2-7
―――オーラミュンデ侯爵家。それは歴史ある大貴族の中で、もっとも厳格で、信心深い家柄のひとつだ。教皇が数多く輩出された名門でもあり、珍しい敷地内の礼拝堂は何代か前の当主の信仰心が高じて建てられたものだと言われている。
◇◇◇
「奥様は体調を崩されているため直接お会いにはなられないそうですが、神に仕える方々のお心遣いに感謝しますと。代わりに、私が礼拝堂までご案内致します」
しばらくしてやってきたのは白髪交じりの執事だった。スカーレットの声が弾む。『あらクレメントじゃない。元気そうね』
コニーは執事に先導され、オーラミュンデ邸に足を踏み入れた。本邸へと続く石畳を軸にして生垣で区切られた小さな庭がいくつもある。青色のムスカリが群生する水路に沿って歩いていくと、庭の外れに建てられた礼拝堂にたどり着いた。本邸はさらにその奥にあるようだ。
スカーレットの言った通りだった。たいそう
礼拝堂の前まで来ると、執事は腰に吊るした鍵束からひとつを選んで扉を開けた。ひやりとした冷気が中から漂ってくる。コニーは訊ねた。
「花を捧げてきてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。お嬢様も喜ばれることでしょう」
帰り際には守衛に声をかけるように告げると執事は去っていった。
室内は狭く、薄暗い。祭壇はあるものの、数人が祈るのがやっとだろう。ステンドグラスが嵌め込まれた丸い天窓から光が漏れ、坂のような道筋を作っていた。埃がきらきらと反射している。壁には三女神の聖画がかけられていた。そこに描かれていたのは有名な神話の一節だ。はじまりの糸をクロトが紡ぎ、ラケシスが運命を編み込んで、アトロポスがすべてを断ち切る。つまりこれは、人間の運命はすべて三女神の御心のままということなのだろう。ところどころ色褪せてはいたが、光と影を巧みに使い分けた描写には迫力があり、見る者を圧倒させる。あまりにも荘厳で畏敬の念を抱かざるを得ない―――そんな絵だった。コニーも思わず胸元に手を当てて
リリィ・オーラミュンデはここで命を落としたのか。
『たぶん、額縁の裏ね―――ってなにやってるのよ、お前』
祈りを捧げていると、スカーレットの声が降ってきた。きょとんとして顔を上げると、呆れたような表情に出迎えられる。
『……お前ね。どうしてわざわざこんな場所にまで来たと思っているのよ』
もちろんリリィ・オーラミュンデの自殺の真相を探ることである。けれど実際に彼女が息絶えた場所に来て祈りを捧げないというのは、あまりにも薄情なのではないだろうか。そう訴えると、スカーレットは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
『ばかね。そんなことしたってあの女は喜ばないわよ。それよりもさっさと真実を見つけろと厭味ったらしく言ってくるでしょうね。……リリィなら、必ずどこかに手掛かりを残すはずよ。それも、誰も思いつかないような意地の悪いところにね』
「それで、額縁の、裏……?」
『そうよ。だって、信仰の裏側なんて誰も見ようとしないでしょう?』
そう言って、スカーレットは不敵に嗤った。確かにその通りである―――が。
「なんつー罰当たりな……」
『そういう女よ』
スカーレットはしれっと肩を竦めたが、気づいた彼女も同じようなものだろう。顔を引き攣らせていると、さっさと聖画を取り外せと命令される。今度こそ完全に血の気が引いた。けれど、こうなった以上はやるしかないのだ。断る選択肢など端から―――そう、きっとグラン・メリル=アンで彼女に出会ったその瞬間から存在しなかった。そう思って、腹を括る。幸いにも聖画は両腕に抱えることのできる大きさだった。とはいえ、あまりの不敬に手元が震える。何だか、とんでもないことをしている気がする。いや実際に犯罪行為であるのだからとんでもないことには違いない。真っ青になりながらも額縁をひっくり返すと―――コニーは目を見開いた。
「これは……」
そこには、黄ばんだ封筒が貼りつけてあった。
心臓が、どくん、と嫌な音を立てる。これはなんだ。もしや本当にリリィ・オーラミュンデの遺した手がかり、なのだろうか。いや、ただの遺書かも知れないし、ただの鑑定書かも知れない。けれど、いずれにせよ赤の他人のコニーがそれを手にすることは躊躇われた。どくどくと心臓が早鐘を打っている。
悩んでいると、ふいに外から物音が聴こえてきた。ぎくりと身体が飛び跳ねる。規則正しい靴音はそのまま通り過ぎることなく礼拝堂の前で止まった。
―――誰かが、来る。
ぎい、と扉が僅かに軋んだ。どうしよう。突然の事態に頭の中が真っ白になる。どうしよう。どうしよう。どうしたら。動けない。どうしたらいいか、わからない。
スカーレットがはっとしたように叫んだ。
『しまいなさい!早く!』
その声に弾かれるように、糊付けされた封筒を強引に剥がすと胸元に押し込んだ。それから壁に飛びつくようにして聖画を掛け直すのと、錆びた音を立てて扉が開いたのはほぼ同時だった。入ってきた人物を見て、コニーはひゅっと息をのみこむ。
―――見上げるほどの体躯。襟足の短い黒髪に、紺碧の双眸。よく日に焼けた肌。肩幅は広く全体的に筋肉質で、顔立ちにも甘さはない。体が竦むような威圧感。そんなおっかない男性が、気難しい表情で、コニーを見下ろしている。
『なっ』
突然現れた青年の姿を確認すると、スカーレットが上擦った声を上げた。
『なんでお前がここにいるのよ、ランドルフ・アルスター!』