7-1
スカーレットはここ数日ご機嫌斜めだ。その理由と言うのは――
『なんだか最近わたくしの復讐が蔑ろにされている気がしてよ!』
これである。
◇◇◇
『それで、どうしてわざわざアビゲイル・オブライエンに会いに行かないといけないのよ!』
スカーレットはお冠だった。
―――怒っていても美しいだなんて、女神さまはちょっと不公平過ぎやしないだろうか。
コニーはランドルフからの手紙に目を通しながら、ふう、とため息をついた。そこには近況報告に紛れて、コニーが欲しがっていた
つまり、例のリリィ・オーラミュンデの鍵の謎はまだ解けていないということだ。
すっかり冷え切った紅茶を一気に飲み干すと、コニーは口を開いた。
「だって、アイシャ・ハクスリーに十年前の話を聞きに行きたいんでしょう? ハクスリー家って確か子爵だよね? 同じ下級貴族で、しかも私みたいな小娘がのこのこ話しかけても無視されるんじゃないかな。だから、公爵家のアビーさんから紹介してもらえれば、逃げも隠れもできないと思ったんだけど……」
そう言うと、スカーレットはぐっと言葉を呑みこんだ。それからつんと顎を逸らすと『わたくしもそう思っていたところよ』と白々しく
アイシャ・ハクスリー。
エミリア・ゴードウィンの夜会で一瞬だけ見かけた痩せぎすな女性。けばけばしいドレスに身を包み、娼婦のように真っ赤な口紅が印象的だったが、スカーレットが言うには十年前は暗くて地味な少女だったらしい。そして。
『あの子はわたくしの取り巻きというか―――信望者だったのよ』
スカーレットは
『当時のアイシャは、わたくしを女神か何かだと思っていたのではないかしら。だって初めて話しかけた時に泣いたのよ、あの子』
泣いた? コニーはぱちくりと瞬きをした。
確かにスカーレットの美貌はこの世のものとは思えないが―――
『その顔は信じていないわね。でも、そういう人間はアイシャに限らずいたのよ』
そう言うと、スカーレットは肩を竦めた。
『ただ、今思えばそこから彼女の行動に拍車が掛かっていったのかしら。たとえばわたくしがどこかの機会で赤いドレスを着れば、次の夜会では必ず赤いドレスを着てきたわ。青いドレスなら、青いものを。デザインまで似せてね。髪型も同じよ。と言っても、あの子は陰気だったから誰と踊るわけでもないし、いつも物言わぬ壁の花になっていたけれど。それで何か言いたげにこちらをじっと見つめてくるのよ。でも、わたくしが視線を向ければすぐに俯いてしまうの。そしてまたすぐにこちらを見てきて―――正直言って、何がしたいのかわからなかったわ。まあ、今の憑き物が落ちたような態度も相当理解に苦しむけれど』
コニーの背筋を何かひやりとしたものが通り抜けていった。スカーレットは何でもないことのように言っているが傍から聞いていると―――
それは、かなり異様な行動に思える。
『そう言えば、一度だけ目を見て話しかけられたことがあったわね。あれは、確かセシリアの暗殺未遂が起こる前のことだったわ』
スカーレットがふと何かを思い出したように呟いた。思わず「なんて?」と訊ねれば、彼女は組んだ手に顎を乗せながら面白そうに口を開いた。
『―――あなたになりたい』
沈黙が落ちる。
それは一体どういう意味なのだろうか。純粋に羨ましくなったのだろうか。美貌も地位も、完璧な婚約者でさえも手にしていた彼女のことが。もしくは他愛もない冗談か。それはコニーにはわからない。けれど。
―――けれど、どこか底知れぬ恐ろしさを感じるのは気のせいだろうか。
「……スカーレットは、なんて答えたの?」
『あら、決まっているじゃない』
彼女は愉快そうに目を細め、相も変わらず気品のある仕草で首を傾げた。
『スカーレット・カスティエルは、この世に二人もいらないのよ』
◇◇◇
相談したいことがあると手紙を送れば、アビゲイルはすぐに屋敷に招待してくれた。
