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「下手を打ったわね、スカーレット・カスティエル」
面会と称してやってきた女は、開口一番そう
「はあ?」
石造りの冷たい牢獄に辟易していたスカーレットは、反射的にリリィを睨みつけた。このすました女とは物心ついた頃からの腐れ縁だが、出会ったその日から皮肉の応酬をする間柄だった。とにかくすべてが癪に障る。おそらく向こうも同じ気持ちなのだろうが。
リリィ・オーラミュンデは、スカーレットほどではないが容姿に恵まれていた。癖ひとつないまっすぐなプラチナ・ブロンドに白く透き通った肌。華やかではないが彫刻のように整った顔立ち。造作だけを見れば、それは作り物めいた冷たい美しさだったが、常に口元に浮かぶ穏やかな微笑と丁寧な物腰が彼女の印象を柔らかくしていた。実のところその薄い水色の瞳の奥はいつだってひどく冷めていたのだが、そのことに気がついていたのはスカーレットくらいだっただろう。
「だからあれほど目立つ行動は避けなさいと言ったでしょう」
出来の悪い生徒を叱りつけるような口調に苛立ちを覚える。
「なによ、そんなの仕方ないじゃない。わたくしは何をしても目立ってしまうんだもの」
「それに、こんなところ、すぐにお父様に言って出してもらうわ」
忌々しい気持ちで、牢屋の中を一瞥する。固くて寝られやしないが、一応、寝台はある。椅子もあれば机もある。窓はないが、申しつければ明かりを灯してくれる。冷たい水しか出ないが洗面台もあった。囚人の住まいとしては上等なのだろうが、スカーレットにとっては豚小屋以下である。こんなところにはもはや一日だっていられない。きっと父が何とかしてくれるはずだ。カスティエルは王家に次ぐ権力を有する公爵家なのだ。
その様子を見たリリィが呆れたようにため息をついた。
「あなたって、本当にお馬鹿さんね」
「なんですって?」
「いくら記憶力が良くても、勿体ないことに情報を組み立てる能力が欠如しているんだもの。そういうのを宝の持ち腐れというのよ。いいこと、釈放が可能ならば、あなたがわざわざカスティエル公爵に訴えなくてもとっくにそうされているでしょうし、そもそも投獄などされていないはずよ」
「……だって、出られないわけ、ないじゃない。わたくしは毒を仕込んだりなんてしていないもの」
「そうね。そうでしょうね。でもね、だからこそ問題なのよ。カスティエル家の人間を嵌めることができる存在があるということが問題なの。そしてこの段階になっても、それが何者なのかわからないことは大問題なのよ」
そんなわけない、とは言えなかった。もう投獄されて半月が経つ。スカーレットだってさすがにそろそろわかってきている―――認めたくないだけで。
「だから今日はお別れを言いに来たの。私はこの件に関して手を引くわ。本当に癪だけれど、この事態は私の手にはあまるみたい。ごめんなさいね、スカーレット。あなたのこと、できれば助けてあげたかったけど―――」
そこで一端言葉を切って、困ったように首を傾げる。
「私、自分の身の方が断然可愛いのよね」
そう言うと、ちっとも申し訳なくなさそうにリリィ・オーラミュンデはにっこりと微笑んだ。
◇◇◇
『―――と、いうわけよ。あんな図太い女がどう考えたって自殺なんてするわけないでしょう!?わたくしの死を悼んで慈善活動?ふん、それだってぜったいに自分のためね。だって子供の頃からずーっと言っていたもの。女性が男性のような生き方が出来ないのはおかしいって。性別なんて関係ない、能力のある者が上に立つのが合理的だって。それに結婚にも興味がなかったみたいだし。変なこと言う奴だと思っていたけど、けっきょくわたくしをダシにして上手いことやったんじゃない。まったく、図々しいにもほどがあるわよ!』
コニーは壁に手を当てがっくりと項垂れていた。悪女側の人間でありながら常に凛として正しく振舞ったという《博愛の白百合》は幼い頃からコニーの憧れだったのだ。
『だいたい皆わたくしを責めるけど、わたくしより、あの性悪の方がよっぽどひどかったんだから』
「り、リリィさまが?」
『そうよ。あいつはね、ぜったいに自分の手を汚さないの。たとえばセシリアがエンリケと楽しそうに喋っていたとするでしょう?わたくしだったら身の程知らずをその場で引っ叩くわ。けどね、リリィは何もしないの。ただ、悲しそうな顔で俯くだけ。そうしておいて、スカーレットが可哀そうだわ、とか何とか健気なことを呟くのよ。そうするとね、どうなると思う?誰もなにも言わなくなって、リリィの信奉者どもが勝手に動いてくれるのよ。それだけじゃないわ。別に信奉者じゃなくても、その場にいた人間がセシリアにたいして悪い感情を持つように仕向けるの。それってとっても―――陰険でしょう?腹黒いでしょう?間違っても友達になんてなりたくないでしょう?リリィ・オーラミュンデという女はね、いつだって冷静で、頭が良くって、恐ろしいほど抜け目のない奴なのよ!』
なにそれこわい。コニーは顔を引き攣らせたが、スカーレットは別のことを考えたようだった。『……やっぱり、変だわ』
「変、ですか?」
『そうよ、変よ。こんなのおかしいわ』
「へ?」
『どう考えても、あのリリィが自殺なんてするわけないもの。でも、もし本当に自殺だとしたら、なにか、あの女の手に負えない事態が起こったんだわ』
紫水晶の瞳が何かを考え込むようにゆらゆらと揺れている。
『だって想像してごらんなさい。真夏に雹が降ってくる?そうね、十年に一度くらいは起こるかも知れないわね。けれど、十年に二度は、ちょっとあり得ないでしょう?』
「た、確かに。ええと、それは、つまり?」
『つまり、これはわたくしの復讐と関係しているということよ。お前だってそう思うでしょう、コンスタンス・グレイル?』
―――うん、思わない。
けれど目の前の女王さまの顔があまりにも自信にあふれているので、コニーは己の発言を自粛することにした。
◇◇◇
数日後。お仕着せ姿のコニーはとある孤児院の前にいた。門近くにある守衛所の窓口に用件を伝えて取り次ぎを頼むと、しばらくしてから紺色の修道服に身を包んだ初老の女性が門の奥から出てくる。コニーは昨晩何遍も練習させられた口上を心の中で繰り返した。うまくやれるだろうか。足が震える。けれどちらりと横目で見たスカーレットが全くのいつも通りだったので、覚悟を決めて口を開いた。
「と、突然の訪問、申し訳ございません。わたくし、オーラミュンデ侯爵家の使いで参りました【レティ】と申します―――」