その11
トラオが集めた何百といた魔王討伐に志願した者たちは、妖精の湖に行く過程で次々と脱落し、今は100人を少し超える程度の選ばれた者たちだけが残っている。
これがトラオの組織した勇者部隊となった。
用意した伝説級の剣と盾と鎧は、前衛職に優先的に支給され、その装備は盤石といえる。
トラオとリオもその装備を身に付ける予定だ。
「さて、後は時を待つだけだ」
密かに用意した場所で勇者隊の訓練を進めながら、トラオは言った。
「時、ですか?」
その言葉を聞いて、リオが尋ねた。
「うん、時だよ。それはまもなくやってくる」
──
この少し前、魔王軍では四天王がようやく解放され、各々の持ち場へと戻っていた。
猜疑心の強い魔王に、四天王たちはうんざりしていたが、かと言って逆らうわけにもいかず、その怒りを人間たちにぶつけることにしようと思っていた。
しかし、持ち場に戻ってみると、部下たちは紫色のポーションに夢中になっており、まともに働こうとしない。何人か見せしめに殺してみたが、ポーションの作用で部下たちの精神が興奮状態にあるため、恐怖による支配が効かなかった。
(そんなにこのポーションは良いものなのだろうか?)
四天王のひとり、獣王ライガはふとポーションに興味を持った。虎族の獣人であるライガは、獣らしく理性より本能に忠実であり、自らの好奇心に抗えなかった。
殺した部下から奪ったポーションを一息に飲み込んでみたが、多少の昂揚は覚えたものの、大して効いた風ではない。
強力な耐性を持つライガには、魔物用とはいえ、そのポーションはあまり効力を持たなかったのだ。
「ふん、くだらぬわ、こんなもの」
軽い失望感を覚えたライガは、ポーションが入っていた瓶を握りつぶした。
すると同じ虎族の側近のひとりが進み出てきた。
「ライガ様、ではこちらをお試しになられては如何かと」
側近が手にしていたのは、もっと紫色が深いポーションだった。トラオが妖精の湖で使用した原液のものである。
「なんだ、それは?」
「ポーションを売っていた商人が『ライガ様がポーションにご興味を持たれたら、お渡し下さい』と持ってきたものです」
この側近は重度のポーション使用者だった。トラオはそこに付け込んで、ライガ用に原液のポーションをあらかじめ渡していたのだ。
「貸してみろ」
ライガはポーションを奪い取ると、蓋を開けて臭いを嗅いだ。
独特の臭いはするが毒ではなさそうだ。
そして、一気にあおった。
「むっ……」
今までに感じたことの無い昂揚感が、ライガの身体にみなぎった。
「こいつは悪くないな」
最近、魔王や部下たちに感じていたモヤモヤが、一気に消し飛ぶような感覚だった。
「おい、このポーションはもっとあるのか?」
側近に問いかけた。
「はっ、ライガ様がご入り用ならば、いくらでも用意すると商人は言っておりました」
「ありったけ持ってくるように伝えておけ」
そう言うと、ライガは久しぶりに味わった得も言われぬ満足感に身を委ねた。
──
魔王バストゥーザは苛立っていた。
四天王を持ち場に戻したものの、侵攻がまったく進んでいない。
聞けば紫色のポーションなるものが流行っていて、魔物たちはそれに夢中でまともに働かなくなっているという。
「愚か者どもが!」
魔王は絶対権力者である。そのような怪しげなポーション如きに、世界征服の野望を妨げられるなどあってはならなかった。
そこで魔王はポーション禁止令を出した。紫色のポーションを使った者、持っていた者、他人に譲った者は容赦なく死罪に処すと発表した。
さらに物理的にポーションを使用できない死霊系・精霊系の魔物からなる取り締まり部隊を設立し、軍規の徹底を図った。
「これで問題無いだろう」
バストゥーザはこのときそう思った。あるいはベッケルが生きていれば、何らかの助言を行ったかもしれないが、今のバストゥーザに助言できる者など周囲にはいなかった。
バストゥーザの命令の効果は絶大だった。悪い意味で。
中毒となっていた魔物たちからは猛反発をくらい、取り締まり部隊との抗争が発生。あちこちで激しい戦闘が繰り広げられた。
