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※流血描写があります。


 当たり前だが、今日のランドルフ・アルスターは軍服ではなかった。

 しかし、やはり黒を基調とした素っ気ないほど装飾品のない礼服だ。喪服を連想させるような恰好は、華美な装いの多い参加者の中で悪目立ちするほどに浮いている。そして、それが、コニーには彼の意思表示に思えてならない。


 即ち、踊りに来たのではなく、どこぞの獲物を血祭りにあげに来たのだ―――という。



(すすすすスカーレットさま、出番です……!)

 コニーは思わず後退ってスカーレットに縋った。しかし彼女もどことなく引き攣った顔のまま『い、嫌よ、わたくし苦手なのよ!あいつ!』そう叫ぶなり一瞬にして姿をくらませてしまう。驚くほどの逃げ足の速さである。気づいた時には気配もなかった。

 万事休すとはこのことか。


 ランドルフが一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。コニーも慌てて踵を返した―――が。


「―――先日振りだな、シスター」

 低い声が落ちてきて、コニーは絶望的な気持ちでゆっくりと振り返った。

「ひ、人違い、では……」

「人違い?」

 こくこくと頷く。

「……そうか。なら、挨拶から始めようか。私はランドルフだ。ランドルフ・アルスター」

 うん、知っている。

「こ、コンスタンス・グレイルと、申します」

「ああ、知っている」

 その答えに、あら気が合いますね―――なんて気軽に言える雰囲気ではとてもない。

「単刀直入に訊こう。君の目的は何だ?」

「な、なんのお話で、しょうか」

 もちろん何のお話かはわかっている。わかりすぎている。ただ言えないだけだ。スカーレット・カスティエルの復讐のお手伝い中なんです―――なんてことは。

「オーラミュンデ邸の礼拝堂で何を盗った?故人の遺書か?それとも―――」

「いや、その……」

 目が泳ぐ。言い訳が出て来ない。冷や汗がだらだらと落ちてくる。コニーは心の中で助けを求めた。

(だ、誰か助けて―――!)

『ああ、もうっ!』

 するとたまりかねたように、どこからともなくスカーレットが舞い戻ってきた。もうもう!と怒りながら声を張り上げる。

『しょうがないわね!()退()()()()()、コンスタンス!』

(―――へ?)

 なにか(・・・)が、コンスタンスの中に入ってくる。あの時は強い力に弾かれるようだったけれど、今回はぐい、と体の端の方に押しのけられるような感覚だった。それに、意識がある。


「―――そこまで断定されるからには、当然、証拠がおありなのよね?」

 誰かが、コニーの口を借りて喋っていた。自信に溢れた声はまるでコニーのようでいてコニーではない。きっと表情も違うのだろう。顎を逸らし、あの恐ろしいランドルフ・アルスターを正面から睨みつけている。

 それまで無表情だったランドルフが、紺碧の双眸をわずかに揺らした。

「まさか証拠もなく、幼気いたいけな令嬢を泥棒呼ばわりかしら?死神閣下の名が泣きますわね。身に覚えのない侮辱でしてよ。撤回して頂かなければ、わたくし恐怖のあまり婦人会に駆け込んでしまうかも知れません。品行方正を絵に描いたランドルフ・アルスターにしつこくされて困っていると」

「君と一緒にモーリス孤児院に行き、院長や子供たちが君をオーラミュンデ家のレティと別人だと証言するのであれば、そうしてもらってかまわないが」

(ば、バレてる―――!)

 コニーは仰け反ったが、スカーレット(・・・・・・)は動じることなくにっこり笑った。

「お断りいたしますわ。この世には似ている顔が3人いると言いますもの。求めて頂けるのは光栄ですけれど、わたくし、初対面の殿方と次のデートを取りつけるほど安い女ではありませんのよ?」

 まさかここまで堂々と開き直るとは思っていなかったのだろう。ランドルフが呆気に取られたように口をつぐんだ。

 しかしこれは―――どう考えても詰んでいる、のではないのだろうか。正直生きた心地がしない。案の定ランドルフが眉を顰めて何かを言いかけたその時、ガラスの割れるような音が広間に響いた。次いで悲鳴が。コニー(・・・)が驚いて視線を向かわせれば、先程の貴婦人のひとり―――テレサ・ジェニングスが頬に手を当てて倒れ込んでいた。ぶたれたのではない。指の間から真っ赤な血が幾筋も伝い、顎から滴り落ちている。


 鮮血は見る見るうちに彼女の襟元を染め上げていった。


◇◇◇


 テレサを見下ろすように荒い息を吐いているのはマーゴットだった。手には割れたワイングラスを持っている。おそらく、そのグラスで、殴打したのだろう。欠けた切っ先からぽたぽたと赤い雫が落ちていた。

「……この女が」

 マーゴットは目を血走らせ、怒りに震える声で叫んだ。

「この娼婦が、悪いのよっ……!」

 しん、と静まり返った広間で最初に動いたのはランドルフ・アルスターだった。彼は足早に倒れ込んだ夫人の元へ行くと、礼服が血に汚れるのも構わず彼女を抱き起こし、患部を確認する。

