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「ぎゃああああああ」


 二人の声がトンネルの中に響いたと同時に由希の体はなにかに引かれてトンネルの中から引きずり出されていた。 

 人の腕をしたそれは由希を胸の中に押しこむと口笛を吹く。 その音が聞こえたのかトンネルにいたカラスがそれの肩へと戻ってくる。 もちろん、くちばしを真っ赤に染めながら。


「あ、ありがとう、ございます」


 見上げた先にあったのはカラスよりも大きい漆黒の翼をもった一人の青年。 翼と同じように黒い髪と黒い瞳をもった、まるで暗闇を思い出すようなまっ黒の青年が由希をじっと見つめていた。

 一度、離してもらったところでその青年が由希の通う学校と同じ制服を身にまとっていることに気がつく。

 学年によって制服の首元につけられた校章はそれぞれ色が決められており、一年生である由希は赤色。 それに対して青年は緑色、すなわち二つ上の三年生を表していた。


「その色は学校の三年生」

「送っていく。 人が一人でいると物騒」


 青年は由希の脇に手をさしこむと由希を抱えたと同時に背中の翼を羽ばたかせた。 

 地面にべったりと貼りついていた足は重力に逆らうように離れると由希の体は青年と一緒に宙を飛んでいた。


「うわっ、飛んで」


 これまで飛行機ですら乗ったことのない由希は己の体が青年によって浮いていることが信じられなかった。


「家、どっち」

「すみません、送っていただけるのはありがたいですが僕は大之助さんのところに用がありまして」

 まだ家に帰られないとつぶやいた由希に青年はもう一度だけ目を細めた。 今度はなかなか戻らなかった。

「大之助? 」


 大之助という名前に反応を示した青年の姿に由希は首をかしげる。 知っているのだろうかと問おうとしたとき青年は急に方向転換をした。

 そして加速した青年に由希は悲鳴をあげた。


「下ろして!! 」


 青年が由希の悲鳴をものともせずに目的地にたどり着くと、その場で羽をたたんでしまった。 宙の上で羽をたたむということは、つまり。


「落ちる! 」


 加速しながら下へと落ちていく二人。 怖いと青年にしがみつく由希の頭をなでた青年は地面にぶつかる寸前で羽をもう一度広げてゆっくりと足をついた。


「心臓が凍えるかと思いました」


 青年の腕から下りた由希は見慣れた光景にあっと声をもらした。

 そこは大之助の店の中にある庭。 散歩をしていた黒猫が由希を見つけるとにゃあと鳴きながらそばにやってきた、はずだった。

 黒猫と三つカラスの目があったと同時に二匹はにらみ合い、鳴き合い、青年の腕からカラスが離れたと同時に始まった猫とカラスの乱闘。


「そいつら、仲がいいから」 


 それだけを告げると青年は我が物顔で店の中へと入っていく。 それにおいていかれないように背中を追った由希。 後ろでは獣同士の壮絶な争いが続いていた。


店の縁側でいつも通り熟睡していた大之助を見つけると青年はその腹部へと思い切り足を振り下ろした。


「大之助さん」


 突然の衝撃に咳きこんだ大之助をよそに青年はもう一度その腹に足を振り下ろした。


「起きろ、兄上」


 大之助に対して青年は兄上と呼んだ。 


「兄上? 」


 まさかの言葉に由希はえっと声をもらしていた。 大之助は痛む腹を抑えながら起き上ると目の前にいた青年の姿に久しぶりだとつぶやいた。


「こんにちは、大之助さん」


 その後ろから声をかけた由希の姿に手をあげた大之助は由希の左足に尾を絡ませるとそばまで引き寄せた。


 そろりとなでるように絡みつく大之助の尾にくすぐったいと笑った由希の頭を撫でた大之助は眠いと由希にしがみつく。


 その姿に舌を打った青年は由希を引き剥がすと大之助の頭にげんこつをお見舞い。


「話は終わっていない。 兄上、人を囲っているのはいいですが己のものはちゃんと見ていたほうがいいのでは」


「いたたた、由希は俺のというわけじゃないけど。 この店の従業員だし」


 いずれはそうしたいけどと由希の頭を撫でる大之助は先ほど寝る前に作っていた新作を由希の口に放りこむ。 口いっぱいに広がるチョコレートの甘味に顔をほころばせた由希を撫でつつ、口笛を吹く。


 その音に反応するように黒猫が一目散に走ってきた。 大之助のそばまでやってくるとその場に腰を下ろす。 不思議なことに先ほどまで乱闘していたとは思えないほど、黒々としたきれいな毛並に由希は首をかしげた。 乱闘を起こす前よりもきれいな毛並にどうしたものかと考えたとき、三つカラスが青年の肩に戻った。


 そちらもさきほどよりも光り輝くほどきれいな毛並に由希は不思議だとつぶやいた。


「相変わらず、仲がいいことで」


 大之助は由希の腰に手を回すと足の上に座らせた。 手のとどく位置に黒猫の頭がくると由希はその毛並に触れた。 さらりと洗った後のようなきれいな肌触りのよい毛並におかしいと首をかしげるも、なかなか手になじむような心地の良い毛並に手が離せなかった。


「あれだけ喧嘩をしていたのに」


「あれはこいつらなりの愛情表現」


「いつか兄上の猫と子ができそうだが」


「種族が違うでしょ」


 由希の正論に二人は顔を見合わせて首をかしげた。 


 猫とカラスでは性別うんぬんの問題ではなく、種別が違いすぎるので無理ではないかと説明しても二人は首をかしげるばかり。


「そもそもカラスというよりも妖怪だからな、こいつは。 獣というよりもつくりはどちらかと言われれば人に近い」


「それに雄と雌なのだから、子を作ることに問題はないでしょ」


 なにがおかしいと二人そろっていうものだから、己がおかしいのだろうかと由希は思いながら黒猫のあごを撫でる。 気持ちがいいのか黒猫は由希の手のひらに何度もあごをすりよせて、にゃあと鳴く。


「なんだか、信じられないですね」


「見たい? 見たいなら二人の交尾のところでも見せていいけど」


 あっけらかんとした大之助は黒猫の尻を数回たたいた。 たたくと黒猫は目を見開いたと同時ににゃあと鳴いてぽんと音をたてた。


 気がつくと黒い毛並は髪の毛に、黄色の瞳は人のそれに、すらりと伸びた四肢は人間のそれに様変わりしていた。 


 腕は二の腕から五本の指先まで黒い毛並で覆われ、足はふとももから指先まで同じように覆われていた。 


 開かれた胸元はまるで幼子の胸板のようにまっさらだった。


「にゃあ」


 その姿で黒猫はもう一度、鳴いた。


 応えるようにカァと鳴いたカラスはそれこそ黒猫と同じようにぽんと音をたてた。 それは三十手前ぐらいの男の姿に変わった。 腰まで伸びた黒い髪を上のほうで結び、黒い着物を身にまとい。


 人のようで顔には三つの瞳がついていたから、早々に人ではないことに気がつく。


「カァ」


 やはりその姿でもカラスはカァと鳴く。


 それに呼応してにゃあと黒猫も鳴くと、カラスは黒猫をそばに引き寄せて深く口づけた。



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