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8-15(終)

 

 エンリケの見舞いを終えたジョアンは人知れず溜息を吐いていた。兄の容態は一端は落ち着いたものの、依然として予断を許さない状況が続いている。


 国王の不在中に起きたのは、隣国の王子誘拐という前代未聞の出来事だった。本来であれば対応に当たるはずだったエンリケは、矢面に立つどころか、生死を彷徨さまよう羽目になっている。ジョアンは第二王子という気安さから今まで権力の煩わしさから逃れていたと言うのに、ここ数日は、王の代理として政務に追われていた。頼みの綱であるアドルファス・カスティエルは第一王子にかかりきりである。


 兄が倒れたのは持病の喘息の悪化が原因とされているが、実際は違う。何者かが巧妙に仕組んだことなのだとアドルファスは言っていた。盛られたのは毒ではなく、どこにでもあるような鎮痛剤の一種だ。もちろん毒見役が服用しても何の問題もない。けれど、柳の樹皮から取れるそれは、幼い頃からエンリケの喘息発作を誘発するものだった。



「―――ジョアン殿下」

「……ああ、ルーファスか」

 書類の束を端に避け米神をほぐしていると、ここ最近のジョアンの頭痛の種が執務室にやってきた。副財務監督官のルーファス・メイだ。少し前まではあまり目立った存在ではなかったと思うが、サイモンの後釜に座った今は、まるで荒れ狂う海で優雅にステップを踏んでいく回遊魚のような振舞いを見せている。

「ファリスは戦争を望んでいます。あちらにも面子がありますからね。振り上げた拳を留めさせるには、ある種の見せしめが必要でしょう」

 そう言いながら机の上に乗せたのは、数日前にも見せられた決裁書だった。馬鹿げた内容を一蹴したのは記憶に新しい。

「コンスタンス・グレイルは罪を自白しました。後は、殿下がご決断なさるだけです」

「……報告書を読んだが、その娘はあくまで手伝っただけなのだろう? いまだわからぬ敵がいるそうじゃないか。何とかという組織の。ならば、私がこの件で何かを決断するのは尚早だろう。どうしてもと言うのであれば、一度、カスティエル公に相談をして―――」

 その時、ジョアンの言葉を遮るように、かたん、と何かが目の前に置かれた。視線を移せば、見事な細工の装飾品がある。その意匠には見覚えがあった。真珠をふんだんにあしらった珊瑚の髪留めは、娘の三つの誕生日にジョアンが命じて作らせたものだ。娘はたいそう気に入ってくれ、毎日のようにつけている、はずで―――

 さっとジョアンの顔から血の気が引いていった。

「貴様、これを、どこでっ……」

「姫さまの乳母の名は、ハンナ、でしたか? 大丈夫、ふたりとも傷ひとつありませんよ。―――今は、まだ、ね」

 ルーファス・メイは、言葉を失うジョアンに向かって、殿下、と優しく声を掛けた。

「もう一度、その腕に愛しい我が子を抱きたいと思いますか?」

 ぞっと二の腕が粟立っていく。

「もちろん、抱けますとも。ただ―――あの小さな体が温かいままか、それとも冷たくなっているかは貴方次第ですけれど。別に何も難しいことではないでしょう? たかが子爵家の小娘だ」

「……下種が」

 侮蔑とともに吐き捨てたが、相手は穏やかな笑みを浮かべたままだった。ジョアンは救いを求めるように一瞬だけ天を仰ぐと、震える手で王の印章を手に取った。





◇◇◇






 その日、アデルバイトが王都、オルスレインに号外が舞った。

 ファリスの第七王子の誘拐に関わった罪で投獄されていた子爵令嬢に対する処遇が決まったのだ。いくら隣国への配慮とは言えあまりにも急すぎる決定に、記事はこぞってこれは贖罪の山羊(スケープ・ゴート)だと騒ぎ立てた。

 何故ならば、王命により下されたのは―――



 十年ぶりの、公開処刑だったのだ。


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