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親愛なるアリーへ


調子はどうだい? 噂によれば、君の新居は蟻の子一匹の侵入も許さない鉄壁のドレスを着ているらしいじゃないか。まるで私たちを目の敵にしていたサリヴァン女史みたいだね。今度ぜひ感想を聞かせておくれ。……おっと今リアに殴られた。字が歪んだのはそのせいだ。気にしないでくれ。


さて、こちらの首尾は上々―――と言いたいところだけれど、残念ながら私たちの可愛い弟はまだ見つかっていない。ケンダルの頭皮がそろそろ焼野原になりそうだ。


心配性なアリーのことだから、きっと、自分のことより異国に発った私たちの身を案じてくれているだろうね。でも安心して欲しい。東風は私たちに吹いている。きっと大丈夫さ。だって古今東西、囚われのお姫さまは最後には必ず助かると決まっているんだからね。それに、私の運の良さは、アリーもよく知っているだろう?


だから、もう少しだけ耐えてくれ。貴女ばかり辛い目に遭わせてしまってすまない。平手打ちは二回までなら甘んじて受けよう。


愛を込めて サンとリアより


追伸:ロディに注意



 ―――ゆるやかな円錐形の塔の内部は吹き抜けで、見上げれば天井部分にはめ込まれた円窓だけが陽射しを弾いて白く輝いている。けれど内壁はつるりとしていて階段もない。ただ、天にも届きそうな高さの空洞が広がっているだけだ。

 しかし、それも当然だろう。ここは古来より王侯貴族たちの監獄であり、また処刑場でもあったのだから。

 ただ、それでも食事は三食しっかり与えられた。配膳の受け渡しは、猫の頭ほどしか上がらない小さな通気口からだ。配給の者でも買収したのか、最近では木皿の底に定期連絡が仕込まれるようになった。

 そして、今日はずっと待ち望んでいた気心の知れた幼馴染みからの報告だった。いかにも彼女らしい励ましの言葉に目を通すと、()()()は久方ぶりに微笑んだ。





 ◇◇◇




 サイモン・ダルキアンが獄中で自害したという一報が入ったのは、サンとエウラリアが自国の第二王子ロドリックが一連の事件の元凶であると結論づけた翌日のことだった。


 そして―――




 よく晴れた日だった。緑豊かな中庭の一画に、薔薇の装飾が施された青銅のラウンドテーブルと揃いのアームチェアが並べられている。天板の中央には眩しい日差しを遮るようにレースの刺繍があしらわれた象牙色アイボリーのパラソルが立てられており、その下で顔を合わせていたのはコニーとランドルフ、そして屋敷の主人であるアビゲイルだ。




「デボラが、脱走?」

 ランドルフから告げられた言葉に、アビゲイルは鋭い声を上げた。

「ああ。修道院への移送中に逃げ出したらしい。昨晩から王都全域に非常線が張られているが、まだ見つかっていない」

「そう……」

 彼女は険しい表情を貼りつけたまま眉を寄せると、何かを考え込むように黙り込んだ。事前にランドルフからこの一件を伝えられていたコニーも、どことなく落ち着かない気持ちになって視線を彷徨さまよわせる。

 そうしていると、背後からふいに幼い笑い声が弾けた。振り返れば、少し離れた常緑樹の影で二人の少女がきゃあきゃあとはしゃぎ合っている。

 楽しそうに口元に手を当てているのはレティシア・カスティエルだ。そして、彼女の耳元に顔を近づけ、おどけたような笑みを浮かべているのはおしゃまなルチアだった。一体何を吹き込んでいるのやら。

 デボラの脱走と重なってしまったが、もともと今日の訪問はレティシアをオブライエン家に紹介するためだった。これは、ランドルフの知己であるマクシミリアンたっての希望である。どうやらカスティエル家の【小さなレティ】はかなりの人見知りらしく、いずれやってくる社交界デビューの前に気心の知れた友人を作ってあげたいという親心らしい。アビゲイルの養女であるルチアは、レティシアと年齢も身分も近い。幸いにも性格も合ったようで、二人はあっという間に打ち解けると、今は一緒に庭を走り回っては笑い転げている。


「……デビーも、昔はああじゃなかったのに」

 ぽつんと落とされた声にコニーは顔を上げた。見れば、アビゲイルが寂しそうに口の端を上げている。

「私たち、小さい頃は仲が良かったのよ。デボラの方がだいぶお姉さんだったけど、昔の彼女は引っ込み思案でいつも私の背中に隠れていたわ。意外でしょう? いつの間に道を違えてしまったのかしらね」

