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4-6(終)


 テレサ・ジェニングスが死んだ。

 その日は朝から銀糸のように細く光る雨が降っていた。新聞の記事だった。不貞の相手から別れを切り出され、無理心中を図ろうとしたらしい。その場にいたライナス・テューダーは、命に別状はなかったものの心神を喪失して自国に帰ってしまったという。

 コニーはその事実を静かに胸に留めておくことにした。以前のように「私のせいで」と嘆くことはしない。彼らには彼らの事情があり、その選択を下したのは他でもないテレサ自身だ。責任は当人にある。コンスタンス・グレイルが誠実を捨てて己の道を選んだように。けれど―――


 けれど、原因の一端では、あるかも知れない。そのことを忘れないように、しておく。




 絶え間なく降り注ぐ静かな雨によって、街はまるで灰色の薄絹ヴェールを掛けられているようにぼんやりと霞がかっていた。

 屋敷の外ではランドルフが待っていた。軍服ではないものの、黒い縦襟の上衣に揃いのズボン。傘に至っては、布地はもちろん傘骨リブまで黒い。これでは死神と呼ばれるのも無理はない。


 今日は地区教会に婚約の宣誓をしに行くのだ。所謂、挨拶回りのようなものである。正式なものではなく、これからお世話になるからよろしくね、と言うようなものだ。実際の婚約公示に関しては諸々の手続きがあるためまだまだ先の話であり、そこに関しては何かしらの事情をつけてのらりくらりと躱す予定で、もちろん結婚などしない。

 両親はまだ領地から戻らないが、手紙で婚約の許可は取ってある。ランドルフからも根回しがあったらしい。最初こそ事情を追及されたが、コニーの意志が固かったせいか最近では諦めているようだ。



「立会人はハームズワース子爵に頼んだ」

 ランドルフの居住区の教会に、たまたま子爵が籍を置いていたのだ。

「神聖な宣誓を行う相手にしてはあまりにも堕落しているが、そもそもが偽りの婚約だ。これ以上の適任者はいないだろう」

「なるほど……」

 コニーは、おそらく浮かない顔をしているはずだった。ランドルフが目を瞬かせて訊ねてくる。

「どうした?」

「……いえ、その、婚約の、ことなんですけど」

 これから口にすることを考えると、どうしても歯切れが悪くなってしまう。

「閣下は、本当に、このやり方で良かったんですか?考えたんですが、これって閣下に利点があんまりないような……」

 コニーは罪にも問われないし、家の借金も肩代わりしてもらえる。けれど、ランドルフはどうなのだろう。動転していて気がつかなかったが、不利益の方が多いのではないだろうか。リリィ・オーラミュンデが亡くなってから二年。もちろん短くはないが、決して長いわけでもない。ここぞとばかりに面白おかしく騒ぎ立てる人間もいるだろう。それに、そもそも家格だって釣り合わない。現在のランドルフの爵位は伯爵だし、実家に至っては公爵だ。表立って口にしないだけで、実のところ縁戚からかなり強く反対されたのではないだろうか。


 死神閣下は相変わらず感情に乏しい顔のまま、ゆっくりとコニーに向き直った。

「―――子供じみた本音を言ってしまえば」

 静かな口調だった。

 まるで重要な案件を告げるように落ち着いた声音で彼は続けた。


「結婚したくない」

「まじでか」

 思わずコニーも本音が漏れた。まさかランドルフ・アルスターが最近よく耳にする独身至上主義だったとは。しかし、となるとあの広大なリュシュリュワ領はどうするのだろう。伴侶を持たないということは、跡継ぎもできないということだ。コニーが目を白黒させている理由を察したのか、ランドルフが言葉を足した。

「領地の方は父が亡くなってからずっと叔父が治めている。優秀な息子もいるから彼が跡を継げばいいだろう。アルスターに関しては直轄地がないから後継者がいなくても問題ないしな」

 なるほど、つまり、領地を継ぐ気がないということか。しかし、それは別に結婚を否定する理由にはならない気がする。そもそもリリィ・オーラミュンデとは婚姻関係にあったはずだが―――。疑問が顔に出ていたのだろう。ランドルフはちらりとコニーを一瞥した。

「たいした理由ではないんだが―――」

 そこで一端言葉を切る。しばらく悩むような素振りを見せたが、気が変わったのか軽く肩を竦めた。

「……内緒だ」

「ないしょ」

「ああ」

 きっぱりと断言されてしまえば、それ以上踏み込むこともできない。  

「まあ、とにかくずいぶん長いことリュシュリュワを継ぐ気はないと公言しているんだが、それでも俺を次期公爵にと推す声がなくならん。娘を宛がおうと画策する者も少なくない。だから、この手段を選んだのは俺の都合でもあるな。婚約者がいれば虫除けになるだろう?ついでに領主としてふさわしくないと評判でも落ちてくれれば願ったりだ」

