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 この女は、誰だ。


 目の前で底の知れない笑みを貼りつけたコンスタンス・グレイルを見て、パメラ・フランシスは背筋を凍らせた。




◇◇◇




「そ、そんなことできないわ」

 半刻前、パメラの計画を聞いたブレンダは顔を引きつらせて弱々しく首を振った。

「じゃあ、マディみたいになってもいいのね?」

 無表情のまま告げると今度はひっと咽喉の奥で悲鳴を上げる。

 マディ―――マディソン・スコットは去年までパメラの取り巻きのひとりだった。陰気なブレンダと違い、明るくて頭の回転もそこそこ良かったのでパメラのお気に入りだったのだけれど、たまたま他の友人にパメラの悪口を言っているところを聞いてしまった。

 それから可哀想なマディはパメラの玩具になった。彼女はたったの数カ月程度で心を病んで、今は領地で静養している。

 がたがたと震えるブレンダに近づくと、頭につけられた髪飾りを思い切り引っ張った。きれいに結われた髪が乱れる。ブレンダが怯えた目でパメラを見てくる。その目をじっくりとのぞきこみながら、パメラは命じた。

「ねえ、ブレンダ、何度も言わせないで?私だって、何も無理にとは言わないわ。そうね、もしも―――もしもコンスタンスがあんたのみっともない髪について何にも言わなければ、そのまま帰ってきてもいいわよ」

 ブレンダは何度も頷いた。一縷の望みだと思ったのだろう。けれどそれはあり得ない。ブレンダには悪いが、相手はあのコンスタンス・グレイルだ。

 地味でぱっとしない彼女が、反吐が出るほどの『いい子ちゃん』だということをパメラはよく知っていた。




◇◇◇



 知っていた、はずなのに。


「泥棒、ねえ」

 パメラの計画は順調だった。ブレンダは予定通り髪飾りをコンスタンスに預け、パメラが広間の中央でそれを糾弾する。みんながコンスタンスを見ていた。コンスタンスを疑っていた。愕然としたコンスタンスが力尽きたように俯いて―――そして、顔を上げた時には何かが違っていたのだ。その【何か】が、何なのかはパメラにはわからない。けれど。


「ふふ、いったい、どちらが泥棒なのかしらねえ」

 ―――コンスタンス・グレイルが、こんな風に、底意地悪く笑える女だとは知らなかった。

「……どういう意味よ」

 余裕のある、嫌な笑い方だった。追い詰めているのはこちらのはずなのに、どうしてか追い詰められているような気持ちになる。それが不愉快で仕方なくてパメラは眉を顰めた。

 コンスタンスはにっこりと微笑むと、よく通る声で告げた。

「ねえ、ご存知?あなたが茂みではしたなく腰を振っていたお相手は、わたくしの婚約者さまなのよ?」

 品のない発言に周囲がどよめき、かっとパメラの頭に血が上った。よくも―――よくもこんな大勢の前でそんな出鱈目を!

「そんなことしてないわ!ニールとは口づけをしていただけよ!あなたって、なんて無礼なの!恥を知りなさい!」

「パメラ!」

 焦ったようなニールの声にパメラははっと我に返った。しまった。嵌められた(・・・・・)。コンスタンス・グレイルなんかに!

 パメラの言葉に、コンスタンスは意地悪く唇を釣り上げた。

「あらやだ、言い間違えたみたい。そうね。あなたは、ただ、口づけをしていただけだったわね―――他人の婚約者と。でもそれって立派な泥棒でなくて?」

 ふたりの関係は周知の事実であったが、噂のままであるのと、当人が認めてしまうのでは話が違ってくる。それも、こんな形で。明日にでもパメラ・フランシスはうっかり口を滑らせた間抜けな女だと噂になることだろう。屈辱に、ぐっと拳を握りしめた。けれどまだ負けたわけではない。痛み分けだ。いや、むしろ傷を負うのはコンスタンスの方だ。

「それでも、貴女がブレンダの髪飾りを盗んだ事実は変わらないわ」

 きっと睨みつけると、先程までの狼狽ぶりが嘘のようにコンスタンス・グレイルはあっさりと肩を竦めた。それから視線をぐるりと巡らせると、ある一点で留める。

 視線の先にはひとりの青年がいた。


「ねえ、そこの―――ええと、ちょっと待って今記憶をたどるから―――そう、ウェイン。ウェイン・ヘイスティング!」

 ウェインがびくりと肩を強張らせた。パメラは小さく舌打ちをする。なんて間の悪い奴なのだ。あの痩せっぽちは相変わらずパメラを苛々させることが上手だ。

 ウェイン・ヘイスティングはその昔パメラが取り巻きとともに苛めていた相手だった。

「あなた、見ていたわね?」

「ぼ、僕は―――」

 そばかすだらけの顔が、伺うようにパメラを見てくる。喋ったら承知しない。険を乗せて目を細めると、ウェインは青ざめながら俯いてそれきり黙り込んでしまった。コンスタンスがその様子をじっと見つめる。


