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「じゃあ、状況を整理しよう」


 収納机ビューローに向かったコニーは腕まくりをして羽ペンにインクを浸した。天板の上には何枚もの羊皮紙が用意してある。これから今まで得た情報をまとめあげていくのだ。

 一番上に、十年前、と書きつける。


「まずは十年前のセシリア王太子妃の暗殺未遂の件ね。彼女のお屋敷の水甕に毒が入っていたっていうやつ。噂なら私も知っているんだけど―――そもそも、どうしてスカーレットが疑われたの?」

『あの腹黒が言っていた通り、きっかけは水甕の傍に耳飾りが落ちていたことよ。雫型の月虹石ね。セシリア付きの侍女が見つけたそうだけど、宝飾品にできる大きさの月虹石なんて、田舎からやってきた子爵が手にできるはずないもの。すぐにわたくしを連想したはずよ。運の悪いことに、その数日前にリュゼ邸を訪れていたの。エンリケを迎えにね。だってその日は観劇の約束をしていたんですもの。このわたくしを袖にしようだなんて、王族といえども恥を知るべきだわ』

 スカーレット・カスティエルがリュゼ邸に乗り込んだという話ならば聞いたことがある。彼女の悪女伝説のひとつになっているからだ。噂によれば使用人の制止も振り切り応接間に上がり込むと、セシリアを平手打ちし、エンリケを連れて帰ったらしい。

 目の前のスカーレットの表情を見るに、あながち噂は間違ってはいないのだろう。

 十年前という単語の下に、セシリア、と続ける。


『報告を受けたリュゼ子爵は、当初、事件をなかったことにしようとしていたらしいわ。公爵家を敵に回したくなかったんでしょうね。ただ、その侍女はセシリアのことをとても慕っていたらしいわ。セシリアの身を案じた彼女は、思い余って耳飾りを持ち出すと、そのまま憲兵総局に事の次第を訴えに行ったの』

「待って、その耳飾りは本当にスカーレットのものだったの?」

 月虹石は乳白色の鉱物で虹のような遊色を持っている。その神秘的な美しさと稀少性から、庶民はもちろん、貴族ですらおいそれと手が出せない代物なのだ。そんなものを普段から身に着けられるのは上級貴族くらいだ。―――カスティエル家のような。

 スカーレットは即座に「いいえ」と否定した。

『確かに雫型の月虹石の耳飾りは持っていたけれど、わたくしのものは手元に揃っていたわ』

「そのことは―――」

『もちろん伝えたわ。事情を訊きに屋敷までやってきた捜査官にね。なら証拠を見せろと言われたから目の前に突きつけて差し上げたのよ。確認のために持ち帰ってもいいかと問われて、どうぞご自由にと微笑んで了承したわ。だってわたくしが身に着けるものは、どれも職人がわたくしのために拵えた一点ものだもの。どれだけ似ていても、工房からデザインの原画を手に入れて調べればすぐにわかること。そう思ったの』

 確かにそうだ。オーダーメイドであれば既製品とは細部に差異があるだろうし、職人によっては自身の印を入れることもあるという。調べればスカーレットの言っていることが真実だとわかったはずだ。

 ならば、どうして彼女の疑いは晴れなかったのだろう。

 疑問が顔に出ていたのか、スカーレットはわずかに目を眇めた。

『数日ほど経って、鑑定の結果が出たの。渡した耳飾りの片方が贋物だったと言われたわ。捜査官が来ることを知って、慌てて似たものを用意したのだろうって。―――鑑定の前に、何者かが総局本部の保管庫でわたくしの耳飾りとリュゼ邸に落ちていたものとすり替えたのよ』

 コニーは目を見開いた。驚いた拍子に、ころん、と羽ペンが紙の上を転がっていく。

『結果的に虚偽の発言に捜査妨害。まあ他にも色々とあって、屋敷の捜索が行われることになったの。陛下も許可を出されたわ。というより、陛下の命でもなければカスティエル家にそんな振舞いはできないもの。後は知っての通り、わたくしの部屋から使いかけの毒瓶が出てきて―――そのまま連行というわけね』

 噂によれば被害者であるはずのセシリアは処刑をとめようとしていたらしい。そのことを訊ねると、スカーレットは鼻を鳴らした。

『表向きはね。確かに一度だけ、独房にいるわたくしに会いに来たわ。残念だって言っていたわね。内心どう思っていたかは知らないけれど。そもそもが婚約者のいる男に近づくような女狐よ? それも相手は王太子。腹が真っ黒じゃないとできやしないわ』