 歓声を上げているレティシアとルチアを見つめながらそう言うと、アビゲイルは気を取り直したように明るい声を出した。

「それで、ユリシーズ殿下の捜索は?」

 答えたのはランドルフだった。

「その件に関しては、サイモンは何も知らなかったらしい。屋敷からも手がかりになるようなものは出てきていない」

 八方ふさがりの状況に、誰ともなく溜息が落ちた。すると今まで黙って話を聞いていたスカーレットがおもむろに口を開いた。

『―――ユリシーズをさらったのはエルバイト宮に出入りしていた商人だったわよね。そいつの特徴��?』

 もちろんコニー以外に彼女の声は聴こえないので、コニーが代わりにランドルフに訊ねる。

 ああ、とランドルフは頷いた。

「ソルディタ共和国出身の若い男だったらしい。侍女の話では、いつもフードを目深に被っていたらしい。顔はよくわからないが、肌は浅黒く、おそらくソルディタに統合された少数部族の出だろうと」

『浅黒い肌、ねえ。だとすれば、この国ではけっこう目立ったのではなくて? おそらく偽装だとは思うけれど、仮に染料で肌を偽っていたとしても商人として動いているうちは落とさなかったはずよ。誰に見咎められるかわからないもの。潜伏先でも目を引いたはずだけど、何か目撃証言はないの?』

 続けてその言葉も伝えれば、ランドルフは「いや」と首を振った。

『ということは、そういう人間がいても疑問に思われない場所ね。つまり、共和国からの商船が頻繁に出入りする港―――その近くに土地を持つ人間が怪しいわ。ついでに言えば、【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】の関係者。ああ、ひとりいるじゃない』

 スカーレットはそう言うと、満足そうに微笑んだ。思わず見惚れてしまうような瑞々しい美貌である。

『わからない? 旧モンテローズ邸でお前が助けた人間よ』

 そこでコニーが顔中に疑問符を並べていることに気づいたのか、スカーレットが呆れたようにこちらを見下ろしてきた。コニーは必死で考えを巡らせる。

 旧モンテローズ邸ということは、ジョン・ドゥ伯爵の夜会のことだろう。摘発の最中に倒れた女性は確か―――

「ジェーン……」

 それは実際には女性の名前ではなく、幻覚剤の俗称だったのだが。

『ええ。あの女の実家は海沿いの領地を持っているんでしょう? ランドルフ・アルスターが、【ジャッカルの楽園】の密輸に関わっていたと言っていたじゃない。そして、おそらくその港には共和国の船も出入りしているはず』

 おぼろげだが聞き覚えのある内容だった。確か、マクシミリアンに招かれてランドルフと共にカスティエル家に向かう馬車の中で聞かされたのだと思う。レティシアに初めて会った日のことだ。

 するとランドルフが声を上げた。

「ジェーン? ああ、キアラ・グラフトンか」

「キアラ・グラフトン……?」

「君が助けた相手だ。彼女はグラフトン侯爵の令嬢だった」

 ランドルフは顎に手を当てると合点が言ったように頷いた。

「キアラは今、領地で療養している。父親も一緒だ。グラフトン領は王都からそれほど遠くない。確か、埠頭には倉庫を何件か所有していたはずだ。そこにユリシーズ殿下が囚われている可能性は充分にある。すぐに調べに行く必要があるな」

 そう言って立ち上がろうとするので、コニーは反射的に口を開いていた。

「わ、私も行きます……!」

「駄目だ。危険すぎる」

 閣下の返事はにべもなかった。ついでに気圧けおされるような強い視線に晒される。コニーは一瞬怯んだが、それでも引き下がらずに言葉を続けた。

「た、確かに私はへっぽこですけど、スカーレットがいます。今みたいに何か手助けできるかも知れないし、うまくいけばこっそり倉庫の中を覗けるかも―――」

『そうそう。だいたい、まだ決定的な証拠がないんだから令状なんて出ないし、かといって隊を引き連れて移動なんてしたら動きが奴らに筒抜けになっちゃうじゃない。その点わたくしは姿が見えないし、抜群に有能だし、確かにコニーの言う通り控えめに言って百人力よ!』

「そこまでは言ってない」

 堂々と胸を張るスカーレットの横で、コニーは真顔のまま訂正した。

 ランドルフはわずかに沈黙すると、固い声を出した。

「……レティシアをカスティエル家に帰してやる人間が必要だ」

 すると、今まで流れを静観していたアビゲイルが堪えきれなくなったように噴き出した。

「なら、私が屋敷の者に送らせるわ。それでいいでしょう? あの子たちをもう少し遊ばせてあげましょうよ。まだ昼前だし、あんなに楽しそうなんだもの」


 その言葉にとうとう打つ手がなくなったランドルフ・アルスターは、諦めたように小さく溜息をついたのだった。

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