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その10

──来たれ、勇者! 魔王討伐を志す者求む!──


 という募集が各国でなされた。募集をかけたのはトラオ。ついに魔王討伐に具体的に乗り出したのだ。

 成功報酬として金貨1000枚が提示され、我こそはと思う者たちが集まった。その数は何百人にも上っている。金目当ての冒険者から、騎士を辞して参加した者まで、様々な人間が集まった。


「こんなに人数を集めても大丈夫ですか?」


 集まった応募者たちを見て、リリスは不安そうに言った。実力がある者もいるが、全員がそうであるとは思えない。


「大丈夫だよ、これから選抜試験をするから」


 トラオは予想通りという顔をしている。


「選抜試験? 何ですか、それは?」


 そんなものを予定していることをリオは知らなかった。


「ん? 剣と盾が揃ったんだから、残りは鎧が必要でしょう? それをみんなで取りに行くんだよ」


 ガーネットの3人は鎧と聞いて、ある伝説の鎧のことを連想し、嫌な予感を覚えた。


──


 とある大森林の奥深くに、その湖はあった。

 深い霧に包まれた神秘的な存在であり、見た者は少なく、実在しないのではないかと言われている。

 実際、その湖がある大森林は国がひとつ入るほど広大で、危険な魔獣が多数生息し、容易には近づけない場所でもあった。


 その幻の湖の奥底で、湖の乙女といわれる妖精ニムエが近づいてくる人間の気配を感じていた。


(久しぶりの人間ね。目的はわたしかしら?)


 そんなことをニムエが思っていると、湖の中に何かが投げ入れられた。


(やっぱり、わたしに用なのね。仕方ないわね)


 満更でも無い様子で、ニムエは投げ入れられたモノを拾った。

 それはミスリル製の上質な鎧だった。


(随分良いものを落したものね。これだと妖精の鎧を渡すしかないわ)


 この湖にはひとつの伝説があった。鎧を落すと、湖の乙女が現れて、落とした者に問いかけるという。

「あなたが落としたのは、どちらの鎧?」と。


 片方は落とした鎧。もう片方は落とした鎧よりもワンランク上の鎧だ。

 これに対し、正直に答えるとワンランク上の鎧が貰え、嘘をつくと鎧ごと湖の乙女は消え去ってしまう。そして、嘘をつこうがつくまいが、もうその者の前には二度と姿を現さなくなる。

 つまり、人が問いかけに答えられるチャンスは人生で一度きりなのだ。

 ミスリル製の鎧は、人が通常のルートで手に入れることのできる最高の鎧なのだが、ニムエはその遥か上をいく妖精の加護が付与された鎧を与えることができる。


 ニムエはミスリルの鎧と妖精の鎧をそれぞれ手に持ち、湖の上へと姿を現した。


「あなたが落としたのは、どちらの鎧?」


 湖の前にいたのは、愛想の良さそうな顔をした男だった。


「ミスリルの鎧でございます」


 男はにこやかに答えた。


「あなたは正直者ね。褒美にこの妖精の鎧を授けましょう」


 ニムエが妖精の鎧を手渡すと、男は


「ありがとうございます」

 

 と言って、深々と頭を下げた。

 そして、ニムエはまた湖の中へと姿を消した。



 しばらくして、再びドボンと湖の中に鎧が投じられた。

 これは過去に幾度かあったことなのだが、先ほどの男と同じグループの人間の仕業なのだろう。

 ニムエの逸話を利用して、グループ全員の装備の質を高めるつもりなのだ。人間の欲は深い。

 けれども、神や妖精にとって、逸話や伝説はその存在を高めるための大切な儀式であり、無視できるものではない。それに、数個程度の鎧を変えてやるぐらい、ニムエにとって大したことではなかった。

  

 湖から顔を出すと、短い赤髪の女の子が申し訳なさそうに立っていた。


「あなたが落としたのは、どちらの鎧?」


「ミスリルの鎧です」


「あなたは正直者ね。褒美にこの妖精の鎧を授けましょう」


 ニムエが妖精の鎧を手渡すと、女の子は何度も頭を下げて鎧を受け取った。

 そしてその後、ふたりの女の子が鎧を落し、ふたりとも申し訳なさそうに妖精の鎧を受け取っていった。

 まあ、これくらいは想定内である。



──3時間後──


 ドボンと湖にまた鎧が投げ込まれた。


 一体これで何個目だろうか? 20や30は越えているはずだ。

 ニムエもさすがに疲れ果てていた。


 湖の上へ姿を現すと、冒険者風の男が立っていたので、無言で妖精の鎧を渡した。もうミスリルの鎧は拾いもしていないし、いちいち問いかけることも止めた。


「あざっす」


 受け取った男も、雑な礼を言って鎧を受け取る。

 ニムエは帰るふりをして、顔の上半分だけ水面から覗かせて、湖畔の様子を伺った。


「終わりました! 次の人どうぞ!」


 先ほどの男が森林の方へと歩いて行き、入れ替わりに騎士風の男がやってくる。

 よく観察すると森林の中には多数の人間の気配がした。その数は100はいるだろう。


(ニンゲンコワイ)


 ニムエは絶望していた。まさか、自分の逸話を利用して、こんなに大勢の人間がやってくるとは想像もしていなかったのだ。恐るべきは人の欲である。

 そもそもこんな大量のミスリルの鎧をどうやって調達してきたのだろうか? 簡単に湖に投げ入れているが、人間の世界ではかなり貴重な装備のはずだ。

 あと、大森林の魔獣たちは一体何をしていたのだろうか? こんなに大勢の人間を湖まで通すなど、自分たちの存在意義を何だと思っているのだろうか? おまえらは危険な魔獣なのだから、もっと真面目に人を襲って欲しい。

 そして、昔の自分。おまえは馬鹿か。何を人間に親切にしてやってるんだ。人間の欲には際限がない。関わってはいけなかったのだ。過去に戻ることができるのであれば、頭を引っ叩いて、こんなバカな逸話を作るのを止めてやりたい。


 ドボン


 騎士風の男が鎧を湖に投げ入れた。いい加減、自然環境のこととか考えて欲しい。湖の底はミスリルの鎧でいっぱいである。


(止めた!)


