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6-9(終)

 

「リリィさまの、鍵……?」


 コニーはフォークを手にしたままぱちくりと瞬きをした。ここはロレーヌ邸の南側にある日当たりのいいテラスで、コニーはケイトのお見舞いに、とびきり美味しいマルメロのタルトを持ってきていた。

 砂糖でことこと煮詰めたお日さま色の果実は薫り高い紅茶とよく合った。それをふたりでぺろりと平らげると、ケイトはふと真剣な表情になって言ったのだった。

「うん。あの男が言ってたの、リリィ・オーラミュンデの鍵を探してるって。よくわからないんだけど、コニーが持っていると思っていたみたい。……何のことか知ってる?」

 いや知ってるも何も―――



 ロレーヌ邸からの帰宅後、自室に戻ったコニーは盛大に頭を抱えた。

「忘れてた……!すっかり、忘れてた……!」

 言い訳をさせてもらうなら、このひと月の間に色んなことがあり過ぎたのだ。

『そんなことだろうと思ったわ』

 スカーレットは「わたくしは覚えていたけどね」とでも言いたげに肩を竦めた。コニーはばっと顔を上げる。

「な、なんで言ってくれなかったの…………!」

『だってわたくしはまだあの男に心を許していないもの。()()()()()()

 そう素っ気なく言うと、つん、とそっぽを向いてしまう。


 自分だってケイトが誘拐された時には閣下を信用して助けを求めるメッセージを託した癖に―――。


 コニーは、はくはくと口を開閉させると部屋中に響き渡るような大声を張り上げた。


「スカーレットの、意地っ張り―――!」




 ◇◇◇




 王立憲兵総局の対策室の一角で、コンスタンス・グレイルは深々と頭を下げていた。


「ごめんなさい……!本当にごめんなさい……!その、閣下を信用していなかったわけじゃなくて!ああでも確かに最初は怖かったし死神みたいだし、正直あんまり信用してなかったんですけど、ただ今は、ち、違いますし、これは、その―――」

『喋る度にどんどん墓穴を掘っているわよ、ばかコニー』

 冷静な指摘に冷や汗が頬を伝う。硬直していると、意外にも穏やかな声が彼女に掛けられた。

「―――理由を当てて見せようか」

 思わず顔を上げれば、表情に乏しいながらどこか茶化すような紺碧の瞳に出迎えられる。


「忘れていた」

「ううう」

 まさにその通りであった。がっくりと項垂れていると、こちらに向かって大きな手が差し伸べられる。

「例の鍵は持ってきているんだろう? こちらでも調べてみよう」

「閣下……!」

 コニーは温情に縋るようにそのごつごつとした手をぎゅっと握った。すると閣下が驚いたようにぽかんと口を開く。スカーレットが呆れたように腰に手を当ててこちらを叱りつけてきた。『このおバカ……!鍵よ、鍵!』その言葉にはっとして手を離すと、あたふたしながら手提の中から飾りひとつないシンプルな突起ウォードつきの鍵を取り出した。それから誤魔化すようにへらりと笑って手渡せば、ランドルフは困ったように首を傾げた。


