8-1
ファリスからの客人から衝撃的な事実を告げられた翌日。コニーの元をランドルフ・アルスターが訪れてきた。前触れはなかったものの、一応婚約者である。断る理由もないのでそのまま応接間へと案内し、お茶を楽しむことにした。
※
「……実は、だな」
ティースプーンで角砂糖を溶かしながらランドルフは重々しく告げた。その威圧感に、長閑だったはずのティータイムが全速力で逃げ出していく。
「は、はい」
コニーも思わず身構えた。
「……昨日、カスティエル家に行ってきて、」
しかし、それきり言葉が返ってこない。しばらく待ってから、コニーは「うん?」と首を傾げた。
―――グレイル邸の応接間。薫り高い紅茶と、ランドルフの好む甘さ控えめの木の実の小菓子はマルタが用意してくれたものだ。
コニーの目の前にいるのは精悍な顔立ちの青年だった。凛々しすぎておっかないがもう慣れた。今日は非番のため軍服ではないが、私服が葬儀帰りのように黒くても驚かない。そのくらいにはランドルフ・アルスターという人間のことを知っている。
だから、今日の婚約者殿がどことなく元気がないことにも気がついていた。様子だって少しおかしい。今も手元のティーカップに角砂糖を三つも入れている。普段はひとつも入れないのに、だ。
とぽん、という音を立てて四つ目の犠牲者がランドルフの指から投身されたのを見て、コニーは恐る恐る口を開いた。
「なにか、ありましたか?」
すると、ランドルフはわずかに目を見開いた。それから動揺するように視線を彷徨わせる。
「……ん?」
その珍しい反応に、コニーの方が驚いてしまう。やっぱり、おかしい。確かこういう時は何も気づかない振りをするのが大人のマナーなのだと定期購読している淑女の友に書いてあった気がするが、いかんせん、思い切り疑問を顔に出してしまった。上手く流せるような機転も思いつかない。
お互い見つめ合ったまま、しばらく時がとまる。
スカーレットが、ふん、と鼻を鳴らした。
『落ち込みたいのはこちらの方よ』
「……んん?」
『ランドルフ・アルスターはわたくしの家に行ったんでしょう? なら、答えはひとつじゃない。―――お父さまのせいだったということよ』
「……んんん?」
今、聞き捨てならないことを言われた気がする。
『ファリスから来たあの二人組の話を信じるなら、
それはつまり―――
『お父さまなら、国のために娘を売るくらい平気でやるわよ』
「カスティエル公爵が!?」
叫んだ瞬間、ランドルフがわざとらしく目を逸らした。「閣下!」コニーは思わず責めるような口調になる。何で今日に限ってわかりやすいのだ。
『ほら、やっぱりね』
スカーレットはそう言うと、どうでも良さそうに肩を竦めた。けれど見上げた先にあった表情が今にも泣き出しそうだったから、コニーはぐっと唇を引き結ぶ。悩んだのは、一瞬だった。
「……行こう、スカーレット」
『は?』
「カスティエル公爵に、会いに、行こう」
そう告げればスカーレットはぽかんと口を開け、ランドルフは低く唸った。
「グレイル嬢―――」
「とめたって無駄ですからね」
「……彼は、そんなに簡単に会える人物じゃないぞ」
確かに相手は王に次ぐ権力を持つと言われる大貴族だ。ちょっと前までのコンスタンス・グレイルなら端から無理だと諦めていただろう。
「今日が駄目なら、明日があります。明日が駄目なら明後日が。諦めなければ、きっと、いつかは会える」
けれど今は―――諦めなければ道は拓けると知っている。例え、それがどんなに困難だとしても。
ランドルフはひどく困ったように眉を寄せた。それから小さく溜息を吐いて、コニーの方を向き直る。
「……わかった。なら、公爵と面会の手筈を整えるから数日待ってくれ。―――いいか、あの厳重な警備の屋敷に忍び込むなんて以ての外だからな」
なぜだか知らないが、これでもかと言うほど念を押された。
全く、この人はいったいコニーのことを何だと思っているのか。もちろんスカーレットの『あら、バレたわね』という独り言は全力で聴こえなかった振りをした。
※
カスティエル公爵と会う日取りは明後日に定まったようだ。ランドルフも同行してくれるらしい。
『番犬のつもりかしらね』
スカーレットはいつものように三面鏡の
憎まれ口を叩きながら呆れたように肩を竦める態度は一見するといつもと変わらない。
―――けれど、その表情は、どことなく精彩を欠いているようにも思えて。
コニーは、よし、と気合を入れた。
「散歩にでも行こう!」
『は?』
「知ってた? 人って太陽に当たると元気になるらしいよ」
何でもないように明るく告げたつもりだったが、少々わざとらしかったらしい。スカーレットがじっとりした視線を投げつけてくる。彼女はそれから、ふん、と鼻を鳴らした。
『お前も知っていて? 死人は太陽を浴びると灰になるらしいわよ』
※
最盛期を過ぎたとはいえ、今だ太陽の輝きは衰えを知らぬようだ。眩しいほどの白光に手を翳していると、ふいに背後から窺うような声をかけられた。振り返れば、暗い
現れたのは、赤い癖毛に灰がかった暗緑色の瞳だった。コニーは思わず声を上げる。
「あめっ……!」
「しっ。静かにしてちょうだい。まだこの国にいるのがあの女に知られたら今度こそ殺される」
「は!?」
何とも物騒な発言である。しかし面食らうコニーにはまるで構わず、アメリア・ホッブスは手早く懐から取り出した資料を押しつけてきた。
