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1-7(終)

 

 コンスタンス・グレイルは立ち去り、いつの間にか中断していた楽士たちの演奏が再開される。それは、宴の終りを告げるような物悲しい小夜曲セレナーデだった。


 パメラはいよいよ抜き差しならない事態になっていた。誰も彼もがパメラを非難しているような気がした。視線を感じる。じろじろと見られている。負けるものか。顔を上げて、何でもないようにやり過ごそうとする。けれどやはり内心では恐ろしかった。

 だからその場に見知った顔を見つけた時は思わず飛びついていた。


「ホランド夫人!」

 ふくよかな女性が驚いたようにこちらを見る。ホランド夫人なら大丈夫だ。守ってもらえる。デビュタントから今まで、彼女はパメラのことを娘のように可愛がってくれていた。

「助けてください、騙されたのです。運命の三女神(モイライ)に誓って、私はこんなこと致しません。夫人なら、信じてくださいますでしょう?」

 誤解なのだと悲し気な表情を作り、縋るようにみつめる。お優しいホランド夫人なら、これで充分のはずだ。肩を抱いて、可哀そうに大変だったわね、そう言ってくれる。

 パメラの予想通り、ホランド夫人は微笑んでいた。パメラもほっとして笑顔を返す。けれど、次の瞬間凍りついた。


「ごめんなさい。あなた、どちら様だったかしら?」


 ひゅっとパメラは息をのんだ。人の好かったはずの夫人の瞳が、ひどく愉しそうに、歪んでいる。

 立ち尽くしていると、どん、と誰かがぶつかってきた。パメラはよろめいて尻もちをつく。そのわずかな間にホランド夫人はどこかへ行ってしまった。あらごめんなさいね、扇子で口元を隠した貴婦人が平然と目を細めた。ダークブロンドの髪を結いあげた細身の女性はエマニュエル伯爵夫人だ。確か、コンスタンス・グレイルとそれなりに交流があったはずだ。思わず身構える。

 彼女は、訊いてもいないのにぺらぺらと口を開いてきた。


「―――だから私ね、本当にグレイル嬢のことを歓迎していたのよ。特筆することのないつまらない子だけれど、悪い子ではないもの。グレイル流に言うと誠実ってやつね。それってこの世界ではとっても珍しいことなのよ。わかるでしょう?だから今回のことはちょっとだけ腹立たしいわね。そう、ちょっとだけ。まあ、でも、結果的に面白いことになったから許してあげる」

 そう言って、起き上がることのできないパメラに手を差し伸べてくる。

「それに、私が何もしなくたって、あなたたちとワルツを踊りたい方々が手薬煉てぐすねを引いて待ち構えているみたいだもの」

 はっと気づいてあたりを見渡せば、パメラはたくさんの人に囲まれていた。ひっそりと流れていた曲がふいに転調する。広間に明るく鳴り響いたのはテンポの速い三拍子のメロディ―――円舞曲ワルツだ。さっとパメラは青ざめた。くすくすと笑い声がさざ波のように寄せては引いていく。はしゃいだようにこちらの覗き込んで来るのは、いずれもある程度の年齢の者たちだった。パメラと同年代の者はいつもと違う夜会の空気に委縮し、いったい何が起こったのかと遠巻きに見つめているだけ。当然だ。


 こんな、こんな夜会は、パメラだって知らない。


 パメラにとって夜会とは、ひどく退屈で模範的なものだった。悪口も嫌がらせもおままごとのように可愛らしく、それならば平民の男たちとつるんで下町の怪しげな酒場キャバレイで遊ぶ方がよほど刺激的だった。だからこの計画を実行したのだ。この程度の奴らなら手玉にとれると、そう思ったのだ。

 伯爵夫人はすれ違いざまに、パメラの耳元で低くささやいた。



「―――私の故郷ではね、盗人は焼けた靴を履かされて死ぬまで踊り続けるのよ」





◇◇◇




「ああ、始まった始まった」

「懐かしいわね」

「十年ぶりだ」

「どのくらいもつ(・・)かしらね、あの子たち」

「あら、せめて私の番までは元気でいてもらわないと」

「昔からの宴の醍醐味だったものね。でも本当に久しぶりだわ。この十年、みんな気が引けていたから」

「悪目立ちして処刑でもされたらごめんだからな」

「ええ、十年前みたいにね」

「あれはひどかった」

「しっ。だめよ、口にしては」

「でも、それにしても驚いたな。あれはまるで―――」

「ええ、まるで―――」





「―――まるで、スカーレット・カスティエルが地獄の底から舞い戻ってきたみたい」







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