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※わずかですが流血描写があります。

 

 コンスタンス・グレイルはアナスタシア通りにあるブロンソン商会の本店に来ていた。店の軒先には城下の振興組合の一員であることを示す月桂樹の印章が入った紋章旗が吊り下がっている。


 ニールの謹慎はまだ完全には解けていないが、仕事はさせてもらえるようになったと聞いている。急な訪問だったが受付の女性に面会を希望すると、しばらくしてから奥の事務室へと通された。店内には活気があり、従業員の顔にも影がない。例の不買騒動は落ち着いたようだ。




「久しぶりだね、コンスタンス」

 洒落者だったニール・ブロンソンは、いつの間にか実直そうな若者に趣旨替えしていた。何の刺繍もない生成りのシャツに、至ってシンプルな灰汁色のズボン。以前はゆるく流していた髪も短く刈り上げている。驚きが顔に出てしまったのだろう、ニールが苦笑した。

「似合わないかな?」

「……ご、ごめんなさい。そうじゃなくて、その、意外で。ええと、それが最近女性に人気のスタイルなの?」

「いや、もう、しばらく女性はいいんだ……」

 そう言うと心をどこか遠くに飛ばしてしまった元婚約者を前にして、コニーは、そっと目を逸らした。


 キュスティーヌ夫人こわい超こわい。


 お互い軽い近況報告を済ませ、コンスタンスが、詳しいことは言えないがソルディタ共和国の商人について知りたいことがあるのだ―――と伝えると、ニールはすまなそうにこちらを見てきた。


「……ごめん。ブロンソン商会はソルディタ共和国へのパイプがないんだ」

 間髪入れずにスカーレットが『この三下商会……!』と暴言を吐いた。コニーも肩透かしを食らったような気持ちで目を瞬かせる。その反応は予想済みだったのか、ニールは表情を変えずに「だから―――」と続けた。

と面会できるように紹介状を書くよ」

「……彼?」

 コニーは首を傾げた。

「ああ。成り上がり者だけど、実力は折り紙つきだ。王都中の商会が束になっても彼の手腕には敵わないだろう」

 話しながら、インクを浸した羽ペンをさらさらと動かしていく。書き終わると炙った赤い蝋を封筒の蓋に垂らし、その上からブロンソン商会の印璽を押した。


「―――海運王ウォルター・ロビンソン。君も、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」



◇◇◇



「いやあ、びっくりしましたよ」


 年の頃は三十代後半。よく日に焼けた肌に大きな身体。絵本に出てくる海賊のように凶悪な人相。子供が見たら一瞬で泣き出してしまいそうな風貌の男は、コニーと型通りの挨拶を交わすと、その恐ろしい顔をくしゃっと歪めた。そうすると目尻が下がり、人懐っこさが滲み出てくる。まるで少年のような笑い方をする人だ、とコニーは思った。


 ―――ウォルター・ロビンソン。貧民窟から裸一貫でのし上がり、一代で財を築き上げた男。彼の()()は主に海上で、それまでアデルバイドと交流のなかった幾つかの国との貿易航路を開いた功績から士爵位を賜っている。


「まさかあの伝統あるブロンソン商会が、うちみたいな新参者に頭を下げる日が来るとは思ってもみなかったなあ。まあ、あそこの坊ちゃんの独断でしょうが」


 そう言うと、また豪快に笑った。


 自身の名を冠した【ウォルター・ロビンソン商会】は、国外にも支店を構え、社交界に疎いコニーですらその名を知っている上級貴族御用達の商事会社である。貴族とはいえ、子爵程度のグレイル家なんて相手にもされないかと思っていたので、コニーはこっそり安堵のため息を吐いた。


「お忙しいのに、わざわざ時間を取って下さってありがとうございます」

「何をおっしゃいますか。礼を言うのはこちらの方だ。ブロンソン商会は規模こそ小さいけれど准貴族の看板を三代続ける老舗ですよ。この歴史って奴だけはこっちが逆立ちしたって敵いませんからね。貸しを作れるなら万々歳ってわけです。―――あとは純粋に、あなたには、一度、お目に掛かってみたかったので」

 黄色がかった明るい灰の目が楽しそうにくるりと回った。

「実は、私の一番のお得意先はオブライエン公爵家でしてね。つい先日、アビゲイル様からあなたのお話を伺ったばかりだったんですよ。妹になる子だから何かあったらよろしくね、と」

 ―――アビゲイル?