「いやいやなにこれ」
また厄介ごとに巻き込まれては敵わないとコニーが慌てて押し戻そうとすれば、すっと身を引かれてしまう。
「遠慮しなくていいわ。私が集めてきたセシリア王太子妃に関する情報よ」
そう言うと、アメリアは得意気に胸を張ってきた。
「じゃ、そういうわけだから」
「……は?」
正直、意味がわからない。
心の声が伝わったのか、さっさと背を向け立ち去ろうとしていたアメリア・ホッブスは、足を止めてくるりと振り向いた。それから苛立ったように眉をつり上げる。
「ほんっと鈍いわね……! これを使ってあの女を窮地に追い込めって言っているのよ! あんた、そういうの好きでしょう!?」
いや、全く。真顔のまま首を横に振ったのだが、どういうわけか目の前の赤毛の視界には入らなかったようだ。解せぬ。
「いい? うまいことやりなさいね。ほとぼりが冷めたら戻ってくるわ。期待してるわよ、コンスタンス・グレイル」
アメリア・ホッブスはそう勝手に捲し立てると、待たせていたらしい二頭馬車に飛び乗った。馬車は、そのまま凄まじい速さで走り去って行く。
押しつけられた紙の束と砂埃を撒き散らされた公道を交互に見やりながら、コニーはぽつりと呟いた。
「なんだ今の……」
◇◇◇
「―――というわけでして」
その足でオブライエン邸にやってきたコンスタンス・グレイルは、先ほどの赤毛の急襲についてアビゲイルたちに説明した。
話を聞き終わったオルダスが、道端で腐った魚でも見つけたような表情を浮かべる。
「アメリアは数日前から行方不明だったんだ。だから、てっきり口封じで奴らに消されたんだと思ってたんだがな。案外しぶといのな、あいつ」
アメリアから渡されたのは未完成の原稿のようだった。そこらかしこに赤線や矢印、注釈などがあってひどく読み辛い。おそらく清書をして、どこかの出版社に送るつもりだったのだろう。
ざっと目を通せば、やや誇張的ではあったが、そこにはセシリアが娼婦の娘であること。そのことに気がついたケヴィン・ジェニングスという男が薬漬けの廃人になったこと。そしてケヴィンの入院先が、セシリアが代表を務める慈善団体が運営する病院だったことなどが書かれている。
≪カルヴァン・キャンベル伯爵から聖ニコラス病院の経営権を譲渡されたセシリア王太子妃は……≫
そこまで読み進めて、ふと引っ掛かった。
カルヴァン・キャンベル。その名をどこかで聞いたことがある気がする。それも、つい最近。
『これ、例の判事じゃない。ほら、アビゲイルに不当な判決を下そうとしていた』
「……ああ!」
すみれの会で裏帳簿を作っていたとしてキンバリー・スミスに引導を渡された某伯爵である。コニーは慌ててカルヴァン・キャンベルの記述を追った。
≪匿名の証言によれば、伯爵が病院を手放したのはセシリア王太子妃に忠実な財務監督官Sから圧力がかかったからだという。Sは陸軍局出身で次期財務総監との呼び声も高く―――≫
その時、くふふ、という笑い声が降ってきた。見上げれば、アビゲイルが可笑しそうに口元を吊り上げている。
「この記事、セシリアを告発する内容みたいだけど、もっと面白いことが書いてあるじゃない。きっとアメリアは気づかなかったのね」
「いや、実は私もさっぱりで……」
そう言って首を傾げれば、彼女はあっさりと続きを教えてくれた。
「あの男が例の組織とどういう関わりがあったのか気になってちょっと調べてみたんだけどね。カルヴァン・キャンベルはかなり悪知恵が働く男だったみたい。すみれの会以外にも裏金を作っていたのよ。今までその出処がわからなかったんだけど―――」
そこで一端言葉をとめて、笑みを深める。
「きっと、これだわ。キャンベルは連中と何らかの取引をしたのね」
アビゲイルは、聖ニコラス病院、という単語に指を置いた。
「この財務監督官Sというのは、おそらく、サイモン・ダルキアンのことよ。デボラの夫。確か十年前、アイシャの従姉に例の毒を渡したのもサイモンだったわね」
それはつまり、ダルキアンも【エリスの聖杯】に関わっている、ということだろうか。
コニーの背筋をぞくりと悪寒が走った。
『……アイシャ・ハクスリー』
鳥肌の立った腕を擦っていると、ぽつりと声が落ちる。
『エンリケ。セシリア。【
押し殺したような声には紛れもない怒りが滲んでいた。
『どいつも、こいつも……!』
激情を受けて、
『無礼にもほどがあってよ! だいたい、こんなにごちゃごちゃいたら誰に復讐したらいいのかわからなくなるじゃない! ちょっとはわたくしに気を使ったらどうなの―――!』
しかし、言っていることは無茶苦茶である。
『こうなったらそのエリスの聖杯とかいうくだらない計画を完膚なきまでに叩き潰して、わたくしの処刑に関わった人間を片っ端から引っ叩いてやるんだから……!』
吹っ切れたように勢い込むスカーレットを前に、ちょっと待て、とコニーは思った。確かにコニーは彼女の復讐を手伝うと決めた。そのことに偽りはないが、実はあまりにも内容がひどければ話し合おうとこっそり思っていた。なので、ビンタ程度で済むのであれば可愛いものである。その点に関してコニーに異議はない。
けれど、ひとつ、疑問がある。
即ち、今彼女の口から告げられたそうそうたる面子を、いったい誰が引っ叩くことになるのだろうか―――と。