 ―――なんだそれ。

 そして、ランドルフは真面目な顔のまま、こう締めくくった。

「つまり、俺にとっては利点しかない」


 へんな人だ。

 コニーは思った。けれど、もやもやと悩んでいた気持ちは風でも吹いたようにすっきりしていた。



◇◇◇



 酒臭い。

 ランドルフと共に教会の宣誓室で司祭を待っていたコニーは、扉が開くなり顔を引き攣らせた。

 酒樽が入ってきたのかと思った。

 明らかに二日酔いのハームズワースは水差しを抱えて離さず、青褪めた顔で何度も「うえっぷ」と嘔吐えずいている。

「え、ええ、それでは……おふた……の、うえっぷ、せんせ、を……」

 宣誓も何もあったもんじゃない。そもそも何を言っているかもわからない。

 ―――どうしよう、これ。

 困り果てて隣を見上げれば、死神閣下は顔色一つ変えず「よろしく頼む」と頷いていた。それでいいのか。まあ、仮初の婚約だし、いいのかも知れないが。

 そんな力技もあって何とか宣誓が終わると、ハームズワースが力尽きたように来賓用の椅子にどすんと着地した。ぎしぎしと悲鳴を上げる椅子にコニーは同情を禁じ得ない。

 用も済んだので礼を言って立ち去ろうとすると、子爵は大義そうに顔を起こし、コニーのいる方に視線を寄越した。それからしばらく視線を彷徨わせると、その目をわずかに細めて愉快そうに笑みを浮かべた。


「―――()()()()に神のご加護がありますように」



◇◇◇



 ランドルフはコニーを屋敷まで送り届けると、その足で職場である王立憲兵総局に向かって行った。今日は非番だと言っていたから、おそらくただの仕事中毒ワーカホリックだ。



 ―――甘い香りの真白の梔子。太陽のような金蓮花や、薄紫色のクレマチス。彩とりどりの顔を見せる中庭をのんびりと歩いていると、スカーレットが口を開いた。

『……それで、お前は、どうするの』

「ん?」

『どうせ、もう、わたくしを手伝うつもりもないんでしょう』

「んん?」

 不貞腐れたような声。旧モントローズ邸での一件以降、スカーレットの腹の居所は良くないようだったが、まだ拗ねているのだろうか。

「え、なんで?」

 思わず訊き返せば、スカーレットはわずかに視線を地面に落とした。

『だって、借金が―――』


 ああ、なんだ。コニーはふっと笑みをこぼした。まさかそんな反応は予想していなかったのだろう、スカーレットが眉を顰める。それを見て、コニーはさらに笑った。

「ねえ、スカーレット」

 ―――あの日からまだひと月も経っていないはずなのに、なんだかずいぶんと遠い昔の出来事のように感じる。

「私ね、グラン・メリル=アンでパメラから糾弾された時―――ううん、きっと、もっと前ね。ニールがパメラを選んだ時。父様が借金を負うことになった時。そんな自分ではどうしようもない事態になった時、仕方がないんだって受け入れながら、でも、心の底ではいつも叫んでた。誰か助けてって」

(どうして。どうしてなの。誰か。誰か)

「でも、当たり前だけど、誰も助けてくれなかったの」

(だれか、たすけて) 



 ―――いいわ、助けてあげる。



 ()()()()()()()()()


「よく考えたら一度も言ってなかったね」

 おそらくそこに大した理由はなかったのだろう。或いは復讐に巻き込んでしまおうと、そういう魂胆もあったのだろう。でも。

 コニーはくるっと振り返ると、怪訝そうな顔をしているスカーレットをじっと見つめた。


「―――助けてくれて、ありがとう」


 それでも、コニーは救われたのだ。


 ゆっくりと紫水晶アメジストの瞳が開かれていく。


「だから今度は私がスカーレットを助ける番、でしょう?」


 そう言って、にかっと口の端をつり上げれば、スカーレットは唇をぎゅっと引き締めて怒ったような表情を浮かべた。それから叱りつけるような―――けれどどこか噛みしめるような口調で呟いた。


『……ばかコニー』



◇◇◇



 ふと見上げれば雨はいつの間にかからりと上がり、太陽は息を吹き返したかのように燦々と大地に降り注いでいる。その眩しさにそっと手を翳したコンスタンスは空に向かって笑みをこぼした。


 もうすぐ、七の月(ディアナ)がやってくる。



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