」
大之助は物騒なことをいう。
くっついていた由希を引き剥がすと大之助はなあと鳴く。 それに呼応してにゃあと鳴いた黒猫は由希のほうへ四つ足でよってくると由希に口づけた。
猫特有のざらりとした舌ざわりに由希は目を細めると黒猫は一度口を離して、もう一度にゃあと鳴く。
呼ばれたカラスが黒猫に触れるだけの口づけをすると、黒猫の前にいた由希に深く口づけた。 黒猫とは違う、まるで人のような舌使いに由希は離れようとするもカラスに腕をつかまれてのどの奥まで侵入を許した。
「カメラ、どこにあったかな」
「兄上、前にたんすの上に置いていると言っていませんでしたっけ」
青年の言葉にそうだったと立ち上がった大之助はいそいそと家の奥へと戻っていく。
そんな姿などおかまいなしに口づけていたカラスが由希を解放すると由希は下半身の力が抜けてその場に腰をついていた。
「言ってなかったが、そいつ、すっごい嫉妬深いから」
どういうことだと青年に視線を送ろうとしたがカラスに足を引かれて視線はカラスへと移されることになる。
「お前と黒猫が口づけたものだから、不機嫌だと」
それを早く言ってほしい。
由希は心の中で叫んだ。 明らかに敵意を向けてきたカラスの瞳の鋭さに息を飲んだ由希は逃げようと肩を押すもびくりとも反応を示さなかった。
それどころか近くなるカラスとの距離にどうしようかと黒猫に視線を送るも、飽きたのか猫の姿に戻り、体を丸くして欠伸をこぼしていた。
「助けて! 」
由希が助けを求めると仕方がないと青年はかぁと鳴いた。 それに呼応してカァと鳴いたカラスはもとの三つをもつカラスへと姿を変えて、黒猫に寄り添う。
「あ、もう終わったの? なんだ、せっかくカメラを持ってきたのに」
終息したあとにカメラを持ってきた大之助はつまらないとぼやきつつ、倒れたままだった由希を起こした。
「大之助さんのばか」
瞳に涙を浮かべた由希は大之助にばかと告げると、大之助の腕をふりほどいた。
「なんで俺が怒られるの」
「すべて兄上のせいだからだと思いますけども」
乱れた衣服を整えていると、黒猫が撫でてほしいと体を擦りつけてくる。 触れようと手を伸ばすも三つカラスがさせまいと黒猫をそばに引き寄せてぎょろりとその目を由希に向けてぎょろつかせた。
「そいつがいるときはうかつに触らないほうがいいよ。 油断すると目とかついてくるから」
「一度、視力をなくした奴がいたな」
あっけらかんと語る二人に由希は背筋が凍える思いをした。 もう一度、三つカラスに視線を送ると今度は三つカラスのくちばしが黒々と光っているように見えた。
獲物を狙い、牙を光らせる肉食獣の瞳のように。
「それにしても、久々にきたな大和。 母上どのは健在か」
大之助は青年の名を呼ぶ。 そこで初めて由希は青年の名を知った。 大和は二人の近くに腰を下ろすとため息をこぼして、答える。
「いつも通り、元気にしていますよ。 最近は父上がなかなか会いに来ないと嘆いているくらいで元気すぎるくらい」
それはよかったと大之助はそばに置いていたチョコレートを口に含んだ。 それは先ほど由希の口に放りこんだそれで。
「そういえば二人って種族が全く違いますよね。 大之助さんは猫で、えっと大和さんは」
なんだと由希が問う前に大和は由希の右腕を引きよせ、手のひらに口づけた。 ふっと息を吐きだすと同時に大和は翼を大きく開かせた。
店の中を覆いつくしてしまうほど大きい翼を羽ばたかせた大和は由希をまっすぐに見つめる。
「私は烏天狗の大和。 父に猫又、母に烏天狗をもつ妖怪だ」
大和が答えると三つカラスがカァとカラスらしからぬ低い声で鳴いて、翼を広げた。 それは八咫烏だという大和の声を聞いて。
体に三つ目をもったその妖怪はもう一度、大和に答えるように鳴くと翼を折りたたんで黒猫に寄り添った。
「そんで、俺が猫又。 俺が父親を、大和が母親の血を色濃く受け継いでいるのさ」
猫又だという大之助がなぁと鳴くとそれに呼応してにゃあと黒猫は鳴く。 いままで一本だと思っていた黒猫の尾が二つに分かれるとそれぞれ意思をもつようにぐねりと動き回る。
大之助はそれに己の尾を絡ませると由希の頬を撫でた。
「それで、兄上はこの人間をどうするつもりで手元に置いているのですか」
