7-12
「ああ、まったく、嘆かわしいったらありゃしないよ!」
その日、薔薇十字通りの誇る麗しき花園、【
「人がせっかくの休暇を若いツバメと楽しんでたって言うのに、どっかの駄犬が指名手配だって!? びっくりして帰ってきちまったよ!」
見た目は上品で身綺麗な老婦人なのに、びっくりするくらいはすっぱな言葉遣いである。ふかふかのソファに腰掛けお茶を嗜んでいたコニーは、思わず目を白黒させながらその闖入者を見上げていた。
「オードリーってばそんなに怒るとまた血圧上がっちゃうわよー」
コニーの隣にいた売れっ子娼婦のミリアムが、たわわな胸を揺らしながら気楽な調子でそう告げる。
オードリー、と呼ばれた御婦人はミリアムとコニーには目もくれず、壁際に置いてある長椅子に向かってぴしりと指を突きつけた。
「だいたい、なんで指名手配中の殺人犯がここにいるんだい!」
その上で寝そべり新聞を広げているのは、オルダス・クレイトンその人であった。
彼はちらりと横目で婦人を見ると「うるせえ、守銭奴婆」とぼそりと呟き、また新聞に視線を戻した。その態度を目にした老婦人はぴくりと眉を釣り上げ、よく通る声で一喝する。
「お前、子爵夫人を殺したんだって? 信じがたいほどの馬鹿だよ、まったく―――足がつくようなヘマをするなんざ男の風上にも置けないね! やるんならもっと上手くおやり!」
「……今回は嵌められただけだ。いつも失敗してねえだろ」
「いつかアンタはやらかすと思ってたよ、この野良公!」
「聞けよ! だから、俺じゃねえって……!」
オルダスはとうとう新聞を放り投げると上半身を起こして応戦した。もちろん老婦人も黙ってはいない。オルダスと婦人は互いに睨み合い火花を散らすと、そのままぎゃあぎゃあと言い争いを始めた。
そんな二人の様子をコニーがおろおろと眺めていると、ミリアムがこっそりと耳打ちをしてくる。
「オードリーはねー、昔この館で一番の売れっ子だったんだってー。時の流れって残酷よねえ」
「ばかね、ミリアム。聞こえるわよ」
ちょうど焼き菓子を持ってきたレベッカが呆れたように鼻を鳴らした。彼女は慎ましやかな胸元を持つ勝気そうな美女である。
「レディ・オードリーは私たちの先生なのよ」
レベッカの言葉に首を傾げるコニーを見て、ミリアムが笑いながら補足をしてくれた。
「殿方の転がし方を教えてくれるの。あとは化粧やドレスの選び方とか。それに話し方や仕草、一般教養なんかもね。店の子を育てるのはオードリーの仕事なの」
ひそひそと囁く声が聞こえていたのか、レディ・オードリーがようやっとミリアム達の方に顔を向けた。
「あたしに言わせりゃアビゲイルもセオドア坊ちゃんもまだまだケツの青いガキさね。それに、あたしゃこの館の管理を先代のオブライエン公から直々に任されてるんだ。ここを守る義務があるのさ。だから―――」
そこで一端言葉をとめて、ぎろりとオルダスを睨む。
不穏な空気に、コニーは慌てて立ち上がった。
「し、指名手配されているのはメイフラワー社のオルダス・クレイトンさんですよね!」
一瞬の沈黙。それからすぐに、鋭い視線がコニーを射貫いた。後退りたくなる気持ちを奮い立たせて、言葉を続ける。
「だったら【
聞き終える否や、オードリーは不愉快そうに眉を釣り上げた。腕を組み、コニーを値踏みするように頭のてっぺんから爪先までねめつける。
「……お前は?」
「こ、コンスタンス・グレイルです」
彼女は険しい表情のままミリアムとレベッカの方を向き直った。
「いつからうちはこんなちんくしゃを雇うようになったんだい!」
「えーコニー可愛いじゃない」
ミリアムが唇を尖らせた。老婦人は面食らったように言葉を呑み込み、それから目の前の
―――【
幸いなことに、憲兵総局も例の組織もオルダス・クレイトンと薔薇十字通りのルディが同一人物だとは気づいていないらしい。だから館に身を隠していればしばらくは安全なはずだというのが彼女の言い分だった。
アビゲイルは今、オルダスの無実を証明するために奔走している。コニーは、手の離せない彼女に代わってオルダスの様子を見てきてくれないかと頼まれていた。ついでにそろそろ『レディ』が帰ってくるはずだから上手く宥めておいて欲しいとも。
上手くいったかどうかはわからないが、とりあえず今のところオルダスは館を追い出されずに済んでいるようだ。
アイシャ・ハクスリーが何者かの手に掛けられてから一週間。
部下が殺害容疑で指名手配された責任を取り、メイフラワー社取材部の編集長であるマーセラは辞職した。
そして新たな編集長に抜��されたのは、どういうわけか、あのアメリア・ホッブスだったのである。
『あの赤毛、悪魔に魂でも売ったのね』
スカーレットが不愉快そうに唇を釣り上げる。全く以ってコニーも同意見だった。
◇◇◇
レディ・オードリーは忙しいらしく、「働かざる者、食うべからず!」と言ってオルダスの耳を引っ張りながら姿を消した。ミリアムとレベッカもそろそろ身支度を整える時間らしい。去り際に「死神閣下がもうすぐ迎えに来るみたい」と教えてもらったのでコニーはこのまま待つことになった。
カップの持ち手に指を掛けたままぼんやりと考え込むコニーを見て、スカーレットが怪訝そうに首を傾げた。
『どうかしたの?』
コニーは躊躇いながら口を開いた。
「……アイシャが殺されたのは、十年前の事件が原因だよね?」
『でしょうね』
「スカーレットは、リュゼ邸に仕込まれていた毒がジャッカルの楽園だったかもって言っていたよね? もしそうだとしたら、きっと、【
『ええ。わたくしも、そう思うわ』
そして、それだけではない。十年前の出来事以外にも―――
「リリィさまが亡くなられたのにも、たぶん関係してる」
キリキ・キリククという言葉。それに、ケイトを攫ったホセという男も言っていた。
『……そうね』
「だからあの鍵の謎と、エリスの聖杯という言葉の意味がわかれば―――」
事件解決の手がかりになるのではないか。そう続けようとした時、背後から声が掛けられた。
「鍵を製造した工房なら特定できたぞ」
思わず振り返った先にいたのは―――
「閣下……!」
いつの間にかやってきていたランドルフ・アルスターは、あっさりと頷くと、懐から鈍色に光る何かを取り出した。
手のひらに乗る、シンプルな
「残念ながら、これは正確には鍵ではなかった」
「……へ?」
「形は鍵だがな。差し込むべきものがない。つまり、
ランドルフはそう言うと、円環部分にある型番を示す刻印を指さした。
「この刻印は、リリィがわざわざ打たせたそうだ」
コニーは息を呑んで目を凝らした。そこにはP10E3という文字が刻まれている。
これが製造番号ではなく、リリィ・オーラミュンデの遺したメッセージだとしたら。
つまり、と低い声が耳朶を打った。
「つまり―――解くべき謎はそこにある」
ものっそい今さらなんですけど、作中にしれっと出てくるアルファベットはアデルバイド文字を日本語表記(英語)に翻訳しているとものと思って頂ければ幸いです。強引でごめんなさい。