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 ランドルフが一歩、また一歩と近づいてくる。漆黒の外套が翻る度に、臙脂の裏地が鮮やかに覗く。触れれば切れてしまいそうなほど鋭い顔立ちは、いつ目にしても判を押したように無表情だ。


 その出で立ちはまさに死神である。どこか他人事のようにコニーは思った。


◇◇◇


「念のためにひとつ聞いておくが」

 ランドルフ・アルスターは紺碧の双眸を冷たく細めながら、口を開いた。

「今回の人身売買に関わっていたか?」

「……いえ」

 この状況で信じてもらえるとは思っていないが、それでもコニーは首を振った。

「まあ、そうだろうな。それならば君を拘束する必要はない―――が」

 しかし意外にもあっさりと引き下がったので、コニーは思わずランドルフを見上げる。その顔にはやはり何の感情も浮かんでいない。

「とはいえ、偶然も三度続けば必然だ。そろそろ腹を割って話そうじゃないか」

 いや無理です―――コニーは思わずスカーレットに助けを求めたが、彼女は不貞腐れたような表情のまま、ふん、とそっぽを向いてしまった。どうやら逃げなかったことが相当腹に据えかねているようだ。

「残念ながら、現状では侯爵家での窃盗の立件は難しいだろう。そもそも盗まれた物が何かもわからない。孤児院での詐称や不法侵入に関しては、おそらく相手側の方が事を荒立てたくないはずだ。特に侯爵家は世間体を気にする。仮に君を捕まえたとしても不起訴になる可能性が高い」

 スカーレットの助けが借りられない、となれば、ここはコニーが何とかするしかない。密かに拳を握りしめ腹を括る。すると、ふいにスカーレットの言葉が蘇ってきた。

「それでも前科者になるのは避けたいだろう?事情を話してくれないか。納得できる理由があるのならば、こちらもこれ以上は追及しない。君にとっても悪い条件ではないと思うが」


 ―――脅して、お金を巻き上げてしまえばいいのよ。


 ランドルフ・アルスターの生家はリュシュリュワ公爵家―――カスティエル家と比肩する大貴族だ。つまり、お金は、ある。コニーはごくりと唾を呑み込んだ。

 もちろん、脅すのではない。このおっかない人の弱みなんてわからないし、そもそもそんなことをしたらその場で切り殺されてしまいそうだ。けれど。


 けれど、交渉は、できるのでは、ないだろうか。


 ランドルフは事情を知りたがっている。真実は話せなくとも、どうにか上手く隠して―――



 はっと気づけばランドルフ・アルスターが眉を顰めてこちらを覗き込んでいた。

 おそらく、コニーがあまりにも悲壮な顔をしていたせいだろう。

「……どうした?騒ぎで頭でもぶつけたか?」

「いえ、その、こっ、こ、こ……!」

「コッココ?いかんな、やはり頭を―――」

 案じるような態度に、コニーはふるふると首を横に動かした。それから、すう、と大きく深呼吸をして―――


「こ、交渉、しませんかっ!」


「……交渉?」

 スカーレットがぎょっとしたように目を剥いた。

 コニーの言葉に、ランドルフが顎に手を当て何かを考え込むような仕草をする。しばらくすると合点が行ったように「ああ」と頷いた。

「確かグレイル家には借金があったな。情報が欲しいなら金を出せと。そういうことか?」

「は、はい……」

 バレた。即効でバレた。コニーは思わず涙目になった。

 もちろんコニーとて、とんでもなく図々しいことを言っているのはわかっている。けれどもう死神閣下との関係はこれ以上悪化しようがないし、相手からどう思われようとも、万に一つでも可能性があるのならば賭けてみたい―――それが正直なところだったのだ。瞬殺だったが。

 身の程を知れと罵られるだろうか。それとも蛆虫を見るような目を向けられるだろうか。

 恐ろしい予感にコニーは身を竦ませたが、ランドルフの反応はそのどれとも違い、簡潔に了承しただけだった。

「まあ、それは別に構わないが」

「―――はい?」

 自分で訊いておきながら、素っ頓狂な声が出る。なんだこの人。

「しかし君は貧民窟の情報屋などではなく貴族だしな……。まとまった融資となると色々勘繰る者もいるだろうからな……どうするか……」

 ランドルフは口元に指をあてたまま何かを思案していたようだったが、ほどなくして結論が出たらしい。


「―――コンスタンス・グレイル。醜聞を負う覚悟はできているか?」


 その鋭い眼光に思わず体が強張ったが、心を奮い立たせるとその目を見返してきっぱりと告げる。

「……そんなの、今更です」

 誠実を捨てたコニーに畏れるものなどないのだ。何を求められても驚かない。受け入れて見せる―――

「そうか。なら、一番手っ取り早いのは―――」

 恥ずかしながらそんな感傷に浸っていたので、次に告げられた言葉はほとんど内容も確認せずに反射的に頷いていた。

「婚約だな」

「望むところです―――ん?」

 おかしいと思ったのは、うっかり肯定したその後で。

「そうか、望むところか。ならそれで行こう」

「……んん?」

「もちろんしばらく経ったら解消するが。しかしこれでグレイル家は借金が返せるし、()は君を監視する名目がつく。最善とは言わないがまあ妥当な線だろう」

「……んんん?」

「ああ、そうだ。エルバディアの金貸しについてだが」

 話が変わった。急すぎてコニーにはついていけない。にっくき悪徳高利貸しがどうしたというのだ。

「グレイル領での一件が上がってきてな。少々目に余るものがあったからこちらで処理をしておいた。これで今後奴らが強引な手に出ることはないだろう。ついでに叩けば埃が出るかと思って叩いてみたんだが特に何も出なかったな。少し可哀想なことをした」

「それは、どう、も……?」

 ランドルフがきょとんと首を傾げた。

「何の礼だ?」

「いや……なんでしょうね……?」

 コニーにもよくわからない。礼云々より、まず、この現状が。

「幸いとは言えないが、君は婚約を破棄したばかりで俺は妻を失ってまだ二年だ。婚約期間が多少長引いても誰も不思議には思わないだろう。こちらにも事情があるので伸ばせるだけ伸ばしてもらえると有難いが、別に無理強いはしない。二度の婚約の破談は若い令嬢にとって間違いなく醜聞だろうと懸念していたが、覚悟があるのならば杞憂だったな」

 まるで部下に任務内容を確認するような事務的な口調だった。確かに言っていることは間違っていない。間違っていないのだが―――



 なんか、違う。



 なんか、コニーの思ってたのと、違う。




 戸惑いを隠せないコニーの後ろでスカーレットが頭を抱えていた。


『ああもうっ、相変わらず思考が斜め上を行っているわ……!だから苦手なのよこの男―――!』




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