軍のトップである四天王がポーションに手を出していない地域はまだマシであった。取り締まる側が優勢だったからだ。
自らポーションを使っていた獣王ライガは命令に反発し、差し向けられた取り締まり部隊を全滅させてしまったのだ。
もはや言い訳が効かない状態になってしまったライガだったが、精神が昂揚状態にあるため、特に気にした風もない。
しかも、この頃になるとトラオが堂々とライガの元を訪れて、ポーションを渡すようになっていた。
そのトラオが囁いた。
「ライガ様、わたくしどもの工場が魔王様の手の者によって破壊されており、ポーションの供給が危ぶまれます」
「何だとっ!」
トラオの言葉の前半に嘘はない。工場の何か所かを強襲されて破壊されている。ただし、工場は世界各地に分散させているため、全体としてのダメージは少なかった。もっとも、トラオはこの商売を続ける気はなかったのだが。
「ライガ様のような寛大な方が魔王であれば、今後も良い関係が築けたと思うのですが、わたしは無念でなりません……」
そう言いながら、トラオはうなだれてみせた。
「あんなヤツが魔王だからダメなんだ! あんなヤツが……」
ライガがぶつぶつ呟き始めた。その眼の焦点が合っていない。
「そうです、ライガ様! 魔王が悪いのです! 今こそライガ様が魔王になられるべきなのです!」
周囲の側近たちも反乱を唆すようなことを言い始めた。彼らは漏れなくポーションの中毒者である。ポーションの無い生活など、彼らには考えられなかった。
ちなみにポーションを使用しなかった心ある側近たちは、トラオによって秘密裏に処理されている。もはや、ライガを止める者はいなかった。
「よし! 俺が魔王になる! 全軍、魔王領に戻るぞ! 魔人どもの数は少ない! 今が好機だ!」
ライガが号令をかけ、側近たちも部下たちもそれを支持した。
「さすがライガ様、微力ながらわたくしどもも支援させて頂きます」
トラオは武器・防具をライガ率いる獣王軍に供給し、その戦力を後押しした。
──
反乱を起こしたライガ率いる獣王軍は、あっという間に魔王領へと侵入した。阻む者はほとんどいなかった。他の四天王の軍はポーション中毒者たちの内乱に手こずっており、とても対応できる状態ではなかったのだ。
そして今、獣王軍は魔王城へと突入し、城を守る魔人族たちと激しい戦いを繰り広げていた。
通常であれば獣人よりも魔人のほうが強いのだが、今は魔人の数が少なく、獣人たちの装備が妙に充実していることもあって、戦いは獣人優勢だった。
しかも、ベッケルを失った今、魔人族には有力な個体が不在。魔王以外にライガを止められる者などいなかった。
とうとう、ライガ率いる獣人の戦士は、魔王の居る玉座の間へと突入した。
6つの眼、6つの腕を持つ魔王バストゥーザがライガを糾弾した。
「やはり貴様が裏切者だったか、ライガ!」
「何言ってやがる、てめぇのせいで、こんなことになったんじゃねぇか!」
ふたりの言っていることは噛み合わない。そもそも言葉は何の意味も持たなかった。
次の瞬間、ライガがバストゥーザに襲い掛かったのだ。
バストゥーザは黒い波動を放って、ライガを弾き飛ばす。
「ちっ! おまえら囲め!」
即座に態勢を整えたライガが部下たちに命令を下す。ドミニクによって『狂化』の効果まで付与されたポーションを服用した獣人たちは、恐れを持たずにバストゥーザを取り囲んだ。
「雑魚がっ!」
バストゥーザが手を一本振ると黒い炎が巻き起こり、周囲を取り囲んだ獣人たちを覆いこんだ。
一瞬で灰と化す獣人たち。だが、ライガはその炎を強引に突破すると、バストゥーザの元へと飛び込んだ。
「オラァァァッ!!」
あと少しでその剣がバストゥーザに届こうかというところで、ライガの胸を槍が貫いた。
バストゥーザの6本の腕が持つ武器のひとつだった。強力な雷属性を持つ槍であり、その電撃によってライガは絶命していた。
「愚か者が」
バストゥーザは黒い炎でライガの身体を炭も残さず焼き尽くした。