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「―――ノーマン・ホールデン侯爵は十三年前に亡くなっている」


 グラン・メリル=アンの公式諸間ステートルームの一室を借り、頬に氷嚢を当てていたコニーはぱちくりと目を瞬かせた。

 ―――ノーマン?ノーマン・ホールデン……

「ああ!」

 唐突に思い出して声を上げた。確かベルナディアに向かう前に、ジョン・ドゥ伯爵の夜会にいたとスカーレットが告げた名前だ。スカーレットを見れば、ふふん、と得意気に胸を反らしていた。


『三女神に傾倒していた意地の悪い年寄りよ。趣味は説教でね。破産した貴族に延々と清貧を説くものだから、逆上した相手に刺されて死んだのよ。最期の言葉は“神よ、私を助けたまえ”―――死ぬ間際まであまりにも()()()ものだから、当時ずいぶんと噂になったわね』

 私を助けたまえ―――つまりあれは、()()()()()というメッセージを込めた発言だったということか。コニーは全く気づかなかったが、結果的にスカーレットの機転が功を奏してランドルフ・アルスターは応援を要請してくれたのだろう。

 本当に良かった、とコニーは胸を撫でおろした。

 ―――誘拐犯はランドルフ率いる憲兵隊により捕縛された。コニーはもちろん、ケイトも無事である。ただし、彼女は打撲と衰弱が見られたため今は医務室で治療を受けているが。


 犯人は本来であればそのまま総局に移送される手筈だったようだが、そこで思わぬ横槍が入った。

 ベルナディアを抜けた辺りで、なぜか王立騎士団が待ち構えていたのだ。王族の身辺警護が彼らの主な任務のはずなのだが、例の誘拐犯が先頃エルバイト宮に身分を偽って出入りしていた商人と繋がりがあると主張し、その身柄を要求してきたのだ。ランドルフは険しい顔をしていたが、相手の頑な態度に平行線だと察したらしい。頭が痛そうに溜息を吐くと、己も尋問の席につくことを条件に了承した。

 ついでに言えば、コニーとケイトも治療が済んだら事情を訊かれることになっている。実のところその件でも多少揉めたのだが、それに関してはランドルフが折れず、けっきょく彼が調書を取ることで話がついた。



「死んだはずの人間がいたとスカーレットが言い切るのなら、何か意味があるはずだ。当時を知る者からすれば、ノーマン候の最期の言葉はあまりにも有名だからな。それに、前にも言っただろう。―――君は、嘘が下手くそだと」


 そう言うと、青い瞳がコニーを捉えた。口調は咎めるものではないし、向けられる視線は穏やかだ。そして、そこに隠れるように滲んでいるのは―――安堵、だろうか。

「……ごめんなさい」

 そのことに気がつくや否や、謝罪の言葉がするりと口から滑り落ちた。ランドルフが首を傾げる。

「何に対しての謝罪だ?」

「その、心配を、おかけした、みたいで」

 すると相手は、まるきり意外なことを言われた、というようにわずかに目を見開いた。

「え」

 珍しく感情が浮かぶその表情に、コニーは慌てて先程の発言を引っ込める。

「そ、そうですよね!別に心配なんてしてないですよね!閣下はお仕事をされただけですもんね!ご、ごめんなさい、いやなんかそのうっかり……!う、う、うっかり調子に乗ってしまいまして……!」

 恥ずかしい。これは恥ずかしい。顔から火が出そうである。ぱたぱたと己を手で煽っていると、ランドルフがぽつりと声を漏らした。

「……そうか」

 それは、少し驚いたような、それでいてどこか納得したような声音で―――

「心配、したんだな、俺は」

「へ……?」

 コニーは思わず固まった。告げられた言葉を理解すると、じわり、と首から上に熱が溜まっていく。



 別の意味で顔から火が出そうであった。



◇◇◇



 ケイト・ロレーヌの治療が終わったとの報告を受けて医務室に赴くと、頬に大きな綿布ガーゼを貼られたケイトが寝台に腰掛けていた。


「コニー?」

 驚いたようにこちらを見てくるその顔は、徐々に血の気が戻ってきているようだ。ああ―――良かった。安堵のあまり体から力が抜けそうになる。涙を堪えたコニーがばっと駆け寄れば、応えるように腕を伸ばされ、強く、強く抱きしめられる。柔らかくて、あたたかい。―――生きている。


「……助かったんだね、私」

 ケイトの体は小刻みに震えていた。攫われ、暴力を受け、死まで覚悟していた。どれほど恐ろしかったことだろう。どれほどに、辛かったことだろう。コニーには、想像もつかなかった。

 危険な目に遭ってほしくなくて遠ざけたというのに、けっきょくはケイトを巻き込んでしまった。それも、最悪の形で。

 そのことをコニーは深く後悔していた。謝りたい。けれどケイトは嫌がるだろう。謝りたい、けれど、その行為で楽になるのは結局のところコニーなのだ。

 だから―――


 マロンブラウンの瞳と目を合わせる。


「ケイトに聞いて欲しいことが、あるの」



 そうしてコンスタンス・グレイルは、このひと月ほどの間に起こったことをすべて話した。



◇◇◇



「やっかいなことに巻き込まれちゃったのねえ。まあコニーらしいって言えばそうなんだけど」


 そうあっけらかんとケイトが告げるものだから、コニーは驚き、何度も目を瞬かせた。

「信じて、くれるの?」

 事実とは言え、どう考えても荒唐無稽な話である。嘘つきと罵られることも、頭がおかしくなったと怯えられることも覚悟の上だった。


 けれど、ケイトの態度は常と変わりを見せなかった。それどころか動揺するコニーを尻目に、ひどくいたずらっぽい仕草で口を開く。


「私はね、コンスタンス・グレイルという人間のことをよーく知ってるの。あの真っすぐな子が本当のことを話すと言ったんだから、これは何があっても、誰が何と言っても―――真実に決まっているのよ」



 ―――ケイト・ロレーヌはコニーをじっと見つめると、有無を言わさぬ力強さと堂々たる笑みを浮かべて、そうきっぱりと言い放ったのだった。




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