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 皿からかっさらうようにして焼き菓子を口に放り込む。やけ食いである。ニールの姿はまだ見えない。ついでにパメラも。気づいたら大皿が空になっていた。迷わず次の皿に手をつける。

 口いっぱいに砂糖漬けのスミレを頬張っていると、おずおずと祝いの言葉をかけられた。振り返れば、男爵令嬢のブレンダがいた。コニーは、ごくん、とスミレを呑み込んだ。意外な人物の登場に目が丸くなる。

 ブレンダはパメラの取り巻きだった。気が弱くて、いつもおどおどしながら女王パメラの顔色を窺っている。

 定型の挨拶を終えると、彼女は明らかにほっとしたようにそそくさと踵を返した。そんなに嫌なら来なければいいのに。実は律儀な人間だったのだろうか?何気なくその背中を目で追って、コニーは「あっ」と声をかけた。

「ブレンダ、あなた、髪飾りが取れそうよ」

 そう言うと、ブレンダはぎくりと体を強張らせた。けれどコニーは気にしなかった。近づいて、後頭部を指さす。

「ほら、髪もほつれてきてる。飾りが落っこちでもしたら大変だわ」

「そ、そう、ね」

「いっそのこと取ってしまったら?」

 ブレンダはか細い声で「そうするわ」と呟いた。それはそれは悲壮な声だった。髪が乱れるのがそんなに嫌なのだろうか。「ちょっと触ってもいい?」

 コニーの提案に、ブレンダはあからさまに肩をふるわせた。心外である。別に取って食いやしない。少し悩んでからおずおずと頷いた彼女の栗毛色の髪をコニーは手早くまとめ直した。

「ほら、こうすれば髪飾りがなくても可愛らしいわ」

 励ますように告げれば、とうとうブレンダは泣き出しそうな表情になった。ますますわけがわからない。コニーもどうしていいかわからずに困っていると、彼女は俯いて、しぼりだすような声を上げた。

「あ、あの、私、ポーチを二階に置いてきてしまって。すぐに取ってくるから、それまで、こ、この髪飾りを、持っていて、もらえるかしら」

「ええ、もちろん。お安い御用よ」

 夜会のときは、コニーはいつもポーチを持っていた。ブレンダから手渡されたのは花飾りが施された金地に白いパールが連なった華奢な髪飾りだ。壊してはいけないとハンカチに包み、そっとポーチにしまう。ブレンダはこちらを振り返りもせずに階段を上がっていった。なんなのだろう、あれは。

 暴食のせいで口の中がすっかり甘くなってしまった。紅茶が欲しくて給仕を探す。すると近くにいた小柄な青年―――ウェイン・ヘイスティングと目が合った。どうやら今のやり取りを見ていたらしい。お互い面識はあるが、言葉を交わすほど親しくはない。軽く会釈すると、あちらも会釈を返してきた。



◇◇◇



 いつの間にかカドリールは終り、今はゆったりとした曲調に合わせて男女が輪を描きながらくるくると踊っている。

 ブレンダはまだ戻ってこない。ぼんやりと二階へと続く螺旋階段を見上げていると、そこから颯爽と姿を現したのはパメラ・フランシスだった。その傍らにはニールと、俯いたままのブレンダがいる。


「コンスタンス・グレイル!」

 パメラは広間中に聞こえるような甲高い声を上げた。

「あなた、とんでもないことをしてくれたわね―――」

 いったい何ごとかと、周囲の視線が一斉にこちらに向けられる。パメラがひどく満足そうに口の端を吊り上げた。

「あなたの家が大変なことは知っているわ。でも、だからと言って、これはちょっとやり過ぎではなくて?正直、品性を疑うわ」

 言葉を向けられたコニーにも注目が集まっていく。慣れない状況に、思わず上擦った声が飛び出た。

「な、なんの話?」

「あら、とぼけるつもり?でも無駄よ。―――あなた、ブレンダの髪飾りを盗んだでしょう」

 ―――ブレンダの髪飾りを、盗んだ?

 本気で何を言われているのかわからなくて、けれど敵意と悪意を向けられているのだけでは痛いほどわかって、コニーの心臓がどくどくと早鐘を打つ。

「ブレンダから聞いたわ。髪がほつれそうだから直してあげると言ったそうね。でも不思議ね。彼女が気づいた時には大事な髪飾りがなくなっていたそうよ。ねえ、コンスタンス・グレイル。そのことについて、あなたはどう思って?」

「どう、って」

「希少なイェラ海の涙真珠と、純金の髪飾りだもの。売れば金貨十枚にはなるでしょうね。お金に困っている人間にとっては咽喉から手が出るくらい欲しいものよね。ええ、ええ、気持ちは痛いほどわかるわ。あなたのお家の可哀そうなご事情はよく知っているもの」