「つーかさあ」

 一連の流れを目にしていたカイルの口から呆れたような声が漏れる。

「なんで閣下なの?君たち、一応、婚約してるんだよね?」

 その言葉にコンスタンスとランドルフはお互い顔を見合わせると、二人そろって首を傾げた。それからほぼ同時に口を開く。

「ええと、閣下は……閣下なので……」

「気にしたこともなかったな」

 ぴくり、とカイルの顔が引き攣った。

「コニーちゃんそれ答えになってないからね!?あとランドルフはもっと気にして!不自然だって気づいて……!ちょ、もうやだこの天然コンビ……!」

 そう言ってさめざめと顔を覆う美青年に、コニーは若干引きながらもそういうものかと納得をする。ならば―――

「アルスター伯……?」

 カイルがぱっと顔から手を離し、きっぱりと告げた。

「他人だね!それめっちゃ他人だね!」

「ええと、それなら、アルスター卿、とか……?」

「うん、ぜんぜん変わってないね!むしろ呼ぶなら下の名前だね!はい、どーぞ!」

 コニーは、うっとたじろいだ。だって下の名前、だなんて。


 そんなの、まるで―――本物の婚約者同士みたいじゃないか。


「…………ら、」

「ら?」

「ら、ら、らん……」

 言う傍から顔に熱が溜まっていき、次第に口ごもってしまう。

 挙動不審なコニーを見て、ランドルフはきょとんと首を傾げた。

「ラララン?」

 その瞬間、カイルがぴしゃりと声を放った。「お前は黙ってて!お願い!」ランドルフはちっともわかっていないように瞳を瞬かせた。

 そのやり取りにわずかに気持ちの余裕が生まれたコニーは意を決したように口を開く。



「―――ら、ランドルフ殿…………!」



 一瞬の静寂の後、呼ばれた本人はまるきりいつもと変わらぬ調子で言葉を返した。

「どうした?」


 カイル・ヒューズはとうとう額に手を当て天井を仰いだ。


「だから、どうしてそうなる……!」






 無事にリリィ・オーラミュンデの鍵も渡し終え、帰ろうとしたその矢先。玄関正面の受付を過ぎた辺りで、軽快な足音と共に屈託のない声が掛けられた。


「コニーちゃん」

 驚いて振り向けば、きらきらとした金髪に鳶色の瞳の派手な顔立ちの青年が、人好きのする笑顔を浮かべて立っていた。


「ヒューズ、様?」

「カイルでいいよ」

 カイル・ヒューズはそう言うとにっこりと笑った。それから、何の気負いもなく爆弾を落とす。

「さっき言い忘れたんだけど、君たちさ―――偽装婚約でしょ?」

 その宣告があまりに唐突だったため、コニーは取り繕うことも忘れて目を左右に泳がせた。それを見たカイルが盛大に噴き出す。

「わかりやすいなあ」

「い、いえ、その……!」

「あー大丈夫大丈夫、だいたい事情は想像がつくから。どーせうちの天然が言い出したんだろうし」

 カイルはそう言うと、あっさりと肩を竦めた。

「まあ、つまり君たちの婚約はいずれは解消されるってことだよね?」

「ええと……」

 口ごもるコニーを見て、カイルが「ほんと、わかりやすいなあ」と眉を下げて苦笑する。それから軽い口調でこう告げた。


「―――たぶん、知ってると思うけど。俺たちの仕事ってさ、時と場合によっては誰かを傷つけたり―――最悪命を奪ったりすることもあるんだよね。逆恨みされることも多いし。まあ、それで、何が言いたいかっていうと、我らがランドルフ・アルスターはその生い立ちからして色々背負っちゃってるしついでにクソ真面目で思考が斜め上だから、自分には人並に幸せになる権利なんてない―――って思い込んでやがるっていうことなんですよ。あーもーほんとあの天然ってばクソ厄介ー」

 コニーは、思わずカイルを見た。カイル・ヒューズはひどく真面目くさった表情で言葉を続ける。


「でも俺はね、あの堅物には、腹を抱えて笑えるようになってもらいたいわけです」


 そうきっぱりと言い切ると、彫刻のように整っているのにどこか軟派な印象の隙のある美貌をふっと緩めて、こちらを見てきた。


「―――ついでに言えば、一緒に笑う相手はあの堅物相手でも物怖じしない真っすぐな良い子だったらいいなと思ってるわけなんです」


 柔らかい表情で告げられたその言葉に、なぜだかコニーは胸が締めつけられるような気持ちになった。

「私は―――」

 けれど己にその資格があるとは思えない。だってコニーはたいして可愛くないし、間抜けだし、身分だって釣り合わない。

 わずかに視線を落として続けようとすると、カイルはおどけるように立てた人差し指を口の前に持っていった。

「その答えを言うのは俺じゃない、でしょう?」

 それから頭の後ろで手を組むと、わざとらしく白い天井を見上げて陽気に告げた。

「だって俺はさー嬉しかったんだよ。あいつがコニーちゃんを追いかけてベルナディアに向かった時―――珍しくうろたえている姿を見てさ。ランドルフは昔から痛みに強くて感情を殺すのが得意だけど、何も思わないわけじゃないんだ。悲しい時は泣いて、腹立たしい時は怒って、楽しい時は声を上げて笑えばいい。そんなことで誰も責めたりしないっつーのに誰かさんときたら頑なだから―――」


