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「―――デボラ・ダルキアンが?」


 ランドルフは手渡された黒枠の便箋に目を通すなり眉を顰めた。

「なるほど、ふざけた内容だ。こんな紙切れに強制力はないし、わざわざ相手にすることはないだろう」

 そう言って一蹴する。しかし部屋の片隅で申し訳なさそうに縮こまっているコニーに気づくと―――頭が痛いという風に額に指を押し当て低く呻いた。

「……参加するんだな」

「いや、その、断るのも角が立つというか……それにスカーレットのことも何かわかるかも知れない、ですし」

 思わず言い訳めいた言葉を並べてしまう。ランドルフはため息をつきながら手元の情報を確認すると、さらに眉間の皺を深くした。

「日時は七の月(ディアナ)の上茎五節―――明後日じゃないか。どうしてもっと早く言わないんだ」

「……ん?」

「五日は通商政策局の局長と面会することになっている。せめてあと一週間早ければ調整できたんだが……」

「……んん?」

 告げられた内容に、コニーは目をぱちくりと瞬かせた。つまりそれは―――

「もしかして、ついて来て下さるつもりでした?」

「もしかしなくても、そうするつもりだったが」

 真顔で断言されてしまい、返す言葉がなくなった。ランドルフは小さく嘆息すると、便箋をテーブルに戻した。

「参加しない、という選択肢はないんだな?」

「はい……」

 何故だかひどく居たたまれない気持ちになって、自然と背中が丸まっていく。確かに危険は承知している。けれど、少しでもスカーレットの死の真相につながる可能性があるのならば、やはり参加したいと思うのだ。それに、ひとりではない。スカーレットがついている。

「……デボラ・ダルキアンは狡猾な女だ。彼女のやり口はスカーレット・カスティエルとは性質が違う」

 まるでコニーの心を見透かしたような発言に、思わず顔を上げた。真っすぐな青い瞳がコニーを捉える。どうにも気まずくなってスカーレットに視線をやれば、彼女はランドルフの言葉を否定することなく、ただ難しい表情を浮かべていた。

 ―――もしか、すると。コニーは顔を強張らせた。

 もしかすると、何か、とんでもない選択をしてしまったのではないだろうか。

 言いようもない不安に襲われていると、ランドルフが諭すような目線でコニーに念を押した。

「いいか、気をつけるんだ」

「ふぁい……」

 何だか気が遠くなってくる。このまま横になって休んでしまいたい。それで朝起きたらすべてが解決していないだろうか。

「さて、そろそろ迎えが来る頃だ。仕度は大丈夫か?」

「……したく?」

 意味がわからず首を傾げていると、ランドルフは不思議そうに目を瞬かせた。

「……知らせを出しておいたはずだが……」

 ―――知らせ?