「わ、私はブレンダに頼まれて……」

「頼まれて?そう、あなたは盗んでいないと言うのね?」

 事情を話したいのに矢継ぎ早に言葉を投げつけられて、答えるだけで精一杯になる。

「そ、そうよ、だって―――」

「なら、そのポーチを見せなさい」

「え……?」

「盗んでいないと言うのなら、見せられるはずよね?」

 コニーは思わず怯んだ。怯んでしまった。だって、中には、ブレンダの髪飾りが入っているのだ。そしてたぶん、顔に出た。今まで怪訝そうにしていたニールがわずかに目を見開く。

「コニー、君、まさか」

「違う!」

 コニーは叫んだ。けれどその手から強引にポーチが奪われる。ちがう、ちがうのに。パメラがポーチをひっくり返してテーブルの上に中身をぶちまけた。がしゃん、と硬質な音がする。あらやだ、と大袈裟な声がした。

「ねえコニー?あなたは盗んでないと言ったけど、これはいったいどういうことかしら。きちんとご説明頂ける?」

 ハンカチから金の髪飾りが顔をのぞかせていた。それを見て、ニールが黙り込む。周囲の人々が、ひそひそと何事かを囁き合った。

 ぐるぐると熱いものが咽喉までせりあがってくる。けれどコニーはぐっとこらえた。

「ブレンダから、頼まれたのよ」

 そうだ。コニーは、やましいことなどしていない。

 けれどパメラは残酷だった。残酷に、コニーを追い詰めていった。

「頼む?見たところ、これは特別かさばるものでも壊れやすいものでもないようだけれど。それなのに、わざわざ持っていてと頼まれたの?ブレンダに?たいして親しくもないあなたが?それは不思議なお話ねえ」

 同意するようにどこからともなく嘲笑が上がった。疑われているのだ。かっと体が熱くなる。コニーはたまらず声を荒げた。

「―――ブレンダ!」

 びくり、とブレンダが体を震わせた。

「ねえ、言って!あなたが私に頼んだのよね?ポーチを取りに行く間だけ預かっていてって。そうよね、ブレンダ?……どうして黙っているの?ブレンダ!ブレンダってば!」

 彼女は俯いて、背中を丸めてどんどん縮こまっていく。

「言い訳は見苦しいわよ」

 内容とは裏腹に、パメラの声は恐ろしいほど慈愛に満ちていた。

「可哀そうに、ブレンダったら怯えているじゃない。いいのよブレンダ。何も言わなくていいの。……ほら見たでしょう、ニール。こういう女なのよ」

 パメラはそう言って、ニールの腕に甘えるようにしだれかかる。

「すぐにでも婚約の異議申し立てをすべきだわ。れっきとした犯罪行為よ。結婚なんてしたら、ブロンソン商会の信用に関るもの」

 ニールは戸惑ったようにコニーと髪飾りを見比べていた。

「あ、ああ。そうだな。でも、証拠もないのに……」

「証拠?」

 パメラはせせら笑った。

「そんなの、ここにいる人みんなが証人になるじゃないの!ああそうだわ、ここには聖職者のハームズワース子爵がいらっしゃったわね。何なら今申し立てをしてしまえばいいんだわ。―――どなたか子爵を呼んできていただけないかしら?」

「ちがう、わたしは盗んだりなんて……」

 その言葉に、パメラがコニーに向き直った。軽蔑したように、吐き捨てる。


「何が【誠実のグレイル】よ。貴女なんてただの泥棒じゃないの」


「ちが―――」

 あまりの衝撃に、息ができない。助けを求めるように広間を見渡す。冷たい視線が並ぶ中、青ざめたウェイン・ヘイスティングと目が合った。あの時、彼も見ていたはずだ。縋るように視線を向けると、素早く首を振られた。面倒なことには関わりたくないとその顔に書いてある。

 ぐらり、と視界が揺れた。

 ―――だれか。

 あの場には他にも人がいたはずだった。見知った顔もいくつかあった。けれど、その誰もが口を閉ざしてコニーを見捨てた。 


 だれか、たすけて。


 じわりと涙がにじむ。喉の奥が熱い。わかっている。わかっているのだ。けっきょく、誰も助けてくれやしない。他人を助ける人などいない。


『―――いいわよ』


(え?)

 その声は唐突にコニーの耳元に落ちてきた。鈴が転がるような軽やかな少女の声。この声は、どこかで聞いたことがある。それも、つい最近。


助けてあげる(・・・・・・)


 愛らしい口調は、傲慢で、不遜で、けれどどうしてか惹きつけられる。


『でも、その代わり―――』


 コンスタンス・グレイルは、その言葉を最後まで聞くことができなかった。



 なぜなら突然ぱんっと何かがコニーの体に飛び込んできて、コニーの意識はそこでいったん途切れたからだ。



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