オブライエンの紋章入りの迎えの馬車に乗り込むと、王都の中央にあるタウン・ハウスへと向かって行く。
ロマンスグレーの執事に先導されて通されたのはきらびやかな応接室だ。アビゲイルもすぐに来ると言われて、ゆったりとした長椅子に腰掛ける。ティーテーブルには紅茶と焼き菓子が用意されていた。白磁のティーカップを手に取ると、向かいの肘掛け椅子の後ろからぴょこっと何かが飛び出してきて、コニーはぎょっと目を見開いた。
「あなたがアビーの『可愛らしいお客さま』ですわね?」
きらきらと瞳を輝かせながら、そう声を弾ませたのは子供だった。おそらく十歳ほどだろうか。けぶるような金糸の髪に、大きな藍色の瞳。くるんとカールした睫毛。お伽噺に出てくる妖精のように可憐な少女だ。
「へ?」
しかし、誰だろう。コニーがぱちぱちと瞬きをしていると、少女はきょとんと首を傾げた。
「違ったのかしら? でも、アビーの言っていた通りとってもきれいな若草色の瞳だもの―――あなた、やっぱりコンスタンス・グレイルさまでしょう?」
「ええと……」
何と答えるべきなのだろうか。戸惑っていると、スカーレットが、ふん、と鼻を鳴らした。
『礼儀のなっていない子供ね。人にものを訊ねるのであれば、まずは自分から名乗るのがマナーでなくて?』
子供相手にも全く容赦のない物言いである。スカーレットの姿がこの子に見えないのは幸いだった。コニーがそう思ってほっと胸を撫でおろしてると―――
「おっしゃる通りですわね……! ルチアったら嬉しくて、つい……! 確かにレディらしからぬふるまいでしたわ、ごめんなさい……」
妖精は見る見るうち顔を曇らせて、しゅんと肩を落とした。
「……ん?」
「ええと、わたくし、ルチア・オブライエンと申しますの。……お許しくださる?」
「え、ええ。それより、今―――」
「よかったですわ! ついでにこのことはセバスチャンには内密にしてくださいますかしら? じいやってば、最近まるで意地悪な継母みたいなんですの」
『どこの屋敷にも小うるさい爺はいるものね。わかればよろしくてよ。以後お気をつけなさい』
「そうなんですの! 小うるさいのです! じいやときたら二言目には『淑女たるもの』って言うんですのよ! ルチアは淑女が嫌いになりそうですわ!」
『わたくしの爺もそうだったわ』
コニーはあんぐりと口を開けた。
「ちょっと待って……!」
動揺のあまり声が上擦った。しかしそれも仕方がないだろう。だってこの少女の態度はまさしく―――
「み、見えてる―――!?」
コニーが淑女らしからぬ叫び声を上げたのと、荒々しく扉が開いたのはほぼ同時だった。
「ルゥ!」
ずかずかと入り込んできたのは白いシャツ姿の長身の青年だ。
「こんなとこで何やってんだ、このじゃじゃ馬娘! 今日は客が来るってアビーから言われてただろうが!」
ほら行くぞ、と少女の腰に腕を回すと、そのまま麻袋のように軽々と担ぎ上げてしまう。呆気に取られるコンスタンスの前で、青年の肩の上に体を乗せられた愛らしい少女は「やれやれ」と言いたげなおしゃまな仕草で肩を竦めた。
「その台詞、ルディに言われたくはありませんわね」
「あ?」
青年が片眉をつり上げながらこちらを振り向いた。
「―――げ」
そして、所在なさげに小さくなっている客人の姿を認めると低い呻き声を漏らす。
―――ひどく罰が悪そうな表情を浮かべたその人は、メイフラワー社の記者にしてアビゲイルの忠犬であるオルダス・クレイトンであった。
コニーも気まずい気持ちのまま「ど、どうも」と軽く会釈を返す。
そして沈黙が落ちた。お互いそのまま固まっていると、「あら?」という声が聞こえてくる。聞き覚えのある、場違いに明るい声だ。
「あなた達、いったい何をやってるの?」
ようやっと現れたアビゲイル・オブライエンは、凍りついた室内をぐるりと見渡すと、そのままきょとんと首を傾げた。