追憶5
「狂化ッ!!」
ガノンが短く叫ぶと、その身体は青白い光に薄く包まれ、一瞬で目が血走り真っ赤に変わる。
狂化はステータスを一時的に倍に引き上げる代わりに、自らを敵が全滅するまで戦い続ける狂戦士とするスキル。効果は大きいが、正常な思考と体力を奪い続ける。
ガノンは戦斧を振りかぶり、ベッケルに向かって大きく踏み込んだ。すぐに2本の大剣がガノンに降りかかる。
が、ガノンは避けない。
自慢の黄金の鎧を斬られ、その生身に刃が届いているはずだが、かまわず突き進む。
「むっ?」
無謀ともいえる突進に、違和感を感じたベッケルは、さらにもう一本の腕を使ってガノンを狙う。
そこでライネルが動いた。
「縮地」
速度に特化した剣士であるライネルの特技。残像を残すような速さで、一瞬でベッケルの背後へと回る。
「速光」
縮地の速度を乗せたまま、魔力を込めた斬撃を放つライネルの必殺の剣技。狙うはベッケルの首。
「させん!」
残る1本のベッケルの腕が、閃光のような一撃をライネルに見舞う。
それをライネルは上半身を後ろにのけぞらせてかわすと、起き上がる反動と共に速光の一撃を放った。だが、回避動作を行った分、それは首には届かず、ベッケルの腕一本を斬り飛ばした。
ライネルはその場を離脱して距離を取る。縮地は身体への負担が大きく、連続しては使えない。
「すまん、届かなかっ……」
ガノンに声をかけようとしたライネルが見たのは、2本の大剣で身体を斬られながらも、逆にそれをくわえ込むようにして、ベッケルと斬り結ぶガノンの姿だった。
シエルが涙目でガノンに回復魔法をかけ続け、ルイーズが必死になって攻撃魔法を唱えていた。
「縮地っ!」
即座にここが正念場だと覚悟を決めたライネルは、連続で縮地を発動。
肺が膨らみ、心臓が縮まるような感覚を覚えながらも、再びベッケルに迫る。
ベッケルもガノンから剣を引き抜き、迎撃の構えを見せた。
ただ、腕の一本はガノンに使い、もう一本の腕はルイーズの魔法の回避に使っている。
先ほどと同様、手薄といえば手薄の状態。
ライネルは決死の思いで、ベッケルの剣をくぐり抜けると、その喉元へと剣を伸ばす。
(殺った!)
そう確信した瞬間、ベッケルの4つの眼が輝くように光り、その光が収束。一本の熱線となってライネルに向けて照射された。
間一髪で熱線を回避したライネルだったが、機を失って後ろへ跳び、シエルとルイーズのところまで後退する。
「何だ、あれは? 何でもありか!?」
無詠唱で眼から光線のようなものを放ったベッケルに、ライネルは愕然としていた。勝ち目があるのか、と不安が走る。
「あの熱線はすぐに消失したわ。恐らく射程は短くて、近距離にしか使えないはずよ」
一方、ルイーズは初見でその能力を看破した。
「それより早くしないと、ガノンさんが!」
ガノンのサポートをし続けるシエルが、戦闘の継続をふたりに促した。すでにガノンは限界を超えている。
だがその瞬間、ガノンの背中から刃が生えた。胴を貫かれたのだ。
「ガノンさんっ!」
シエルが叫ぶ。
「ガァァァーッ!!」
吐血しながら叫んだガノンは、自らを貫いた剣を持つベッケルの腕を戦斧で叩き斬った。
切断したベッケルの腕ごと地面に倒れたガノンだが、もやはピクリとも動かない。
「やばいな、これは」
ライネルは軽く周囲を見渡したが、どこもかしこも劣勢が続いている。
「結局、トラオの言う通りってこと?」
ルイーズが軽く応じる。
「ガーネットの子たちと1回くらい一緒に冒険したかったな。あんな可愛い子たちを隠れて援助していたなんて、トラオはずるい」
シエルが微かに微笑んだ。
「やめてよ、そういうこと言うの! まるでこれから死ぬみたいじゃない。わたしは嫌よ。わたしは金持ちと結婚して、死ぬまで楽しく人生を生きるっていう夢があるんだから」
ルイーズがシエルの発言を咎める。
「それならトラオが良いんじゃない? きっとお金持ちになるよ?」
「金持ってても、ケチだったら何の意味もないのよ!」
ルイーズとシエルがやり取りをする間にも、ベッケルはゆっくりと近づいてきた。
「トラオに『僕の言った通りじゃないか』って言われるのも癪だし、もう少し頑張るぞ」
ライネルがふたりに声をかける。
「そうね」「ええ」
喋りながらも用意していた呪文をふたりは解き放つ。
シエルはライネルに補助魔法をかけて能力強化、ルイーズはベッケルの足元を沼地に変えて動きを制約する。