「だから、従業員として。 由希がここに来てからお客が増えているから助かっているの」
「こんな妖や妖怪たちに狙われやすい人間をそばに置いてなにをするつもりだか。 先ほども妖共に襲われていたのに」
大和の言葉にぴくりと大之助の右耳が動いた。
大和のそばにいた由希をそばまで引き寄せると、畳に倒した。 はだけていた由希の服からボタンがないことに大之助は初めて気がつく。
そして由希の体にうっすらと残る獣の跡。
「相変わらず、女でもないのに襲われること」
「そんなにも人が珍しいんですかね。 僕には理解できない」
首を左右に振った由希にそれはそうかと大之助は一人で納得すると、己の羽織っていた上着を由希にかぶせた。
「ここ数百年の間に人がほとんど衰退してしまえば、それも納得がいく。 なかなか見られない、それこそ希少価値の人が目の前にいればそれがたとえ男であっても捕まえたくなるってもの」
「最初は力を求めた武将たちが人ではない者と交じりはじめたのが始まりと言われる妖。 それが増えて、生粋の人がいなくなる。 私も生きた中で生粋の人を見たのはこの少年が初めてだ」
二人が真剣な顔をしていうものだから由希は目を離せなかった。 握りしめた大之助のぬくもりが残る上着を抱きしめたとき、由希はここに用事があったことを思い出す。
「忘れていた。 僕は墨になにか甘い物を買っていこうとしていたんだった」
「じゃあ、このチョコレートを持っていく? ついでに墨にも感想を聞かせてほしいと伝えてくれるならタダで持って行ってもらって構わない」
「本当ですか、助かります」
いそいそと、チョコレートを袋に詰める由希を見つめていた大和は己の着ていた制服を一度だけ見てすぐに由希へと戻す。
「お前って同じ学校なのか」
先ほど、由希は己の恰好をみて三年生だとつぶやいた。 それを覚えていた大和はチョコレートを詰め終えた由希に問う。
それにうなずいた由希にそうかと告げるとその場に立ち上がった。
「ならば明日から家に迎えに行く。 帰りも送っていく」
妖や妖怪に襲われてはひとたまりもない。
今回、由希が襲われるところみて大和はそう感じていた。
人はなんともろく、弱い者だろうかと。 抑えつけられ、抗うすべもなくただなすがままに蹂躙される姿に吐き気を覚えた。
たまたま己があの場所に足を運ばなければ目の前にいる少年はいまごろどうなっていたのだろうか。 答えは簡単だ。
あの獣どもに乱暴にされ、ぐちゃぐちゃにされて最後はそこに転がっていただろう。
男どもの手垢にまみれて。
「大和さん」
由希の声に大和は考えていたことを消した。
「それは申し訳ないです。 僕は一人でも大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないから、さきほどみたいなことになるのだろうが」
返す言葉がなくなった由希は押し黙ってしまう。
それに息を吐きだした大和は由希の頭を撫でた。 安堵の息をもらす由希の頭を数回撫でた大和はかぁと鳴いた。
それに答えてカァと返した三つカラスは名残惜しいと言わんばかりに黒猫に体を擦りつけて大和の肩に腰を下ろした。
「大之助さん、ありがとうございました」
「うん、また明日来てね。 また別の新作を作って待っているから」
手を振る大之助に頭を下げて二人と一匹は外にでた。
翼を広げた大和にしがみつくと先ほどと同じように大和は浮上した。 そして空高くまで舞い上がるとどこだと由希に問う。
「ここをまっすぐにお願いします」
由希が示した家までの道しるべに大和は翼を羽ばたかせた。
「遅かったじゃねぇか、由希ぃ」
由希を無事に家に送り届けた大和は明日も来るとだけ告げてさっさと飛び去ってしまった。 ただいまと入った家の中からは心配したと抱きしめてきた墨の姿があり、仕事は終わったのだろうと思った。
「いろいろとあったから、遅くなった。 大之助さんに新作のチョコレートをもらったから食べた感想が欲しいと言っていたよ」
「おう、そうか。 ご飯はもうできているから早く手を洗ってこい」
墨はそれだけを告げて部屋の中へと戻っていく。
手を洗った由希を待っていたのは、墨の好物だと言っていたグラタン。 まだかと目を輝かせる墨につい笑いそうになった由希だったが、ごめんと言うと自分の椅子に腰を下ろした。