3-2
身支度を整えたコニーが応接間に向かうと、そこにはすでにニール・ブロンソンが待っていた。入ってきたコニーを見ると、わずかに、目を見開く。
「……本当に会ってくれるとは思わなかった」
全く以ってコニーもである。
「やっぱり君は誠実のグレイルなんだな」
いや実は会う気などさらさらなかった―――とは言えず、コニーはわずかに視線を逸らした。
数日ぶりに目にした元婚約者は少し痩せたようだった。顔にも疲労の色が見てとれる。
「謹慎中だって聞いたけど……」
「まだそうだよ。君への謝罪ということで特別に外出が許されたんだ」
「……そうだったの。お待たせして、ごめんなさいね。急に来るものだから」
このくらいの嫌味なら許されるだろうとニールを見れば、彼はまるで紅茶にうっかり塩でも入れてしまった時のような奇妙な表情を浮かべ―――困ったように苦笑した。
「失礼なことをしたのはわかっている。でも、先触れを出したら断られると思ったんだ」
それから、すまなかった、と謝罪した。
「君には申し訳ないことをしたと思っている。パメラとも別れた。彼女も充分に罰を受けたよ。今は領地で反省しているはずだ」
『―――ばっかじゃないの!』
突然、スカーレットが割り込んできた。
『あの手の女はね、自分が悪いなんて微塵も思ってないから全然懲りたりなんてしないわよ!』
堂々と言い切る姿には妙な説得力がある。コニーは思わずスカーレットを見た。
確かに、処刑までされたのに、全く懲りてない人が、ここにいる。
「父がせめてもの償いにと資金的援助を申し出たんだが、グレイル子爵に一蹴されてしまって」
そう話を切り出したニールに、コニーは驚き固まった。そんな話は一言も聞いていない。スカーレットが、けっと悪態をつくのが聴こえる。
『当然じゃないの。お前は商家でしょう。まかり間違ったら賄賂よ、そんなもの。だいたい何よ、援助って。平民に毛が生えたような准男爵ごときが子爵家に施しを与えようなんて発想がまず烏滸がましいのよ!身の程を知りなさい!』
―――果たして父がそこまで考えていたかはわからないが、黙っていた理由はわかる。断った理由も。
きっと、コニーに余計な心配をかけさせまいとしたのだ。
責任を感じて俯いていると、ニールが絞り出すような声を上げた。
「もう、許しては、くれないだろうか」
「……ん?」
「いや、許さなくてもいい。けれど、怒りの矛先は僕だけにして欲しいんだ。ブロンソン商会を巻き込むのはやめてくれないか」
「……んん?」
「言いたくないが、あの夜会以降、顧客の間でブロンソン商会に対する不買運動が広がっている。本店はガラスを割られる嫌がらせも受けた。コンスタンス、ぜんぶ君が仕組んだことだろう?」
「……んんん?」
「別に責めるつもりはないんだ。君は怒っていい。当然だ。非は僕にある。けれど、少しやりすぎだ。これはあくまで君と僕の問題だろう?店を巻き込むのはやめて欲しいんだ。祖父はショックで寝込んでしまったよ」
―――いやはやコニーだってショックで寝込んでしまいそうである。
驚きすぎてうまく言葉が出て来ない。心の中は、悲しみと腹立たしさでいっぱいだった。ニールは、本当にそんなことをコニーがやったと思っているのだろうか。
そんなことをするような人間だと、思われていたのだろうか。
コニーはぐっと唇を噛みしめると前を向いた。
「……私じゃない」
これではまるでグラン・メリル=アンの再来だった。謂れのない罪を疑われ、詰問されている。
「しかし―――」
ただあの時と違うのは、コニーには応戦する意思がある、ということだった。悲しい。悔しい。腹立たしい。けれど、不思議と怖くはない。
「初代パーシヴァル・グレイルに誓って、そんなことしてない」
だからコンスタンス・グレイルはニール・ブロンソンの目を見て、きっぱりと告げた。ニールがはっと息を呑む。
―――グレイル家の人間にとって、初代パーシヴァル・グレイルに誓うということは命を懸けるということと同義なのだ。滅多に使う言葉ではないし、そこに偽りなど許されない。グレイル家とつき合いの長いニールにもそれがわかったのだろう。
「なら、どうしてっ……」
一瞬呆けていた顔が、見る見るうちに苦痛に歪んでいく。
『あーらあら』
その時、スカーレットがふわりと空中に浮かんだ。
『ブロンソンって、確か、下級貴族相手に成り立っている商会だったものねえ』
果実のような唇からくすくすと笑い声が漏れる。
『大方、お詫びの仕方でも間違えたんじゃなくって?三代続いていても、貴族を相手にするっていうことをよくわかっていなかったのかしら』
どういうことだ、と視線で訊ねるとスカーレットは愉しそうに目を細めた。
『そういう輩ってね、別に、コンスタンス・グレイルのために怒っているわけじゃないのよ。たかだか成り上がり
そういうもの、なのだろうか。正直言って理解はできない。しかし、このまま濡れ衣を着せられるわけにもいかないので、コニーはスカーレットの言葉をそのまま伝えた。
「そんな……」
ニールが青褪めた。それでもすぐに納得したのは心当たりがあったからだろう。ニールは、嫌がらせの犯人がコニーではなく顧客そのものだと知って衝撃を隠せないようだった。顔色は紙のように白くなり、今にも倒れてしまいそうだ。
この状況でコニーがかけることのできる言葉はひとつだけである。