「そう。言いたくないのなら、けっこうよ。あなた以外にも真実を知る人はたくさんいるもの。わたくし、こう見えて記憶力がいいの。―――キャンベル子爵夫人にブロワ男爵令嬢、それにペラム士爵もいたわね。あとは―――この子(・・・)は名前を知らないみたいだけど、レモン色のドレスのあなた。そう、あなたよ。あの時、こちらをご覧になっていたわね?ええ、いいわ。いいわよ。皆さま何もおっしゃらなくて大いにけっこう。だってこんなお粗末な茶番、調べればすぐに片がつくもの。ただね、わたくし、煩わしいのが大嫌いなの」

 そこで一端言葉を切った。にっこりと微笑む。自信に満ち溢れた顔だった。

「だからもう一度だけ訊くわよ、ウェイン・ヘイスティング―――下を向いていないでわたくしを見なさい。今のあなたの紳士らしからぬ振舞いを見たら、きっとお母さまがお嘆きになるでしょうね。……ええ、それでいいわ。よくできたわね。それでウェイン。あなたとは今後も良いお友達でいたいと思うのだけれど、あなたはどう思って?」

 友達も何も、コンスタンスとウェインは単なる顔見知り程度だったはずだ。けれど彼女は謡うように次々と言葉を紡いでいく。

「たとえば、無実の人間を冤罪に陥れることは許されることなのかしら?なら、その事実を知りながら保身のために沈黙を選ぶ人間は?わたくしはね、こう思うの。そんな人間は地獄に落ちるだろうし、見て見ぬふりをしていた者も同罪だって。……ねえ、ウェイン、想像してみて。もしも真実がつまびらかになった時、あなたはどんな立場になって、どんな風に噂されてしまうのかしら―――」

 ウェインは明らかに動揺していた。視線が泳ぐ。もう一度パメラの方を見ようとして―――

「こちらを見なさい、ウェイン・ヘイスティング。わたくしから目を逸らすなんて許さなくてよ」

 その言葉に、ウェインは、はっと前を向いた。視線の先には、コンスタンスがいる。衣装も化粧も地味な癖に、なぜか得体の知れない威圧感を放っている。気弱なウェインは次第にそのプレッシャーに耐えられなくなったのだろう。顔色が真っ青を通り越して真っ白になっていく。それから、とうとう震えながら口を開いた。

「……み、みた」

 その瞬間、コンスタンスが破顔した。それは完全な捕食者の笑みだった。

「僕、み、見ました。コニーは盗んでない。ただ彼女の乱れた髪を直してあげていただけだ。それに、それにブレンダは髪飾りをコニーに預かっていて欲しいって言ったんだ……!」

 ―――あの役立たず!パメラの目の奥が怒りでチカチカと瞬いた。周囲の目がなければあのそばかすの浮いた頬を引っ叩いてやるところだった。

「わ、私も聞きました」

 厄介なことに、レモン色の女性もか細い声を上げた。すると「わたくしも見ていたわ」「私も聞いたぞ」「その子の言う通りだ」「髪飾りを手渡していたのも見た」と次々に声が上がっていく。なんなのだ、これは。

 今度は猜疑の眼がパメラに向けられた。詰るように突き刺さってくる周囲の視線に足がすくむ。こんはなはずじゃなかった。こんなはずでは。ニールまでもが腕を汲んで難しそうな顔をしてくる。

「本当なのか、パメラ」

「違うのよ。だってブレンダが……そうよ!ブレンダが私に嘘を……!」

 そうだ。ブレンダのせいにしてしまえばいい。私は何も知らず、ただ助けを求める友人のために動いただけだ。ブレンダに話を合わせるよう命令するために視線を向けると―――


「―――可哀そうに、ブレンダったら怯えているじゃない」

 それはどこかで聞いた言葉だった。見れば、コンスタンスが慈愛に満ちた表情を浮かべてブレンダに微笑んでいた。相変わらず、地味でぱっとしない顔だ。なのにどういうわけか、ひどく、美しく見える。ブレンダが魅入られたようにコンスタンスを見つめている。

「いいのよブレンダ。何も言わなくていいの」

 コンスタンスは先ほどのパメラの台詞を一言一句間違えずに繰り返した。ブレンダの瞳から涙があふれ頬を伝う。パメラはぐっと唇を噛みしめた。


 もはや勝敗は火を見るより明らかだった。



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