 コニーは瞳を瞬かせた。

「あの人は面倒見がいいですから。……さて、この手紙によれば、私に聞きたいことがおありのようだ。どうぞ何でも聞いてください。あなたの力になったと言えば、夫人は喜んで涙真珠の首飾りでも月絹のドレスでも買って下さるでしょうからね」

 そう言うと、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる。どうやらウォルター・ロビンソンという男は、その海賊を思わせる豪放な見た目を裏切り、ひどく人好きのする性格のようだった。





「……ソルディタ共和国の商人バド、ですか。そんな男は聞いたことがないですね」


 しかめっ面で腕を組んだまま、ウォルターは首を捻った。

「ただソルディタの少数民族と言うのであれば、南方にあるカニエリ自治区の人間でしょう。彼らは秘密主義だからこちらが存在を知らなくてもおかしくはない。―――が、ラフィーナ地方の絨毯か。我々も取り扱っているのですが、あそこの人間は皆職人気質でしてね。組合が認めた人間にしか品物を卸さないから、扱える同業者は限られてくるんですよ。もちろん商売敵になるわけですから、他の連中がどこの国のどんな商会かも大抵把握しているんですが―――確か自治区の人間はいなかったはずだ」

 うーんと唸りながら顎に指を当てる。

「それに、いくらなんでも宮殿に出入りできるような人物を一度耳にしたことがないというのは不思議な話だ。こちらでも少し調べてみましょう。何かわかれば使いを送りますよ」

 そう言って、傍で控えていた秘書らしき人に何事かをことづける。

 さてそろそろお暇しようかと立ち上がった瞬間、あ、とコニーは声を上げた。それから、おずおずと口を開く。

「あの、あと、子流しの薬についても聞きたいんですが……」

「子流し?」

 ウォルターが不思議そうな顔をしてコニーを見る。その視線が、つ、と腹の方へと移動した。

「わ、私じゃなくて……!」

 青褪めながら叫ぶと、ウォルター・ロビンソンは、ぶはっ、と思い切り噴き出した。

「っく、冗談です。失礼しました。……いやあ、アビゲイル様が気に入るのもわかるなあ。それで、ええと、堕胎薬でしたっけ?まあ、それ自体は需要があるので比較的どこにでもあると思いますがね。どういったものを?」

「お茶として飲めるような状態になっていて、森のような香りがするものです」

「この辺りで繁用されているものは群生しているアミュラの根茎を煎じたもので、熟れた果実のような匂いとひどいえぐみがするから違うでしょうね。木々の香りであれば、おそらくオレイアという植物のものでしょう。アミュラと比べると味も匂いも少ないのが特徴です。効果も段違いだと言われていますね。ただ希少価値が高く、特別なルートでしか手に入らないのが難点だ」

「特別なルート?」

 ええ、とウォルターは頷いた。


「―――あれはファリスの専売特許です」



◇◇◇



 外に出ると、陽はすでに傾きかけていた。そつのないウォルターが表に四輪の箱馬車を呼んでくれていたので、コニーは礼を言ってそのまま黒塗りの車内に乗り込んだ。室内には木製の鎧戸が備え付けられ、持ち上げることで自由に外の様子を窺うことができる。


『きっと、わたくしだったら無理だったでしょうね』

 後部に幌のついた対面式の席に向い合わせで腰かけると、ぽつりとスカーレットが呟いた。

「うん?」

『お前があの時助けたから、ニール・ブロンソンはわざわざ紹介状を書いたのだもの。わたくしにはできなかったわ。―――良かったわね、コニー。一生こき使える下僕ができたじゃないの』

