5-7
それからほどなくしてエルバイト宮殿から迎えの馬車がやってきた。
毛足の長い絨毯の敷かれた豪奢な車内の隅に体を丸めながらコニーはがっくりと項垂れていた。自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだ。組んだ両手を目元に押し当て俯いていると、コニーコニーと何だかやたらとスカーレットが話しかけてくる。適当に返事を返していたら、また呼ばれた。
『ねえ、コニー』
「今度はなに……」
『そう言えば、今ってジャッカルの楽園は禁止されているの?』
「そもそもジャッカルの楽園自体知らないし……」
『幻覚剤の一種よ。副作用も少なくて天国に行けるという触れ込みで、とっても人気があったのに』
コニーはぱちくりと瞬きすると、がばっと顔を上げた。
「―――現在では幻覚剤の使用は全面的に禁止されています。使っちゃダメ、ゼッタイ」
見た目だけは極上品の不良娘にそうきっぱりと念押ししておく。するとスカーレットは、その瑞々しい唇をつんと尖らせた。
『あら、つまらない』
「スカーレット……!」
『だってわたくしの時代では合法だったんだもの。あの頃はみんな使っていたのではないかしら?でも残念なことに、わたくしは、体質的に合わなかったのよね。あの花の蜜を煮詰めたような甘ったるい匂いがだめで。ああそうだわ、ジャッカルの楽園と言えば―――』
スカーレットの言葉を遮るように、がたん、と車輪が動きを止めた。陽気な調子で馬が嘶く。ややあって、よく通る御者の声が宮殿への到着を告げた。
「―――グレイル嬢」
モルダバイト宮の正門で手続きを終えて離宮に向かおうとすると、黒い軍服姿の青年から声を掛けられた。もちろん、ランドルフ・アルスターである。セシリアからの「良ければ婚約者もご一緒に」という風が吹けば飛んでいくように軽い招待を受け、彼もまた、仕事の合間を縫って茶会に付き添ってくれることになっていたのだ。
久しぶりの再会に何だか体に妙な力が入ってしまう。
「あ、あの……!先日はありがとうございました……!」
どもりながら告げると、ランドルフはきょとんと首を傾げた。
「何の礼だ?」
―――もう何度目かとなるこのやり取りにコニーは一瞬目を丸くすると、そのままへにゃりと苦笑した。するすると緊張の糸が解けていく。口元を緩めながらコニーは告げた。
「査問会です。オブライエン公爵夫人から聞きました。閣下が頼んで下さったって」
「ああ、あれか。デボラ・ダルキアンは笑いながら白を黒だと断じるタイプだからな。正論などは通じないんだ。対処するには同じくらいの力技でいかないと。ああ見えてアビゲイルはデボラに引けを取らない派閥を持っている。面倒見もいいしな」
それに、とこちらに視線を寄越す。
「アビーは、君と少し似ているだろう?」
ランドルフの顔はいつも通りの無表情だが、その紺碧の双眸には、どこか
「似て、ますかね……?」
コニーは逆立ちしたってデボラ・ダルキアンとあんな風にやり合えないが。いったいどこが似ていると言うのだろう。うーんと首を捻っていると、スカーレットがどうでも良さそうに口を開いた。
『パッとしない顔じゃない?』
解せぬ。
◇◇◇
エルバイト宮殿に向かうため、噴水を中心とした左右対称の
思わず顔を向ければ、一区画ほど先で神経質そうな顔立ちの壮年の男性が、息子ほどの年齢の若者たちを強い口調で詰問していた。内容までは聞き取れないが、叱責を受けている相手側は、皆、可哀想なくらい青褪めてしまっている。
「あれは……レヴァイン高位外交官か」
ランドルフが呟いたので、コニーは顔を上げた。
「ケンダル・レヴァイン。ファリスからの特使だ。周りにいるのは彼の部下だろう。見たことがある」
なるほど、とコニーは頷いた。つい先日エルダバイド宮殿でエンリケが立腹していた相手のことだろう。確か向こうの到着が遅れていたとか何だかで。今は無事に宮殿内に滞在しているようだ。
取り込み中のようだが挨拶でもした方がいいのだろうかと考えていると、ケンダル・レヴァインがこちらに気がついた。薄い鳶色の瞳に、薄い灰色の髪―――そして、その生え際は残念なことにだいぶ後退してしまっている。
彼はこちらの視線に気づくとさっと声を潜めた。それから部下に顎で合図をすると、そのまま人目を避けるようにして緑の芝で作られた垣根の向こう側へと移動してしまう。
―――なんだ?
『あら、ずいぶんね』
スカーレットが剣呑な声を上げた。
『わざとらしく、こそこそ隠れたりなんかして。一体何を話しているやら―――わたくし、ちょっと行ってくるわ』
「えっ!?ちょ、スカーレットやめなさいって……!」
もちろんコンスタンスの制止なんて聞くはずもなく、スカーレットはふわりと舞い上がるとそのまま垣根の向こうへと消えていってしまう。コニーは頭を抱えた。
「どうした?」
その様子を見ていたランドルフが怪訝そうに首を傾げる。
「いえ、その、スカーレットが―――」
コニーは額に手を当てながら話しかけたが、ふいに言葉をとめた。死神閣下にはスカーレットのことは話してある。でも。
―――でも、信じてくれているんだっけ?
あの紺碧の双眸に嘲笑や猜疑の色が浮かんでいたらどうしよう、と恐る恐る顔を見上げれば、そこにはいつもと全く変わらぬ雲一つない青空のような瞳があった。
「スカーレット・カスティエルが、どうした?」
コニーは思わずぱちくりと目を瞬いた。
「ええと……レヴァイン外交官たちの話を盗み聞きしてくる、と……」
ああ、とランドルフは頷いた。
「やりそうだな」
何でもないことのようにそう言って特使たちの方に視線を移す様を、コニーはぼんやりと眺めていた。
「……グレイル嬢?」
「あ、いえ……」
おそらく己はひどく間の抜けた表情でも浮かべていたのだろう。ランドルフが不思議そうにコニーを覗き込んでくる。何だかひどく落ち着かない気持ちになった。
◇◇◇
『どうも、あいつらの連れのひとりがいなくなったみたいね』
戻ってきたスカーレットは、彼らの会話が思ったような内容ではなかったのか首を捻っていた。
『ユリシーズ、と呼んでいたようだったけど。だいぶ焦っているみたいよ。誰だか知らないけれど、傍迷惑なやつねえ』
それきり興味を失ったように肩を竦める。
「何かわかったか?」
おそらくコニーの態度からスカーレットが戻ってきたことを察したのだろう。ランドルフが訊ねてくる。コニーは今聞いた話を説明した。
「どうも、レヴァイン特使たちと一緒にやってきたユリシーズという方が見当たらないみたいで―――」
ぴくり、とランドルフの眉が跳ね上がる。
「ユリシーズ?」
「ご存知ですか?」
「いや、アデルバイドに来ているとは知らなかったが―――」
紺碧の双眸が何かを思案するように揺らぎを見せた。
「……姿が見えないというだけであの老獪な男があれ程の怒りを表したのであれば、相手はひとりしかいないだろうな」
言いながら、彼らが先ほどまでいた方角に向かって厳しい視線を向ける。
「ユリシーズ・ファリス。―――ファリスの第七殿下だ」
章途中なのですが皆さまの拍手が嬉しくて活動報告にてお返事をしております。