1-1
(ちょ、ちょっと待って―――!)
コンスタンス・グレイルはあんぐりと口を開けると心の中で絶叫した。
今、彼女の目の前には抱き合う一組の
ただひとつだけ由々しき問題があるとすれば―――
それは、どこからどう見ても目の前の男が己の婚約者であるということだった。
◇◇◇
ことの発端は数カ月前。十一代目グレイル子爵が例によって
汝、誠実たれ。
隣国ファリスとの十年戦争の功労者であった初代パーシヴァル・グレイルは、勝利の秘訣を求められた際にそう語ったという。それから代々グレイル子爵家のモットーは『誠実』である。もちろんコニーの父であるパーシヴァル=エセル・グレイルも御多分に漏れず、誠実な当主だった。いや、むしろ、誠実すぎた。
―――例えば、友人に泣きつかれ怪しげな借金の連帯保証人となりそのまま多額の債務を背負うことになってしまうほどに。
ちなみにその友人は早々に
何度も言うが、グレイル家の家訓は一も二もなく誠実一択。加えて質素倹約。贅沢なんて以ての外で、領地経営で利益が出ればすぐさま領民に還元する。初代パーシヴァル・グレイルから徹底されてきたこの忌まわしき伝統のおかげで、子爵家には余剰な金などどこにもなかった。
つまり、返せる金がない。
グレイル家の命運はもはや風前の灯火であった。
◇◇◇
あのグレイル家が、お金に困っているらしい。
そんな噂を聞きつけて援助の手を差し伸べてきたのは、出入り商人として懇意にしていたダミアン・ブロンソンだった。ダミアンは、三代続くブロンソン商会の代表で、自身も准男爵の位を賜っている。
ただし、貴族ではない。
平民よりは優遇されるとはいえ、准男爵では出向ける社交界も限られてくる。ブロンソン商会は王都のアナスタシア通りに本店を構え、地方にもいくつか支店を持つ老舗である。経営は安定している。安定していて、盤石過ぎて、そこから先が発展しない。だからこそ欲しいのは新しい
幸いダミアンには今年十七になる息子がいた。ニール・ブロンソンである。そしてグレイル家にも娘がいた。それがコニーことコンスタンス・グレイルだ。ちなみに、今年、花も恥じらう十六になった。
つまり、そういうことなのだ。
かくしてとんとん拍子に二人の婚約は取り決められた。それでもパーシヴァル=エセルは最後まで娘の意志を尊重してくれようとしていたが、コニー自身は別段この婚約に不満があるわけではなかった。むしろいよいよ首が回らなくなってきた子爵家の長女としては、願ってもないありがたい話である。
コニーは貴族の娘だ。そして、まさか自分が恋愛結婚ができるとは思っていない。確かに、数々の障害を乗り越え結ばれたエンリケ殿下とセシリア王太子妃の身分違いのロマンス以降、世間一般に恋愛を重視する傾向は増えた。けれど、だからといって全ての人間が恋した相手と結婚できるわけじゃないのだ。コニーのように十人並みの器量しか持たず、性格だって大人しく引っ込み思案の娘なら尚更だ。
それに、ニール・ブロンソンは背が高くてハンサムで紳士的な好青年だった。こんな人が夫になるなら、ぜんぜん、悪くないとコニーは思っていた。
本当に、そう思っていたのだ。
―――彼が、婚約者以外の女性に夢中なのだ、という噂を耳にするまでは。
◇◇◇
パメラ・フランシスは、たいそう魅力的な女性だった。
彼女の周りはいつも人であふれ、その取り巻きの中には必ず見目麗しい男性がいた。ちょっと気が強くてわがままだが、それも彼女の魅力のひとつだという話だった。なにそれすごい。地味でぱっとしないコニーなんかが敵うわけないではないか。
パメラがすごいのは、とびぬけた美貌を持っているわけではないのに、どうやったら自分が一番愛らしく見えるかよく知っているところだ。白金色のふんわりとした髪はいつも器用に編み込まれているし、夜会用のドレスは必ず、貴族の子女であれば一度は着てみたいと憧れる王室御用達の《月夜の妖精》で仕立てている。―――ちなみに《月夜の妖精》のドレスは一着で四輪馬車が買えると言われていて、コニーにはとても手が出せない。
男爵とはいえ、領地で採掘される鉱石の取引で成功を収めているフランシス家は、グレイル家とは比べ物にならないくらい裕福だった。ブロンソン商会にとっても悪くない相手のはずだ。念願の貴族の
そこまで考えると、コニーは天を仰いだ。そうしないと、泣き出してしまいそうだった。こんなこと父には言えない。言えるわけがない。だってすでにこの婚約は恙なく締結されてしまっている。両親とともに教会での誓約を済ませたのはつい先日のことだ。今は結婚への足踏みと言われる婚約公示期間であり、領地にだって報せがいっているはずだった。そんな中での、不貞疑惑、だなんて―――。
コニーが異議申し立てを行えば、この婚約を破棄できる可能性は高い。けれどそれでは借金は返せない。それに、そんなことを知ればどこまでも誠実である父は、間違いなくニールの足元に白手袋を投げつけるだろう。即ち、どちらかが死ぬ。
(ああ、もう、誰か助けて―――)
齢十六にして、コニーの人生はどん詰まりだった。