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「―――以上がアイシャ・ハクスリー殺害の件の報告になります。物的証拠が何もない以上、オルダス・クレイトンを容疑者とするにはいささか早計かと」


 繊細な飾り彫りの施された扉を背にして、ランドルフはそう結論づけた。

 王立憲兵総局の一室。最上階のさらに最奥にあるそこは、実用性を重んじる局内で唯一豪奢な内装が許されている。賓客を出迎える目的もあるからだ。そのため入ってすぐに来客用のソファがあり、左右の壁にはそれぞれアデルバイドの国旗と王立憲兵の印章が掲げられている。

 ソファの奥には艶やかな木目を持つ稀少なポラードオークの執務机と、黒い牛革張りの肘掛け椅子(アームチェア)が置かれていた。

 憲兵総局の頂点を意味するその席に座ることができるのは、この局内でただ一人のみである。


「ゲオルグ・ガイナは目撃者がいると言っていたが」


 ()()()部下ランドルフの報告を聞きながら、執務机に並べられた書類に目を通し、次々にサインと公印を押していった。


「証言を確認すればわかることですが、被害者の傍にいたのを目にしただけです。犯行の瞬間を目撃したわけではありません」

「そうだな。だが、オルダス・クレイトンが逃亡したのは事実だ」

「それについても事情を訊いてみないとわかりません。いずれにせよ、現段階では重要参考人の域を出ないはずです。そもそも動機はなんでしょうか? もちろん彼の行方を追うのが先決ですが、同時にアイシャ・ハクスリーの交友関係にも目を向けるべきでしょう」

「ゲオルグ・ガイナはすぐにでも送検したいようだったがな」

「ええ。まるで目の前に筋書きでもあるようだ」

 言外に裏があるとランドルフが匂わすと、ぶっ、と噴き出すような音が聞こえてきた。見れば、男が口元に手の甲を押しつけたまま肩を震わせている。けれど堪えられなかったのか―――もともと堪えるつもりもなかったのか―――そのままげらげらと腹を抱えて笑い出した。

 笑いの発作が治まると、男はふーっと長い息を吐く。

「……前から思ってたけど、あいつちょっと詰め甘いよな?」

 気品ある執務机にだらしなく肘をつきながら、王立憲兵局総司令官のデュラン・ベレスフォードは意地悪く笑った。白髪交じりの髪を後ろに流した鋭い目つきの男だ。強面に反して笑い上戸で面倒見も良いため、部下からは『おやっさん』と呼ばれ慕われている。

 デュランは笑い過ぎて目尻の皺に溜まった涙を指で払うと、あーそうそう、とついでのように口を開いた。

「―――スカーレット・カスティエルのこと色々と調べてるみたいだな。お前がっつーかお前の婚約者だけど」

 その言葉にランドルフはぴくりと眉を動かすと、無言のまま目を細めた。

「……おいランドルフ、言っとくけど俺は上官だからな。それも総司令官だから。めっちゃ偉いから。だからそんなおっかねえ顔すんじゃねえ。夢に出てくんだろが、夢に。つーか、大方アイシャ・ハクスリーが狙われたのもそのせいなんだろ? 十年もだんまりを決め込んでいた相手を落とすとはたいしたもんだ。他にも色々やらかしてるみたいじゃねえか、あのグレイル家のお嬢さんは」


 ―――ファリスとの国境沿いにあるベレスフォード領はデュラン曰く『くそド田舎』らしく、彼は普段から辺境訛りの口の悪さを隠そうともしていない。もともと気ままな五人兄弟の末子であり、ろくに貴族教育も受けず領民たちと遊びまわるような幼少期を送っていたらしい。

 田舎のガキ大将はそのまま北方の蛮族から領地を守る戦士となり、その功績を耳にした中央軍部から声がかかり三十年ほど前に王立憲兵に入局した。

 戦場を辺境から王都に、敵を蛮族から犯罪者に代えてもその手腕は落ちることなく、デュラン・ベレスフォードは歴代最年少で総司令官の座まで上り詰めた。


 ちなみに入局以来幾度も死地を潜り抜けては生還し、十年前に至っては奸計に陥れられあわや処刑の危機にもなったが、やはり寸前で釈放されたため、ついた二つ名が『不死身のデュラン』である。


 ランドルフは溜息をつくと、「よくご存じで」と肯定した。取り立てて隠していたつもりはないが、それでもさすがの情報網である。そこでふと疑念が過ぎった。

「まさか、スカーレットの冤罪のことも?」

 何か知っているのか。そう思って訊ねてみたが、デュランは軽く肩を竦めただけだった。

「―――さてな。それよりも、今はファリスだ。この前の報告であちらさんが戦争の準備をしてるって言っていたな。なら相手は間違いなくこの国だ」

 唐突な台詞に、ランドルフは面食らった。

「……お言葉ですが、ファリスとは、何十年にも渡り友好関係を築き上げています。こちらが何か仕掛けたのであればともかく、現状では向こうに戦争を起こす大義がありません。突然の侵略行為が始まれば周辺国も黙ってはいないでしょう」

 確かに隣国で不穏な動きがあった。それは事実だ。しかしその牙がまさか自国に向けられるとは考えていなかった。あちらこちらに導火線があった何百年も前ならともかく、今のアデルバイドとファリスは同盟関係にある。平和条約もすでに締結しているのだ。それを一方的に破棄するとなれば、近隣諸国もファリスに対して何かしらの制裁を与える運びになるだろう。当然、かの国は孤立することになる。

 そう告げたランドルフの主張を、デュランは鼻���笑って退けた。

「大義? そんなもんは作ればいいんだ。知ってたか、ランドルフ。この国はなあ、けっこう疎まれているんだぜ」

「……疎まれている?」

「アデルバイドは水にも資源にも恵まれている。たかだか数百年ほどの歴史しかない国が発展していくのを妬む奴らは多いんだよ。特に、ファリスにしてみたらもともと自分たちの領地だったものだろう。手に入れて何が悪いと考えてもおかしくはない。自国が困窮していれば猶更だ」

「しかし、本当にアデルバイドに戦争を……?」

 ランドルフが困惑していると、デュランは苦笑しながら頷いた。そして呟く。

「とめるさ、もちろん」

 それは、ひどく静かな声だった。 


「それが俺の―――生かされた人間の役目だからな」


 そうして射るように鋭い眼差しをどこか遠くに向ける。ランドルフはその視線の強さにされながら、そう言えば、と思い出していた。


 そう言えば―――十年前、謂れのない罪で投獄されたデュランが釈放されたのは、スカーレット・カスティエルの処刑が行われてからちょうど一月後のことだった。


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