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「ご婚約おめでとう、グレイル嬢」

「ありがとうございます」

「でもあれよ結婚なんてね、手入れの行き届いた座敷牢にぶち込まれるようなものなのよね。というわけで我らが豚小屋にようこそ、生まれたての子豚ちゃん。歓迎するわ」

「……あ、ありがとうございます」

 そう言って、ちっともおめでたくなさそうに祝福をくれたのは一癖あるエマニュエル伯爵夫人。




「あらコンスタンス、あなた婚約したんですって?」

「ええ、実はそうなんです」

「まあ、まあ!ぜひとも式には呼んでちょうだいね!」

「え?え、ええ、もちろんですわ」

「ふふ、嬉しいわ!そうそう、ちょうどブロンソン商会で取り扱ってる絹織物が欲しかったのよね。あの王都限定品のやつ」

「……つ、伝えておきます」

 いつだってちゃっかりしているのはボードウィン男爵夫人。




「ちょっと聞いたわよ、コニー!あなたの婚約者のニール・ブロンソンって、あのパメラと噂になってる相手じゃないの!どういうことなのか詳しく聴かせなさいよ!」

「むしろ私の方が知りたい」

 ちょっと図々しくてかなり無神経な子爵令嬢のミレーヌはゴシップが大好きだ。



◇◇◇



 例の噂を耳にしてから一週間。真相を確かめる勇気も出ないまま、ニールとは今だ婚約中である。


 そんな折に招待を受けたグラン・メリル=アンでの舞踏会は大盛況だった。

 主催者であるハームズワース子爵の機嫌も上々で、芝居がかった仕草で何度も三女神に感謝を捧げていた。ちなみに子爵は貴族の当主としては珍しく聖職者も兼任している。というのも元々彼は五人兄弟の末っ子で、成人後は慣例に従い教会に身を置いていたのだ。けれどそれから数年もしないうちに、領地での流行り病が原因で親兄弟が呆気なく死んでしまった。そのため聖職者であった彼が爵位を継ぐことになったのだ。


 教会での清貧の教えがよほど性に合わなかったのか、叙爵されてからの子爵は放蕩三昧だった。それでも破門されないのは荷馬車いっぱいの寄付金を納めて徳を積んでいる(・・・・・・・)からだと言われている。ハームズワース家は肥沃な領地を持つ有数の資産家なのだ。


 そもそも、そうでなければ、グラン・メリル=アンで舞踏会など開けない。



 ―――現在、国王夫妻が住まわれているモルダバイト宮殿の広大な庭園内には、ふたつの離宮がある。

 ひとつは王太子夫妻の住まうエルバイト離宮。比較的新しく建てられたもので、実用性を重んじており、質素な佇まいをしている。


 そしてもうひとつが、かつてこの国が栄華を誇ったミシェリヌス王の御代に建築された豪華絢爛な娯楽用の小宮殿―――グラン・メリル=アンだった。現代ではいわゆる観光名所となっており、通年、公式諸間の七室まで解放されている。また社交シーズン中は、三代以上続く貴族であれば誰でも大広間を貸し切り、舞踏会を開くことができる。といっても莫大な費用がかかる割に制約が多いので、タウン・ハウスを持つまっとうな貴族たちはまずやらないが。


 ちなみにグラン・メリル=アンの大広間は、十年前、かの大罪人スカーレット・カスティエルがエンリケ殿下にその罪を糾弾された舞台でもあった。


 その際にスカーレットとの婚約を破棄し、当時まだ子爵令嬢であったセシリア王太子妃との婚約を宣言したことから、ここは今や王都有数の愛の巡礼地のひとつになっている。



◇◇◇



 蝋燭のゆらめきを受けて、豪奢なシャンデリアが広間にきらびやかな明かりを灯す。楽士たちの奏でる音楽に合わせて、中央に集まった若い招待客たちが陽気なカドリールを楽しんでいる。四隅には軽食のスペースが設けられ、そこではコニー含め、踊りに参加しない者たちがカクテル片手に優雅に談笑していた。


 コニーとニールの婚約公示は周知の事実のようで、祝福を告げにやってくる者が後を絶たない。けれど、そのすべてに笑顔を貼りつけて対応するのはさすがに骨が折れた。見知った顔への挨拶回りは終ったはずだ。ちょっと一息ついても良いだろう。別のテーブルで紳士連中とカードゲームに興じていたニールも先ほどから姿が見えない。彼もどこかで休んでいるに違いない。そう思ってこっそりと大広間を離れ、開放されていた温室コンサバトリーに出た。


 さすがミシェリヌス王時代の建造物と言うべきか、温室は普通の町屋敷(タウン・ハウス)の応接間ほどの広さがあった。白い木枠で縁取られた全面ガラス張りの室内では、物珍しい南方の花や異国の植物が育てられている。真ん中には暗緑の鋳物にレース柄の装飾を施した丸型天板のガーデンテーブルとチェアが置かれていて、簡単なお茶会ならここで充分なほどである。少し離れたところにはラタンで編まれた長椅子もあった。八角形をした天井までもがガラスで出来ていて、頭上では煌々と星が瞬いている。どこかの窓が開いているのか、ひんやりとした外気がコニーの火照った肌を撫ぜていった。


 こんな状態ではあったが、実のところ、コニーはまだニールを信じていた。だって教会で宣誓をし、婚約公示までしているのだ。本当に嫌ならばその前に何か行動を起こすだろう。それに、彼の態度は至って普段通りだった。普段通り、コニーに優しかった。今日だってドレスが似合うと褒めてくれた。そもそも、当人から聞いたわけではない。噂だけを鵜呑みにするのはいささか誠実(・・)さに欠けるのではないか。これでもコニーは誠実をモットーとするグレイル家の端くれである。ニールは今日の夜会だって馬車を用意して迎えに来てくれたし、エスコートもしてくれたし―――


 たぶんこの噂は悪意のある嫌がらせなのだ。根も葉もないでたらめ。そうだ。そうに違いない。


 そう思うと、少し気分が晴れてきた。今ならカドリールだって三倍速で踊れそうだ。

 大広間に戻る前に、念のため窓を閉めておこうと風の出入り口を探す。すると窓ではなく、庭園に続く扉がわずかに開いているのだと気がついた。何の気なしに近づくと、ガラスの向こう、夜に沈み込む庭園の茂みに、人影がふたつ見えた。なんだろう。じっと目を凝らして―――コニーは思わず絶叫した。心の中で。


(ちょ、ちょっと待って―――!)


 目の前で抱き合っていたのは、どちらもコニーが良く知る相手だったのだ。そして一番見たくないふたりでもあった。


 ニール・ブロンソンと、パメラ・フランシス。


 呆然と立ち尽くすコニーに気がついたのは、パメラの方だった。ニールと睦み合っていた彼女は、視線を感じたのか、ふとコニーのいる方に顔を向けた。野外とは言え宮殿内だ。外灯は整列するように等間隔に並んでいる。コニーには、パメラの薔薇のように上気した頬の様子まではっきりと見えた。目も合った。ぜったいに合った。けれど不貞を働いたはずの当人はなぜか平然としていて、逆に堂々とコニーを見返してくる。挑発するように口の端が吊り上がった。


 それから彼女はニールの首に腕を回すと、ゆっくりとその顔に唇を寄せていったのだった。


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