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「アイシャって、スカーレットの信望者だったっていう……?」


 コニーが恐る恐る訊ねると、ランドルフは「ああ」と肯定した。

「スペンサー家は貴金属を取り扱う工房をいくつか所有している」

 スカーレットは腕を組むと、考え込むように眉を寄せた。

『……アイシャ・スペンサーなら、わたくしの耳飾りとそっくりのものを作っていてもおかしくないわ』

 確か、スカーレットに憧れるあまり、日頃から彼女の衣装に似せたものを用意していたと言っていたか。

「ハクスリー邸に行くと言っていたな、グレイル嬢」

「はい」

 アビゲイルの宣言通り、オブライエン邸から帰ってから数日もしないうちに、ハクスリー子爵から招待状が届いていた。

「もし、アイシャ・ハクスリーが十年前の事件に関わっていたとしても、自首でもしない限り立件はかなり難しいだろう。それに彼女は【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】と関わっている可能性もある。無茶はしないでくれ」

 コニーは神妙な面持ちで頷いた。

「……はい」



◇◇◇



 アイシャは苛々と爪を噛んでいた。自分でも悪い癖だとわかっているが、やめられないのだ。そのくらい気分は最悪だった。


 ―――子供だと高を括っていたコンスタンス・グレイルは、実はひどく悪知恵の働く卑怯者だった。


 彼女は、こともあろうにアビゲイル・オブライエンを使ってアイシャの夫に接触してきたのだ。何も知らない夫は公爵家とのつながりを手放しで喜び、すぐさまグレイル家の長女を屋敷に招いた。

 その日以降、アイシャの苛立ちは募るばかりで一向に収まる気配がない。


 爪が、がりがりと削れていく。割れてしまうとまた面倒なことになる。そう思って、引き出しから飴色のパイプを取り出した。やはりこれも、悪い癖だとわかっていた。けれど今は我慢できそうにない。

 丸いボウル部分にはすでに特注の葉が詰めてある。手慣れた仕草でマッチに火をつけると、火皿チャンバーに近づけ着火させた。

 ぷかぷかと吸い込みながら火加減の調節を終えると、ゆっくりといこんでいく。その瞬間、荒れた心が嘘のように凪いでいった。ゆらりと紫煙が立ち昇っては消えていく。


 最後の煙を天井に向かって吐き出した頃には、気分はすっかりと落ち着いていた。


 アイシャはパイプをテーブルに置くと、今度は窓に近づいていった。自室は二階なので、正門の様子を観察することができる。すぐに一台の馬車が邸内に入ってきた。降りてきたのは榛の髪を持つ少女だ。その姿を目にした途端、アイシャの心は再びざわめいた。

 コンスタンス・グレイルは、見れば見るほど平凡な少女だった。

 どうしてこんな小娘が、あのスカーレットに似ているなどという話になるのだろう。

 会えばわかるわ、と言ったのはエミリア・ゴードウィンだったか。声が甲高くて、頭が空っぽの男好き。あの女は、十年前からちっとも変わらない。

 お馬鹿なエミリアは上手く騙せたかもしれないが、自分はそうはいかない。アイシャは、誰よりもよくスカーレット・カスティエルのことを知っているのだ。


 どんな宝石よりも美しい紫水晶アメジストの瞳を持つ、誰よりも気高く傲慢なアイシャの女神。


 誰も、彼女の代わりになどなれない。この十年で、アイシャは嫌と言うほどそのことを思い知った。思い知らされた。スカーレットのいない舞踏会など、火の消えた暖炉の前で踊っているようなものだった。そして、アイシャが彼女のようになりたいと思う度に、どこかで声が響くのだ。


 ―――お前、わたくしを誰だと思っているの?