「―――傷口はそこまで深くないようだ。ただ硝子の破片が入っているかもしれないからすぐに洗い流した方がいい。その間に消毒瓶と清潔な布の用意を。医師が到着するまでしばらくかかるはずだ」

 その言葉に幾人かの従僕が駆け寄ってきて、テレサを丁重に運んで行った。侍女が洗濯室へと走る。何をぼさっとしているんだ、すぐに早馬を出せ、という怒号がどこかで飛び交った。

「マーゴット・テューダー」

 ランドルフは感情を一切排除した事務的な声音で、立ち尽くす夫人の名を呼んだ。

 びくりと夫人が肩を震わせる。

「わかっているだろうが、これは傷害だ。法を取り締まる立場の人間として、貴女の行いを看過することはできない。部下が来るまで私が調書を取ろう。―――ゴードウィン夫人、申し訳ないが空いている客室をお借りできないだろうか?できれば女性の付き添いも欲しいんだが―――」

 その冷静な態度に騒然としていた広間が徐々に落ち着きを取り戻していく。誰かがコニーの背後で囁いた。

「……あら、もうおしまい?何だか興ざめね」

「忘れたの?あの坊やが出てくるといつも()()だったじゃない」

「今は王立憲兵に籍を置いていると聞いたけど、十年前とやることは変わらないのね」

「むしろ、堅物振りに拍車がかかったんじゃなくて?」

 屋敷の人間に指示を与え終ったランドルフがコニーの元に戻ってきた。さすがにこの状況で先程の続きをする気はないようだった。ただその視線はこれで終りではないと言っている。

「―――よく見ておくんだ」

 その言葉に、コニーは広間をゆっくりと見渡した。ひどい有様だった。運ばれて行ったテレサをたどるように点々と血の跡が出来ている。いつの間にか音楽はやみ、年若い令嬢たちは青褪め不安そうに身を寄せ合っていた。年配の者の表情は様々だ。事態を案じる者、愉快そうに口を歪める者、もう終りかとつまらなそうにしている者。

 こんな夜会は初めてだった。あんな風に言い争いが始まるなど今までなかった。いや違う―――コニーはかぶりを振った。あったではないか。グラン・メリル=アンで。血こそ流れなかったが、パメラ・フランシスを糾弾して追いつめた。頭の片隅で警鐘が鳴る。

 ―――なら、そもそも、これは誰のせいだ?

 その時、心臓を鷲掴みにするような低い声がコニーを捕らえた。


「これが、君の招いたことだ」



◇◇◇



 当然のことながら夜会はお開きになった。


 招待客が順々に帰宅していく中、コニーがエミリア・ゴードウィンの姿を探せば、彼女は温室を抜けた中庭のベンチにいた。ひどく疲れたように座り込んでいる。いや実際疲れたに違いない。これから彼女は主催者としてジェニングス家に事情を説明しなければならないだろうし、憲兵による現場検証だってまだ始まったばかりだ。

 コニーが近づくと、エミリアはちらりと視線を寄越した。


「あなた、似ているわ」

 そう言って、どこか諦めたように顔を逸らす。

「見た目はまったく似ていないのにね。笑っちゃうわ」

「……スカーレット・カスティエルに?」

 コニーがその名を告げたのが意外だったのか、エミリアはぱっと顔を上げた。それから自嘲気味に笑う。

「あなたみたいに平凡な子相手にそんなこと言ったら、きっとまた叱られてしまうわね―――」

 嫉妬と憎しみ。羨望。そしてその奥にわずかに浮かぶのは追慕、だろうか。コニーは思わず訊ねていた。

「……どうして、彼女が処刑されなければならなかったのか、ご存知ですか?」

「セシリア王太子妃を毒殺しようとしたからよ」

 当たり前のことだと言わんばかりにエミリア・ゴードウィンは断言した。

「それは―――」

 確かに少し前までのコニーもそうだと信じて疑わなかった。けれど、それは真実ではないと叫ぶ人がいる。スカーレットはすぐに人を騙したり陥れたりするどうしようもない人だけれど、あの時の怒りは本物だった。あなたも、何か知っているのではないか。

 ぐっと拳を握りしめて何かを訴えるような表情のコニーを、エミリアはじっと見つめていた。

「……やっぱり、似ているわね」

 そう言うと立ち上がる。それから雲に覆われぼんやりと滲む月を見上げ、独り言のように告げた。


「―――六の月(マルタ)の中茎七節。旧モントローズ邸廃墟。招待状は、ジョン・ドゥ伯爵の帽子の中に」

「え……?」

 戸惑うコニーを尻目に、エミリアは、義務は果たしたと言わんばかりにさっさと邸内に戻っていく。

 ただ去り際に一度だけコニーの方を振り向くと、覚えの悪い子供に言い聞かせるような口調で呟いた。



「人生は生き残った者の勝ちなのよ。―――だから、うっかり退場させられないように気をつけなさいね、コンスタンス・グレイル」



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