 そこで一端、言葉がとまる。


「だからね、コニーちゃん」


 カイル・ヒューズはまるでこれから世紀の悪事の片棒を担がせようとでもするかのように、悪戯っぽく口の端をつり上げた。



「これからもあいつを―――振り回してやってね」




 ◇◇◇




 聖ニコラス病院の正門の前でアメリア・ホッブスは苛立たし気に舌打ちをした。ここにはケヴィン・ジェニングスが入院しているのだが、何度訪れても門前払いを食らわされている。友人、同僚、親戚。どれを装っても駄目だった。まるで外部からの接触は徹底的に排除しようとしているかのようだ。

 腕を組んで白い建物を睨みつけていると、突然、背後から声を掛けられた。


「―――失礼、ミス・ホッブス?」


 振り返れば、中肉中背、どことなく気弱そうな顔立ちの三十半ばほどの男が立っていた。

わたくし、財務監督官補佐役のルーファス・メイと申します」

 そう言って差し出された名刺を無言のまま受け取ると、アメリアは器用に片眉を吊り上げて見せた。

「ところで、ミス・ホッブス。こちらへはケヴィン・ジェニングスへの見舞いに? この数カ月、何度も連絡を取られていたようですね。実は彼には横領の容疑がかかっているんです。どんなお話をしていたか教えて頂いても?」

「横領?ケヴィンが?―――まさか!」

 あり得ない発言につい咎めるような声が出た。しかしそれも仕方あるまい。彼の人となりを知っているから―――などと綺麗ごとを言うつもりはないが、ケヴィン・ジェニングスはこちらが辟易するほど杓子定規な男だった。しかも重度の潔癖症で神経質。誰が触ったともわからない金など横領するはずがないし、したところで使い道もない。

「……妃殿下の差し金ね」

 アメリアが不愉快そうに吐き捨てれば、ルーファス、と名乗った男が面食らったように訊ねてきた。

「どういうことでしょうか」

「しらばっくれないでちょうだい。いいわ、これもぜんぶ記事にするから」

 白々しい男の態度を一蹴すると、アメリアはさっさと歩き出した。メイフラワー社に帰るのだ。帰って、一連の流れを記事にしてやる。

「いいえ、本当に何のことか―――」

 困惑したような声が追いかけて来る。

「確かに、この病院はセシリア妃が代表を務める慈善団体が運営をしていますが―――」

 その言葉にアメリアはぴたりと足をとめた。怪訝そうに首を回すと、じろりと男を睨みつける。

「……聖ニコラス病院の経営者は、確か、キャンベル伯爵じゃなかった?」

「一年ほど前に伯爵家から妃殿下の所有する団体に権利が移管したんですよ。業績が悪化したわけではないので特に公にはされていませんが、私共にはそういった情報が入るので」

 その言葉の意味を理解すると、アメリアは猜疑に満ちた表情をゆっくりと好意的なものへと変えていった。

「―――あら。それならお互い情報を共有する必要がありそうね。ちなみにそちらはケヴィンの何が知りたいの?対価次第では教えてあげてもいいわよ」

 今度はルーファスが戸惑ったように眉を寄せた。

「……対価、ですか?」

「そうよ。当たり前じゃない」

 アメリアが断言すると、実直そうな男は考え込むような素振りを見せた。これは好都合である。

「そうね、たとえば―――」

 どんな情報を奪い取ってやろうか。思わず前のめりになって相手に詰めよれば、勢い余って足元が崩れた。がくん、と膝が曲がり重心が後ろに傾いていく。しまった。

 ―――倒れそうになるアメリアを支えたのは意外にもルーファスだった。肩に腕を回し、大丈夫ですか、とこちらに問うてくる。回された腕は力強く、その声は思いのほか近かった。そのままじっと顔を覗き込まれ、アメリアは思わず目を見開く。

 次の瞬間、あ、と思わず声が漏れた。




 ルーファス・メイは珍しいことに、瞳の中に二連の黒斑を持っていた。



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