 アイシャはわずかに目を伏せると、念のために護身用のナイフをドレスに忍ばせる。


 それからほどなくして、侍女が客人の到着を告げに来た。



◇◇◇



「ようこそ、ミス・グレイル。歓迎するわ」

「こちらこそお招き頂きありがとうございます、ハクスリー夫人」


 コンスタンス・グレイルの淑女の礼は、確かにスカーレットのものとよく似ていた。けれど、似ているだけだ。彼女ではない。

 見ているだけで跪きたくなるような、あの神々しさはそこにはない。


「でも、驚いたわ。下級貴族である我が家に、わざわざオブライエン公爵家の使者がやってくるんだもの。蓋を開けてみれば、グレイル家からのお誘いだったわけだけど」

「申し訳ありません。どうしても夫人とお会いしたかったので」

 遠回しに嫌味を言えば、至って真面目な答えが返ってくる。内心どんな反撃が来るのかと身構えていたアイシャは拍子抜けしてしまい、用意していた言葉が宙に浮いた。

 まさかそれを狙ったわけではないだろうが、その隙にコンスタンス・グレイルが口を開く。

「さっそくですが、ひとつ、お伺いしたいことがあるのです」

 ―――やっぱり、来た。

 もちろん続きは聞かずともわかった。スカーレットのことだ。おしゃべりでお馬鹿なエミリア・ゴードウィンは、ちょっと酔っ払っただけで目の前の少女と何を話したか一言一句漏らさず教えてくれた。内容さえ知っていれば対処は容易だ。アイシャには十年前のことで何を言われても動揺しない自信があった。

 けれど―――


()()()()()()()()()()?」


 告げられた言葉は、アイシャの予想とはかけ離れていた。


「―――え?」

「煙草ですか? ああ、でも、それだけじゃない」

 どくりと心臓が跳ね上がる。まさか、と思った。

「……なにを言っているのかしら」

「私の知り合いに、鼻と記憶力がすこぶる良い人間がいるんです。だから、あなたがこの部屋に入って来た瞬間に()()()()()()()

 地味なくせに堂々とした若草色の瞳が、まっすぐにアイシャを捉える。

「教えてください、ハクスリー夫人。どうしてあなたから―――ジャッカルの楽園の匂いがするんですか?」


 ―――気づかれた。


 ぶわりと二の腕が粟立った。足が震える。けれどアイシャはすべての動揺を押し殺して、何でもないことのように首を傾げた。

「なんの、お話しかしら?」

「刻み煙草に混ぜたのか、そういった用途で加工されたものを入手したのかはわかりませんが。でも、それは、ジャッカルの楽園ですよね?」

「……ジャッカルの楽園? ああ、十年前に流行った幻覚剤のことね」

 ようやっと気づいた、というように手を合わせれば、コンスタンス・グレイルは黙ったままじっとこちらを見つめていた。アイシャの背筋を冷や汗が伝っていく。無理矢理に笑顔を拵えると、何でもないように肩を竦めた。

「何か、勘違いをしているようね。今日はちょっと珍しい香水をつけたから、それじゃないかしら」

「香水、ですか」

「ええ。……遠い異国のものよ。だから名前を言っても知らないでしょうし、買うこともできないと思うわ」

 自分でも白々しい言い訳だとわかっていた。けれど構わない。この場さえしのげれば後は何とでもなる。いくらアイシャを疑っていても、コンスタンス・グレイルにはそれが嘘だと確かめる術はないはずだ。


 その時、ふん、と鼻を鳴らす音がした。


「―――あなたって笑ってしまうくらい嘘が下手くそなのね」


 小馬鹿にしたような態度に、かっと頭に血が上った。

「ずいぶんと失礼な子ね。もういいわ、帰ってちょうだい」

 言いながら、気分を損ねたことにしてこのまま相手を帰してしまおうと背を向けた。今ならまだ間に合うはずだ。コンスタンス・グレイルを帰したら、すぐに()()に助けを求めればいい。

「あらあら。()()()がばれて喚き散らすだなんて、まるで躾のなっていない子供ね」

 ―――どうしてだろう。場にそぐわぬ愉しそうな声は、間違いなくあの小娘のものだというのに。

 突然の傲慢な口調に違和感と、そしてどこか既視感を覚えて、アイシャは思わず後ろを振り返った。

 そこにいたのは、やはり榛の髪に若草色の瞳を持ったどこにでもいるような平凡な娘―――


 けれど、違った。


「覚えておきなさい、アイシャ・スペンサー。わたくしを騙そうとすることの方がよっぽど無礼な振舞いなのよ」


 顎を逸らし、わずかに目を眇め、まるで虫けらでも見るかのようにこちらを睥睨しているのは、コンスタンス・グレイルなんかではなかった。



「―――お前、わたくしを誰だと思っているの?」



 思わず平伏したくなるような圧倒的な存在感に、アイシャは大きく目を見開く。


「スカーレッ、ト……?」


 その姿を己が見間違えるはずがない。


 だってアイシャは、昔から彼女のことを誰よりもよく知っていたのだ。


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