7-9
事態が動いたのは、それから数日後のことだった。
アビゲイルの招集を受けたコニーは、ランドルフとともにオブライエン邸を訪れていた。何でも火急の用件らしい。
応接間にはすでにアビゲイルと、そしてオルダス・クレイトンが待っていた。
「―――昨日、メイフラワー社に連絡が来た。アイシャ・ハクスリーが十年前のスカーレット・カスティエルの処刑の件に関して罪を告白したいそうだ」
オルダスがそう告げると、室内は水を打ったように静かになった。コニーは目を見開いて固まり、スカーレットは眉を顰め、ランドルフはゆっくりと瞬きをする。
最初に沈黙を破ったのはアビゲイルだった。彼女は「大スクープでしょう?」とにっこりと微笑んで見せる。
驚きのあまり凍りついていたコニーは、そこでようやく声を上げることができた。
「へ……!?」
ランドルフが、ふむ、と顎に手を当て呟く。
「てっきり【
見張りからの報告では、ここ数日アイシャ・ハクスリーが外部の人間と接触しようとする様子はなかったという。ランドルフもアイシャの動向が気になっていたようだ。
コニーは「生きて償ってほしい」と告げた際に、小さく頷いていたアイシャの姿を思い出す。これが、彼女の出した答えなのだろうか。
「それだけスカーレットと対峙したことが堪えたんでしょうね。それに、もしかしたら関わりがあるだけで実際には仲間ではないのかも知れないわ。少なくとも十年前は接点がなかったようだし」
確かに、セシリア・リュゼの暗殺未遂事件について語る彼女の口からは、ジャッカルの楽園も、【
だとすれば―――本当に何も知らなかったのだろう。
「アイシャはスカーレットに傾倒していたわ。いつ自責の念に駆られて真実を公表してもおかしくなかった。あの事件の黒幕が【
アビゲイルは嫌悪感も露に目を細めた。
「傷ついた心につけ入るのは容易だったはずよ。薬漬けにしてしまえば本人の罪悪感も薄れるし、行動も監視しやすい。数年ほど前からアイシャには情夫がいたらしいわ。おそらくその男が組織の人間で、アイシャ・ハクスリーはジャッカルの楽園を定期的に購入する上客―――といったところではないかしら」
そこで一端言葉が途切れ、続きをオルダスが引き継いだ。
「コンスタンス・グレイルの話だと、アイシャは毒を仕込んだが、それ以外に関しては何も知らなかったんだろう? ってことは、捕まえたとしてもたいした情報は出てこない。むしろ、これは願ってもない好機だ。先手を打って、奴らに打撃を与えることができる」
「まさにペンは剣よりも強しというやつね。それに、いくら奴らが証拠を握りつぶして真実を隠そうとしても、人の口には戸が立てられないわ。記事が出れば確実に王都中で話題になる。そうなれば他社も競うようにして関連記事を出してくるはずよ。そして十年前の事件を見直そうという動きになるわ。民衆の声って意外と無視できないものなのよ。そこを利用するの」
コニーは呆気に取られながら、その息の合ったやり取りを聞いていた。
もちろん、願ってもない展開だ。アイシャが証言を行い、十年前の暗殺未遂事件が見直されるのであれば、きっとスカーレットが犯人だという前提も覆ってくる。
しかし―――
「どうした、グレイル嬢」
浮かない顔に気づいたのか、ランドルフが声を掛けてくる。コニーは躊躇いがちに口を開いた。
「ええと、このこと……アメリア・ホッブスは」
脳裏を過ぎったのは、例の赤毛の女記者だった。彼女はスカーレットを散々に扱き下ろしていた。メイフラワー社に籍を置くアメリアが万一この件に関わってしまったら、せっかくの
「ああ、なるほど」
オルダスが苦笑した。アビゲイルが「どちら様?」と首を傾げると、「一応、ぎりぎり、同僚」と面倒臭そうな声が返ってくる。
「それについては大丈夫だ。……確か先週だっかな。部署が異動になったんだよ。今はファッションとか観劇とか、まあ、とにかく物騒じゃない内容の担当だ。本人は渋ってたけど、あいつ、上昇志向が強いせいで色々やらかしてたからな。この件はうちの
そうだったのか。コニーはほっと胸を撫でおろした。
懸念が取り払われると、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。思わずぱっと顔を上げて、スカーレットと目を合わせた。途端、迷惑そうな表情をされる。
それでも、コニーは口元が緩んでいくのをとめられなかった。
「とりあえず、これで冤罪は晴れそうだね……!」
スカーレットは、ふん、と鼻を鳴らした。
『あら、そんな程度ではわたくしの気持ちはちっとも晴れなくてよ』
不満そうに唇を尖らせながらいつものように憎まれ口を叩く。けれど、その瞳には言葉ほどの険しさはなかった。
『だってまだ―――あの女の頬を引っ叩いていないもの!』
◇◇◇
「―――慌ただしいわね」
引継ぎ資料の不備を指摘されたアメリア・ホッブスは、ほぼ一週間ぶりに古巣に足を踏み入れていた。
煙草の匂いの染みついた室内。どの机も資料や原稿の山で雑然としているのはいつものことだ。しかし、珍しく浮足立ったような空気に首を傾げる。
その呟きが聞こえたのか、後ろから大仰に嘆く声がした。
「何呑気なこと言ってんだよ、こんな大スクープの時に!」
その言葉にアメリアは、ぴくり、と眉を震わせた。
「……スクープ?」
思わず振り向いて聞き返すと、相手は一瞬面食らったように目を瞬かせ、すぐさま顔を強張らせた。
「あ、お前、部署変わったんだっけ。いけね、忘れてた」
がしがしと頭を掻いてそのまま立ち去ろうとする男を、アメリアは「ねえ!」と呼び止めた。
「水臭いわね。追う対象が変わっただけで余所者扱い? あたしたち、つい一週間前まで仲間だったじゃないの。そりゃあ、あたしが他社の人間だったら足の引っ張り合いをするかも知れないけど。今のあたしなんてどうせ何も出来ないんだから。スクープを取ったなら、せめてお祝いくらい言わせてよ」
男はしばらく逡巡していたが、ほんの数日前まで同僚だった相手に対する負い目もあったのか「誰にも言うなよ」と声を顰めた。
「実は、スカーレット・カスティエルの処刑に関する新事実を掴んだんだよ。もしかしたら希代の悪女は冤罪かも知れないぜ。これ以上詳しいことは言えないけど、来週中にはうちの独占記事が出せそうだ」
アメリアはわずかに目を見開いた。
「……それはすごいわね」
「だろ。―――ってどこ行くんだよ」
急に踵を返して部屋を出て行こうとする赤毛の同僚を見て、男が戸惑ったように訊ねてくる。
アメリアは立ち止まって振り向くと、至って明るく言葉を返した。
「やっぱり、あたしも負けてられないもの。でっかいスクープを探しに行くのよ」
そのまますぐに出て行ったため、一拍置いて放たれた「スクープって、お前、観劇担当だろ……?」という不思議そうな声は彼女の耳には届かなかった。
逸る気持ちを押さえて建物から出ると、足早に大通りに向かう。途中で辻馬車に乗り込んだ。
降りた先は王都の中心にある壮大な宮殿前だ。来賓用の受付に並び、取り次ぎを頼む。
「アメリア・ホッブスが来たと伝えてちょうだい」
どなたにですか、と小綺麗な女が事務的に訊ねてくる。
アメリアは、灰緑色の双眸を歪めて微笑んだ。
「―――財務監督官補佐のルーファス・メイよ」