 ニムエは決断した。もう鎧を取り換えるのは止めよう。逸話は今日で終わりだ。自分の存在性が低下するかもしれないが、そんなことは知ったことではない。強欲な人間に付き合っていたら、こちらが先に力尽きてしまう。

 そういうわけで、ニムエは投げ入れられた鎧を無視することにした。



「トラオさん! ニムエさんが出てこなくなったんですけど?」


 しばらくして、騎士風の男が大森林のほうに向かって呼びかけた。

 それに応じて、森林の中から出てきたのは、最初に鎧を受け取った男だった。


(あいつが諸悪の根源か)


「想定内だよ。ドミニク、例のモノを湖に撒いて」


 トラオと呼ばれた男は、森林からフードを被った女の子を呼び寄せた。3人目くらいに鎧を受け取った子だった。


「……本当にやるんですか?」


 女の子はおずおずと尋ねた。


「うん。ちょっとニムエ様に元気になってもらうだけだから」


 そう言われた女の子は、懐から紫色の液体が入った瓶を取り出すと、中の液体を湖へと流し始めた。


(何だろう、あれは?)


 不思議に思っていると、その紫の液体は薄く湖に広まっていき、ニムエのところまで到達した。


(これは!)


 ニムエはその味を知っていた。妖精をも刺激するこの感覚。

 ブラック・ロータス。妖精の嗜好品として知られる植物で、ニムエの大好物でもあった。


『そこの人間!』


 ニムエはトラオたちの元に姿を現した。ついでに妖精の鎧を騎士風の男に投げつけた。


『今湖に流した液体はなんですか!?』


 久しぶりのブラック・ロータスの味に、ニムエは興奮していた。


「ブラック・ロータスから抽出した成分を液体化させたものでございます」


 トラオは恭しく答えた。隣のドミニクはひたすら畏まっている。


『やはりそうですか。おまえはそれを後何本持っています?』


「10本はあるかと」


 トラオから目線で促されたドミニクが、懐から何本かの瓶を取り出して見せた。


『いいでしょう。鎧はすべて取り換えます。その代わり、その瓶をすべて寄こしなさい』


「畏まりました」


 トラオが大森林のほうへ向かって合図をすると、人間たちがぞろぞろと出てきた。その数は50人くらいだろうか。

 ニムエは若干たじろいだが、大好きなブラック・ロータスのためならと腹を決めた。



 さらに何時間か経って、ニムエはようやくすべての鎧を取り換え終わった。

 逸話もへったくれもなく、ただの流れ作業だった。聞けば鎧は全部で100体あったという。いい加減にして欲しい。物事には限度という物がある。


 疲労困憊のニムエだったが、手元にはブラック・ロータスから抽出された原液とかいう瓶が10本あり、大変満足だった。妖精はブラック・ロータスの花についた露に目がないのだが、この原液というのはその比ではないくらい甘露だった。


「ところでニムエ様、ひとつご相談があるのですが」


 トラオがニムエの傍に寄ってきた。


「この娘に加護を授けて頂けないかと」


 トラオが一緒に連れてきたのは、リリスという女の子だった。彼女は恐縮している様子だ。


『立ち去りなさい、人間。わたしはあなたが嫌いです』


 瓶をもらったのだから、もうこの男には用はない。


「左様ですか。ところでニムエ様、ブラック・ロータスなのですが、この湖でも栽培することができまして」


『なにっ?』


 その言葉は聞き捨てならなかった。


「わたくしどもは諸事情により、ブラック・ロータスを様々な場所で栽培できるよう、品種改良を進めておりまして、恐らくこの湖でも育成できるものもあるのではないかと。ご興味はおありですか?」


 あるも何も、この瓶に入ったブラック・ロータスの原液は有限だが、湖に自生してくれれば、無限に楽しむことができる。


『……いいでしょう。その娘に加護を与えます』


 ニムエはリリスを包み込めるように抱きしめ、そっと精霊の加護を与えた。

 リリスは世界との親和性が高まり、より神の気配が身近なものとなったことを感じた。これならば、癒しの力は今までとは比べ物にならないものになったであろう。


「ありがとうございます、ニムエ様」


 リリスは涙を流して、ニムエに感謝の言葉を述べた。ニムエにとってはどうでも良かった。



 その後、トラオは約束通り、湖でブラック・ロータスの栽培を行った。それは上手くいき、湖はまさに精霊たちの楽園となった。

 後年、ブラック・ロータスは公的に危険植物として指定され、栽培を禁じられた。

 ニムエの住まう湖は法的に立ち入りを禁止され、ニムエは望み通り人と関わることなく、静かに時を過ごすことができるようになった。

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