狼少年と天の邪鬼少女
一面の向日葵畑に少女と少年が立っていた。
「……ねえ」
青い空に真っ白なワンピースがはためく。長く伸びた黒い髪が少女の顔を隠す。
「なんだ?」
少年は少女に真っ直ぐと向き合い、笑って聞く。犬歯が日の光に当たり煌めく。
「大っ嫌いよ」
少女の被る白い帽子が風に飛ばされて行った。
――
夢を見ていた。今から三年前の夏の事。少年こと夏井小狼は祖母の家に居た。
小狼は中国や香港に多い名前ではあるが、クォーターとかハーフとか言うわけでは無く、親が好きなアニメのキャラクターの名前なのである。
小狼は夢で見た三年前の夏休みの時に出会った少女の事を思い出していた――。
「しゃお。今からあっちの向日葵畑に行かない?」
「暑いから嫌だ」
しゃおというのは小狼のあだ名だ。本日は猛暑日真っ只中。最高気温は三十七度を越えると天気予報で伝えていた。
部屋の中はクーラーが聞いていてとても涼しい。
「むう。しゃおの意地悪」
少女が頬を膨らます。少女の名前は夕凪時雨。小狼からはしぐと呼ばれている。
整った顔立ちに白い肌。真っ白なワンピースも相まって白いと言うイメージしか与えない。
「……しゃおにね。見せたかったの」
時雨と小狼は偶々家が隣だった。と言うだけの間柄。小狼と時雨が出会ってからまだ四日。お互いに知らないことの方が多い。
出会った切っ掛けは時雨が一人で畑仕事をしていたのを小狼が手伝ったというだけ。
小狼はやることが無くて暇だったから、気紛れに手伝ってあげることにしたのだ。ここら辺の人間は自分の畑仕事に誇りを持っている人間も多く断られるだろうと思っていたのもあった。
意外にも二つ返事で手伝って欲しい。と来たもんだから驚いた。
見た目が好みだったというのも理由の一つではある。
「駄目?」
上目遣いで聞く時雨に小狼が折れた。
「わかった。行けば良いんだろ」
嫌々ながらという風体ではあるが、それでも、時雨は嬉しかったのか、ガッツポーズをする。
「やった!」
小狼がまた一つため息を吐いているが、時雨は気にしない。
時雨が部屋から出ていく。大方帽子でも取りに行ったのだろう。
小狼も立ち上がり、外に行く準備をする。
木造平屋のこの家には小狼の祖母しか住んでいない。小狼が生まれる前に祖父は死んでしまった。
小狼はこの辺りで向日葵畑を見たことが無かった。どうせ、小さな物だろうとたかをくくっていた。
だからこそ。とても驚いた。
地平線の彼方まで続くのではないかと思われる程に広大な土地に向日葵が咲いているのだ。
その全てが太陽の方を向いている。
誰が一体こんなにも植えたのだろうか。
場違いな事を考える位に小狼の脳内は混乱を極めていた。
「ね。凄いでしょ?」
その言葉に頷くしか無かった。それだけで精一杯だった。
そんな小狼を見て時雨は笑った。絵画みたいだ。小狼は胸の内でそう告げた。
「ねぇ。しゃお。私ね……しゃおの事が」
小狼は唾を飲んだ。喉が鳴る音がする。時雨は顔を伏せていて表情が読み取れない。
「……ううん。やっぱ、何でもないの」
「そっか」
小さく告げられた言葉は震えていた。二人とも。
「ね。しゃお。私ね……しゃおが初めての友達なの」
時雨はずっと天の邪鬼で思ったことが言えなかった。
小さな頃からずっとで、好きな人に嫌いって言うのは普通だった。お母さんからは、駄目な子と言われ。先生には見放された。
誰かと話すことが嫌いになっていた。だから、今の家に一人暮らしをしている。もう高校生にもなるのだから、一人で大丈夫だ。と家を飛び出して来たというのが正解だ。
小狼がやって来たのはもう一人暮らしを始めて二年目になる頃。
一人で家の畑を耕しているときだった。
「大変そうだな。俺が手伝ってやろうか?」
「うん。大変なの。手伝って」
正直大変だから手伝って欲しい。猫の手も借りたい。と思っているが、見ず知らずの人に手伝って貰うのはおこがましい。だから、断るべきだと考えていた。
なのに、天の邪鬼だから、断れなかった。本音の反対を言ってしまうのは大変困る。
「ここ、耕せば良いんだよな」
「え……うん。そうだよ」
今度こそ断ろうと思ったのに、また口から出たのは反対の言葉。これじゃ図々しいだけの人間になる。そう焦っていた。
もう諦めて手伝って貰う事にした。後でお礼をしたら良いと。
でも、自分にありがとうと言えるかどうか心配だった。
意外にも簡単に言えた。ありがとう。今までこんな風に本音を言えたのは初めてだった。
不思議だった。
それからだろう。小狼を意識し始めたのは。
隣に立つ小狼を見上げる。その瞳は向日葵畑を見ていた。
「うーん。いや、俺んちの庭の方がもっと凄い」
「嘘、でしょ」
「……なんでバレた」
「バレバレなんだから。しゃおはすぐに嘘をつくから」
時雨が苦笑いをする。小狼がばつが悪そうに頬を掻く。
「……ねえ」
青い空に真っ白なワンピースがはためく。長く伸びた黒い髪が時雨の顔を隠す。
「なんだ?」
小狼は時雨に真っ直ぐと向き合い、笑って聞く。犬歯が日の光に当たり煌めく。
「大っ嫌いよ」
時雨の被る白い帽子が風に飛ばされて行った。
「うん。知ってる……俺もだ。しぐ」
二人の歩く影が向日葵畑に指していた。
やっぱり素直になれなかった……。