「そうね、そしたら……私に、何かできることはある?」
すると奇妙な沈黙が落ち――
『は?助けるつもり?』
「助けて、くれるのか?」
それが見事な唱和だったので、コニーの方が驚いてしまった。いやだって。
「別に、ブロンソン商会の人に罪はないじゃない」
どう考えても、彼らはただのとばっちりである。世間一般ではどうなのかは知らないが、少なくともグレイル家の―――否、コニーの理屈ではそうだ。
『……あっきれた。こんなの自業自得なんだから、お前が面倒を見る必要なんてないじゃないのよ』
もちろん、その通りだ。誰が悪いのかと問われればニール・ブロンソン以外にあり得ないし、殴っていいと言われれば今この瞬間にでも助走をつけてぐーでいく。あのすました鼻を平地にしてやる。なぜならコンスタンス・グレイルにはその権利があるからだ。そして、コンスタンス・グレイル以外にはその権利はないからだ。
「……コンスタンス」
ニール・ブロンソンが戸惑ったような視線をこちらに向けてくる。コニーは勘違いするなと首を振った。
「あなたのためじゃないよ。あなたのせいで迷惑を被っている人のため」
あの夜会の騒動でこんなことになっていると言うのなら、コニーにも責任の切れ端くらいはあるだろう。
スカーレットの眉がきっとつり上がった。
『―――ばっかじゃないの!間抜けなコンスタンスなんかに何ができるって言うのよ……!もう、もう……!仕方ないわね!そこのお前、一番のお得意様はどこのどいつよ!?』
そう喚いてニールに指を突きつけるが、当然のことながらちっとも気づいてもらえていない。仕方がないのでコニーが通訳を務めることにした。
「ええと、ブロンソン商会の上客って誰になるの?」
「キュスティーヌ伯爵夫人だが……」
突然の質問に怪訝な表情を浮かべながらもニールが答えれば、スカーレットが一気に捲し立てた。
『あの見栄っ張りババア、まだ生きていたのね。なら話は簡単じゃない。お前のところは確かルッカの絹を取り扱っていたわね。最上級の絹を―――そうね、【月夜の妖精】あたりでいいわ、そこでドレスに仕立てなさい。刺繍も入れるのよ。できるだけ繊細で、できるだけ派手なやつよ。金糸もふんだんに使うといいわ。そして、出来上がったら、跪いて献上して慈悲を請うの。哀れっぽくね。……ああそうだわ、お前、顔はまあまあ良いんだからお前が行けばいいじゃない。ひたすら下から媚びなさい。もしかしたら寝室に連れて行かれることもあるかも知れないけど、その時は腹を括りなさいね。
キュスティーヌ夫人こわい超こわい。コニーは顔を引き攣らせながら、貴族の間では、こういう
ニールの貞操の行方は、神とキュスティーヌ夫人のみが知っていればいいだろう。
「……そう、か。父に伝えてみよう」
そう言うと、ニール・ブロンソンは何とも言い難い様々な感情を浮かべてコニーをじっと見つめてきた。
コニーもその眼差しを受けとめて、まっすぐに見つめ返す。
―――先に視線を外したのは、ニールの方だった。
それから、深く頭を下げる。
「本当に、すまなかった」
その姿を見て、コニーは、誰にも言うつもりのなかった想いを打ち明けることに決めた。
「……初めて会った時のこと、覚えている?」
―――糊の利いた立ち襟のシャツに象牙色のベスト。ダミアン・ブロンソンと共に子爵家にやってきた青年は見るからにお洒落で、ハンサムで、コニーはひどく気後れしてしまっていた。
挨拶もろくに出来ずしどろもどろになる地味で冴えない少女のことを、ニールは決して笑ったりバカにしたりはしなかった。もちろん内心はわからない―――わかりたくなくて、コニーはじっと俯いていた。
どうしたらいいかわからずに縮こまっていると、ふいに声が落ちてきた。私もです、と。
それは、思いがけず口から飛び出してしまったような何の飾り気もない口調だった。
意外に思って顔を上げれば、そこには、コニーと同じく少し困ったような表情を浮かべる青年がいたのだ。
実は、私も、緊張しているんです―――
コニーは目をぱちくりと瞬かせ、それから、どちらともなく微笑み合った。恋に落ちるには、おそらくそれで充分だった。
「私ね、こんな素敵な人が自分の夫になるなんて信じられなかったの。これは都合の良い夢じゃないかって。現実だとすれば、私は、なんて幸運なんだろうって。……でもたぶん、あなたはそうじゃなかったんだよね。はじめは理不尽だと思ったけれど、今はちょっとだけわかるの。こんな結果になったのは、きっと、あなただけのせいじゃなかった。だからね、いいの。もういいの」
続く言葉は、自然に口からこぼれ落ちた。
「さよなら、ニール・ブロンソン」
彼に恋はしていたけれど、きっと、涙をこぼすほどにはすきじゃなかった。だから平気だ。コニーはにっこりと微笑んだ。
―――少しだけ、鼻の奥がツンとするけれど。
「……ドレス、ぶんどりそびれちゃった」
慇懃無礼なマルタに追い立てられるようにして帰っていったニールを見送りながら、コニーはぽつりと呟いた。スカーレットがどうでも良さそうに目を細める。
『あんな見る目のない男からもらわなくて大正解よ。どうせ趣味の悪いドレスがきたわ』
―――その歯牙にもかけない口調があまりにもスカーレット・カスティエルらしかったものだから、コニーは泣き笑いのような表情のまま鼻をすすった。