「いやそれなんか違う……!」

 途中までなんか良いこと言ってたじゃない……!と声の限りに叫んでいると、突然馬車が停止した。「ん?」コニーは首を傾げた。

「すみません」

 硝子の仕切りの向こう側から御者の男が申し訳なさそうに声を掛けてくる。

「どうも後輪の調子が悪いみたいで。ちょっと確認してきます」

「あ、はい」



 ―――鎧板の隙間から西日が差し込んでくる。馬車がとまったのは表街道を一本外れた郊外のようだった。人通りはないので停車していても迷惑になることはなさそうだ。陽が落ちていく様子をぼんやりと眺めていると、スカーレットが苛立ったように口を開いた。

『……遅いわね。何をやっているのかしら』

泥濘ぬかるみにでも嵌まっちゃったんじゃない?」

『にしたって、うんともすんと言わないじゃないの。やっぱりわたくし一度見てきて―――』

「……お待たせしました。やはり後輪が外れかけていたようです。すぐに出発しましょう」

 タイミングよく御者が外から声を掛けてくる。

「あ、ほら大丈夫だった」

 そう言ってスカーレットの方を向けば、彼女の顔から表情が抜け落ちていた。

「……スカーレット?」

『声が、違う』

「―――え?」

『さっきの男と、声が、違う。……わからない?』

 一瞬首を傾げ、その意味を理解するとコニーの顔から血の気が引いた。気のせいだと一蹴できないのは、スカーレットの記憶力を知っているからだ。口が渇く。心臓が不自然なほど大きく跳ね上がる。

『……でも、最初のときに御者の顔を見ていないから、勘違いかも知れないわ。どうしよう』

 どうしよう、と言われても、コニーだってわからない。

 このまま男が御者台に座り馬車を動かすのを待つべきか、それとも―――

 ふいにモーリス孤児院での会話が蘇った。

「……確か、こういう時に、使えそうな単語があったよね」

 リリィ・オーラミュンデから聞いたと、赤毛の少年は言っていた。


 ―――悪い奴らを見破ることができるんだって。


 相手はまだ外にいる。意を決してゆっくりと窓に嵌められた鎧戸を持ち上げた瞬間、コニーはひっと息をのんだ。いつの間にか中年の男が窓にぴったりとくっついてこちらを覗き込んでいる。


「どうか、なさいましたか?」 


 にこにこと男が首を傾げる。スカーレットが例の言葉を呟いた。コニーは頷いて、口を開く。

「―――キリキ・キリクク」

 男の目が見開かれた。表情が消え、次の瞬間、馬車の扉に手を掛ける。スカーレットが舌打ちをした。ばちばちっと鉄の閂に閃光が走る。男が弾かれたように手を離した。顔を歪めて警戒するように後退る。ほっとしたのも束の間、懐から何かを取り出した。鈍色に光るそれは―――銃だ。

『奥に行って!』

 コニーは震える体を叱咤して、這うように移動した。やっとの思いで隅までたどり着いたが、それが限界だった。力尽きたようにうずくまって、両手でぎゅっと頭を覆う。刹那、銃声が響いた。一回、二回。コニーは固く目を閉じる。そして、もう一回。心臓がばくばくと音を立てていた。

 やがて、静寂が訪れた。

 もう誰かが入って来ようとする気配はない。けれど、恐怖で身動きが取れない。

『―――もう、大丈夫よ』

 スカーレットが静かに告げた。ゆっくりと瞼を開ければ、窓には真っ赤な血飛沫が飛び散っていた。それはまるで雨のように幾つもの筋になって流れていく。コニーは思わず口元を押さえた。

「いったい、なにが……」

 その時がらりと扉が開き、コニーは声にならない悲鳴を漏らした。

 現れたのは長身の男だった。すっと通った鼻梁に冷たい双眸。その手には硝煙の立ち昇る短銃がある。―――男の足元に横たわる()()()()については考えないことにした。


 ―――この男は、誰だ。


 男は無言のまま車内にいたコニーをじろりと一瞥すると、なぜか、そのまま踵を返して立ち去ろうとした。コニーはあまりのショックに呆然としているだけだ。


 その時スカーレットが、あらやだ、と驚いたような声を上げた。



『誰かと思ったら―――この人、オルダス・クレイトンじゃない』





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