「はっ……!」

 コニーは息を呑み込むと慌てて収納机ビューローに視線を向けた。そこに聳え立つのは今にも崩れ落ちそうな郵便物の山、山、山―――

 デボラ・ダルキアンからの招待状に気を取られてすっかり忘れ去られていた、物言わぬ便りの海が、そこにはあった。

「……ええと」

 冷や汗が伝う。だって、きっと、ある。


 きっと、あの中に、ある。


 ランドルフはコンスタンスと封筒の山をゆっくりと見比べると軽く頷き、淡々とした口調で告げた。

「確かに返事はなかったが、おそらく立て込んでいるのだろう、と」

「すみませんでしたああああああ!」

 どう考えてもコニーが悪い。コニーは電光石火の速さできっかり九十度に頭を下げた。ランドルフが少しだけ困ったように眉を寄せる。

「……実は、これから人と会うことになっているんだ。古い友人がどこからか婚約の話を聞きつけたらしくてな。ぜひとも婚約者を見てみたいと。かまわないか?」

 もちろんだ―――と言いたいところだが、懸念がひとつ。ランドルフ・アルスターをわざわざ呼びつけることのできる人物とはいったい何者なのか。正直、嫌な予感しかしない。

「……ちなみにどちらまで?」

 恐る恐る訊ねてみれば、あっさりと返事が返ってくる。

「エルバイトだ」

「える、ばい、と……?」

「ああ、エルバイトだが……」 

 見る見るうちに硬直していくコニーを見て、ランドルフが不思議そうに首を傾げる。


『あらあら』

 それまで興味なさそうに頬杖をついていたスカーレットがふわりと舞い上がった。そしていまだに固まっているコニーの方を振り返ると、楽しそうに、口の端をつり上げる。


『ようやっとあの()()に会えるのね』



 エルバイト―――エルバイト()殿()。コニーの記憶が正しければ、そこは、噂に名高い王太子夫妻の住まう貴き離宮のことである。




◇◇◇




 金の飾り彫りと深紅の緞帳を基調とした無駄に距離のある長廊型の謁見の間で、コンスタンス・グレイルは平服していた。頭上では彫像のように精巧で巨大なシャンデリアが釣り下がり、さらにその天井には色鮮やかな三女神たちが描かれている。

 緞帳と同じく艶のある深紅の天鵞絨が貼られた豪奢な玉座に腰かけたその人は、静かに声を発した。


「―――顔を上げよ」


 命じられるがままに面を起こせば、そこには女性と見紛うばかりの線の細い美貌の主が微笑んでいた。

「そなたが、コンスタンス・グレイルか」

 スカーレット・カスティエルの元婚約者であり、数々の障害を乗り換え子爵令嬢のセシリア・リュゼと永遠の愛を誓ったことで一躍貴族令嬢の憧れの的となった第一王子のエンリケは、そう言うと、一段高い玉座からコニーを見下ろした。

 それからややあって鮮やかな赤紫色の瞳がわずかに彷徨さまよい、言い淀む。

「……そうだな、うむ、なんというか、その―――」

『びっくりするくらい平凡よね』

 スカーレットが言葉を引き取ったが、コニーは全く聴こえなかったことにして無表情のままエンリケを見つめた。見つめ続けた。沈黙が落ちる。エンリケがそっとコニーから視線を逸らした。解せぬ。

「そうだ。セシリアがもうすぐ来ると思うが―――」

 殿下は急に膝の上で手を打つと、唐突に話題を変え始めた。やはり、何故だかぜんぜん目が合わない。コニーが真顔のまま首を傾けていると、どこからかぱたぱたと足音が聴こえてきた。誰かが急いで走ってくる―――そんな音だ。「あ、来た」とエンリケが表情を変えることなく呟いた。


「遅くなって、ごめんね――――!」


 次いで飛び込んできたのは背まで流れるとろりとした蜂蜜のような髪に、きらきらと瞬く薔薇色の瞳。しなやかに伸びた手足に、びっくりするくらい愛らしい顔立ち。コニーは思わず目を見開いた。

「―――ランディ!」

 ()()()()()()()()は、コニーの隣にいた婚約者殿に気づくと、ぱあっと顔を輝かせた。思わず見惚れてしまうような鮮やかな表情だ。しかし、どういうわけかその宝石のような笑顔を捧げられたランドルフ・アルスターは害獣でも見るような冷ややかな視線を向けている。

「会いたかったよーう!」

 にぱっと満面の笑みを浮かべ両手を広げて抱き着こうとする王太子妃を器用に躱すと、ランドルフは無言で彼女を睥睨した。害獣が、害虫に格下げになった。その視線の冷たさにコニーは慄く。閣下こわい超こわい。しかし妃はまるきり気にしていないような素振りで今度はコニーの方に向き直った。途端、大きな薔薇色の瞳が真ん丸に見開かれる。

「うわ意外!素朴!かっわいいー!」

 ―――かわいい、だと?

 コニーは再びかっと目を見開いた。もしかしたら、この人、すごく良い人かも知れない。思わずそんなことを考えてしまったが、冷めた声音で『それ、全然褒められていないわよ』と言われて我に返った。


 ―――()()()()()玉座に掛けることもなく、コニーの傍で膝を折って目線を合わせてくるセシリア王太子妃はひどく無邪気な表情を浮かべていた。愛くるしいとは、きっと、こういう人のことを言うのではないか。何とはなしにそう思った。


 妃はにこにこと微笑んだままランドルフの方をくいっと指さすと、コニーに向かってこう告げた。



「ええとね、この人ってば怖そうに見えて実際ほんとに怖いんだけどね、それに馬鹿真面目だし無駄に厳しいし全っっっ然笑わないんだけどね、でもでもたぶんきっと根はそこまで悪くないと思うの!だからお願い、愛想尽かさないであげてね―――!」



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