「これは……」
ぬかるんだ地面に、足を絡めとられたベッケルが声を上げる。
「その魔法なら剣で斬ることができないでしょ?」
ルイーズが片目をつぶった。同時にライネルが走り出す。
飛ぶようにベッケルの周りを動き、死角を狙う。
足を取られたベッケルは、身をよじって対応しようとするがその動きは鈍い。また、腕を2本失ったことで、全方向に対応できなくなっている。
さらにルイーズが攻撃魔法を放ち、それを打ち消すためにベッケルが剣を振るったことで、身体が開いた。
「縮地っ……」
肺から血がこみ上げてくるのを、無理矢理飲み込み、ライネルが3度目の縮地を発動。
瞬時に懐へ飛び込んで、再び喉元を狙う。が、
「舐めるなっ!」
ベッケルは沼から足を引き抜き、膝蹴りを見舞う。
予想外の攻撃に直撃を喰らい、ライネルは吹っ飛ばされた。
「グウッ……」
地面にバウンドして転がるライネルが、鈍い声を上げる。
「ライネルっ!」
すぐさま、シエルが回復魔法を唱え、ライネルが剣を支えに何とか立ち上がる。
その間にベッケルが地面に大剣を突き立てることで魔法をかき消して、沼地に変化していた地面を無理矢理元へ戻した。
「嘘でしょ……」
ルイーズが息を呑む。そんな方法で魔法を打ち破るなど、あり得ないことだった。
「もう一度だ……」
ライネルが回復しきらない身体に鞭を打つ。
そして、剣を正面に構えた。
「勝負だ、ベッケル」
「よかろう、人間の勇者よ」
そうは言いながらも、もはや相手に勝機は無いとベッケルは考えていた。
ルイーズが魔法の詠唱を始めている。シエルが重ねて、ライネルに回復魔法をかける。
そして、ルイーズの魔法の完成と共に、ライネルが走った。もはや縮地を使える状態ではない。
ベッケルは片方の腕でルイーズの魔法を防ぎ、十分な余力を持って、ライネルをもう片方の腕で迎え撃つ、はずだった。
「グウッ!」
予期せぬ痛みを感じて、ベッケルは苦悶の声をあげた。そして、身体のバランスが崩れる。
視界の端には死んだものとばかり思っていたガノンが、膝立ちとなって、ベッケルのアキレス腱に斧を振り下ろしていた姿が見えた。
そして剣を振りかざしたライネルが迫る。もはや剣では防げない。眼に魔力を込めて、熱線を放とうとしたが、ライネルは避ける素振りすら見せなかった。
(見事だ)
ベッケルが熱線を放つのと、ライネルが剣を振り下ろしたのは同時だった。
ベッケルの首が宙を舞い、ライネルの胸が熱線によって穿たれる。
「やったぞ、トラオ……」
薄れゆく意識の中でライネルは呟いた。
「シエル! すぐにライネルに回復を!」
ルイーズが叫ぶ。が、その背中にシエルが持たれかかった。
「シエル?」
振り向くと、シエルの背には数本の矢が刺さっていた。自分を庇うように背にもたれかかり、そのまま地面に倒れて行く。その表情は穏やかなものだった。
周囲を見渡せば、魔王討伐チームは壊滅状態であり、残っている者の姿は見えない。さすがのガノンもベッケルの死体の傍で、ついに息絶えていた。
「先に逝っちゃったか……」
ルイーズとライネルとシエルは幼馴染だった。しかし、何となくライネルとシエルがくっつくものだと思っていた。自分はというと、仕方なくトラオと付き合うことになるのではないかと思っていた。
(本当はあんなケチなヤツは願い下げなんだけどね)
幾つもの矢が迫り、身体に刺さる。
それをルイーズは他人事のように見えていた。
(血の量は充分過ぎる程ね)
ルイーズはシエルと違い、トラオが用意した死臭のする黒いローブを装備したままだった。
トラオがくれたもの、ということもあったが、この黒いローブに誰が主であるか認識させるためには、ずっと着続ける必要があった。
(自爆用の呪文だなんて、趣味の悪い大賢者様)
それは黒いローブを作った大賢者が、自分を害した者に報復するために用意した呪文。結局、生涯使うことのなかった、己の血と命と引き換えに発動し、あたり一帯に死をまき散らす災厄の魔法。
ルイーズの血を吸った黒いローブが、さらに主の命を吸うことで形を変える。
ローブを染めた竜の血が、魔力を得ることで、再び仮初の姿を得た。
黒い魔力の奔流ともいうべきドラゴンが顕現し、戦場に残る魔人兵たちに襲い掛かる。
「後は頼んだわよ……」
ルイーズが最期に残した言葉は、ドラゴンにではなく、トラオに向けられたものだった。