「スカーレットはセシリア王太子妃を疑っていたの?」

 気を取りなおしたコニーは、セシリア、という単語の横に、怪しい?とつけたす。

『……そうね。少し前までは自作自演だと思っていたわ。だって、わたくしが死んで一番得をしたのはどう考えてもセシリアだもの』

 確かに田舎者の子爵令嬢が王太子妃になったのである。絵に描いたような夢物語だ。

 そこでコニーは「うん?」と首を傾げた。

「少し前まで?」

『ええ。正直、今はよくわからない。だってあの女ときたら、ちっとも幸せそうじゃないんだもの』

 エルバイト宮で会ったセシリアを思い出す。彼女の笑顔はその始まりから終わりまで―――全て作り物だった。

「……本当に無関係って可能性は?」

『ないわね。少なくとも、何か秘密があるはずよ』

「秘密、って」

『あの赤毛も言っていたでしょう? セシリア・リュゼは孤児院上がりの庶子だって』

 コニーは羽ペンを置いて腕を組むと、ううむ、と唸った。

「だってアメリア・ホッブスの言うことだしなあ……」

『でも、実際に真相を突き止めたらしいケヴィン・ジェニングスは廃人になっているわ。それに、デビュタントまでセシリアの姿を誰も見たことがなかったのも本当よ。考えてみれば不思議な話だわ』

 言われるがままに庶子、リュゼ領、ケヴィンという単語を次々とセシリアと繋げていく。

『よく城下にお忍びで現れるという噂も、親しかった孤児院の少年とやらに会うためかも知れないわね。シシィだったかしら?』

 ―――彼女、同じ孤児院出身のサーシィだかシシィだかって名前の少年と将来を誓い合っていたらしいの。

 赤毛の女記者は確かにそう言っていた。

「でも、そんな相手がいるならどうして殿下と結婚なんて……」

『愛がなくても結婚はできるわ。貴族ですもの。だからずっとあの暗殺未遂は王太子妃になるための自演だと思っていたけれど、十年経ってもエンリケのことは相変わらず嫌っているようだし、お金や権力に執着している様子もないし―――なら実家が黒幕かとも考えたけれど、田舎子爵のリュゼ家にそんな力があるわけないのよね。今はほとんど縁を切っているようだし。……いったいあの女は何が目的で動いているのかしら』

 考えても答えは出そうになかった。コニーは悩んだ末に、少し離れたところに、シシィ、と書いておく。スカーレットはさらに続けた。

『十年前だけじゃないわ。今も何かが起きていて、それにセシリアが関係している。ファリスの第七殿下が誘拐された当日に外部からの商人が彼女の元を訪れているのも偶然にしたら出来過ぎだもの』

 バドという商人のことだ。堕胎薬の一件で今は出入りを禁じられているようだが、セシリアはずいぶん前から彼と懇意にしていたという。

『そういえば、ケイト・ロレーヌの証言にあった若い男はサルバドルと呼ばれていたそうね』

 バド。サルバドル。書いていて気がついた。字面が似ている。

『どちらも珍しい名前だけど、それも偶然かしら?』

「それって―――」

『ランドルフはあいつらが【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】だと言っていたわね。バドという商人がサルバドルと呼ばれた男と同一人物なら、セシリアもその組織に関係していると考えるのが妥当だわ。ケイト・ロレーヌの話では、薔薇十字通りでばら撒かれていたジャッカルの楽園も奴らが関係していたそうじゃない。いやだわ、そう考えると、とんでもない悪女ね。エンリケってば本当に女を見る目がないわ』

 ―――ジャッカルの楽園。

 ここ最近、その単語をよく耳にするようになった。

「……ジョン・ドゥ伯爵の夜会で倒れたご令嬢が持っていたのも、薔薇十字通りで売られていたのも、アビゲイルさんの弟さんが依存していたのも、ぜんぶその幻覚剤なんだよね」

『ケヴィン・ジェニングスもよ』

 コニーは手元の紙に視線を落とした。ケヴィンの名はセシリアと繋がっている。つまり、ジャッカルの楽園もセシリアと繋がっているということだ。

「ユリシーズ殿下の誘拐も、ケイトが攫われたのも、ジャッカルの楽園を蔓延させようとしてるのも【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】の仕業ってことか……」

 ランドルフも追っていると言っていた強大な組織。近づけば近づくほどに闇が広がっていく気がする。

 単語を書き連ねていると、ふと気がついた。

 十年前の話をしていたはずなのに、いつの間にか主題が今の事件になっている。


 ―――それはつまり、十年前の出来事と今起きている事件に関連性がある、と捉えていいのだろうか。


『ひとつ、大事なことを忘れているわよ』

 スカーレットは珍しく真剣な表情を浮かべていた。

『お前も襲われたわ。【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】に』

 コニーは、はっと息を呑んだ。そうだ。あれは―――

『ケイト・ロレーヌを攫った男は、()()()をしていたんでしょう?』

 キリキ・キリクク。悪い奴らを見破ることができる呪文。それを教えてくれた少年は、誰から聞いたと言っていた?

『さっきわたくしは、今も何かが起きている、と言ったけど、少し違ったわね』

 スカーレットの声はひどく静かだった。

『十年前から今に至るまで、()()()、何かが起きているんだわ―――この国で』


 おそらくそのせいで、リリィ・オーラミュンデは命を落とした。


『そして、それが、わたくしの処刑と無関係だったとは思えないの』

「……うん」

 コニーは頷くと、単語と線でごちゃごちゃに絡まったメモに視線を落とした。慣れないことはするものじゃない。見返しても何がわかるわけでもなさそうだ。けれど、ひとつだけ、言葉をつけたしておく。リリィ・オーラミュンデの最期の言葉を。



 ―――エリスの聖杯を破壊しろ。



 これは、いったい何を意味するのだろう。

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