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「復、讐?」
コニーはぱちくりと目を瞬かせた。スカーレットは紫水晶の双眸に燃えるような怒りを湛えてこちらににじり寄ってくる。
『ええ、そうよ。わたくしを処刑に追い込んだ不届き者どもを一人残らず地獄に落としてやるのよ―――』
「そ、それは」
ただならぬ気配に気圧されて、コニーは、一歩、後ずさった。ごくりと唾を呑み込む。
「いったいどこのどちら様方で……」
そう簡単に
『知らないわよ』
「へ?」
『だってわたくし、嵌められたんだもの。あの小娘に毒を仕込んだ罪で処刑されたけれど、そんな地味なこと、このわたくしがするわけないじゃないの』
スカーレットはそう言うと、不愉快そうに瞳を
今なんと?コニーは思わず言葉を失い、たった今とんでもない発言をした相手を見つめる。
身に覚えのない罪での処刑。
―――それは、つまり、冤罪というのでは?
『だからね、コンスタンス。お前の役目はわたくしの手足となって真犯人を見つけ出し、そいつらに生き地獄を見せてやることよ!』
なんてことだ。心臓が早鐘を打った。コニーは、今の今までスカーレット・カスティエルは悪だと信じていた。信じ切っていた。愚かにも、まことしやかに流される噂なんかによって!
「じゃあセシリア妃の生家に圧力をかけて一族郎党土下座させたっていうのも嘘だったんですね……!」
これほどの美貌の持ち主だ。さらには王家も降嫁してくる大貴族の血統を持ち、王太子殿下の婚約者ときたら彼女のことを妬む者は多かっただろう。おそらく、そういった負の感情がこんなひどい噂を作り出したのだ。スカーレットは常に孤独だったに違いない。せめてコニーだけは本当の彼女を見つけて理解してあげなければ―――
ぐっと拳を握りしめ気遣うように微笑みかけると、スカーレット・カスティエルはきょとんとした表情を浮かべていた。
『え?やったわよ?』
「……はい?」
『なによ』
「……い、いえ。え、ええと、そしたら権力にもの言わせてセシリア妃を不敬罪で投獄したっていうのは―――」
『あったわね、そんなこと。あの女、全然懲りてなかったけど』
「……その、赤ワインぶっかけて舞踏会の最中にドレスを脱がしたやつは」
『下着を脱がしたわけじゃないんだから別にいいじゃない』
「公衆の面前での全力往復ビンタ……」
『それの何がいけないの?』
コニーは思わず息を吸い込んだ。
「―――色々やってるじゃないですか!?」
『なによ。別にたいしたことないじゃない!』
「充分たいしたことです!確かに処刑にはならないでしょうけど、普通に捕まってもおかしくありませんよ!?」
『なんですって!?お前、わたくしを誰だと思っているのよ!』
きっと眦が吊り上がり、噛みつくように一喝される。
「ひっ、スカーレット・カスティエルさまですごめんなさい!」
『そうよ!わたくしは偉いのよ!子爵の小娘をちょっと
「いやでもけっきょく処刑されてるし!」
―――あ、しまった。
滑らせてはいけないところで口を滑らせるのは、コニーの悪い癖である。さあっと血の気が引いていく。あまりの恐怖にスカーレットの方を見ることができない。視線を逸らしながら、それでも、最後の力を振り絞って口を開いた。
「あ、あのやっぱり復讐のお手伝いは―――」
よくないと思うんです。
けれど渾身の訴えは声になる前に一蹴された。
『―――借金』
コニーの言葉を遮ったのは、凪いだ海のように穏やかな声音だった。
『この家、借金があるんでしょう?これからどうするの?婚約破棄なんてしちゃって』
してない。コニーはしてない。やったのは目の前の女王さまである。
しかし全く以ってその通りだった。今回の一件でブロンソン商会の後ろ盾はなくなった。グレイル家は外聞と婚約者を捨て、恥と借金だけを残したのである。
コニーは悄然と肩を落とした。考えれば考えるほど首が絞まっていく気がしてならない。
『助ける方法がないわけではなくてよ』
その言葉に、ぱっと顔を上げた。よほど縋るような表情をしていたのだろう。スカーレットが愉しそうに咽喉を鳴らした。
『わたくしの復讐に、協力、するわよね?』
「う……」
『それに、まさかとは思うけれど、
「なにをすればよろしいでしょうか」
スカーレットは、にんまりと口の端をつりあげた。
◇◇◇
リビングに降りると侍女のマルタが心配そうこちらに走り寄ってきた。事情を訊けば、コニーは、グラン・メリル=アンの舞踏会から帰宅してすぐに倒れ込むようにして寝込んでしまった―――とのことだった。正直、まったく覚えていない。
グレイル家の面々が事の次第を知ったのは翌日のことで、その時にはすでにハームズワース子爵の尽力で教会から正式にニール・ブロンソンとの婚約破棄が認められていたらしい。なにそれこわい。
そして今、当主であるパーシヴァル=エセルは書類上の手続きをするために教会に赴いているという。コニーは思わず低く呻いた。誠実をモットーとするグレイル家の長である父は、もはや誠実が服を着て歩いているような人間である。娘の婚約者が浮気をするなど夢にも思わなかったはずだ。不可抗力とはいえ、コンスタンスが目覚めなかったのもよくなかった。その心中は如何ほどのものだったのか。血管の一本や二本、破裂してしまっていてもおかしくはないのではないか。心配になって訊ねると、マルタは深く深くため息をついた。
「―――それはもう。旦那様のお怒りは凄まじいものでございました。一時は決闘だと息巻いておられたほどです。奥様のお言葉で何とか理性を取り戻されたようですが」
曰く、コニーが自らの手で片をつけたのだから、それ以上の手出しは誠実ではないだろう、と。ありがとう誠実第一主義。ありがとうお母さま。グレイル家の手綱はいつだって母が握っているのだ。
「それよりもお嬢様、昨日から何も召し上がっていないでしょう?今ミルク粥でも作らせますから」
「わあ、嬉しい。お腹減ってたの。……あと、私宛に、何か届いている?」
最後のはスカーレットからの指示だった。そろそろ手紙が
マルタを見れば、やはり、真夏に雪でも降ったかのような奇妙な表情を浮かべていた。そうだろうとも。コニーは訳知り顔で頷いた。
「変なこと言ったわね。忘れてちょうだい」
「いえ、その―――」
◇◇◇
「なにこれどういうこと!?」
両手いっぱいに郵便物を抱えてコニーは絶叫した。
『ほら、わたくしの言った通りだったでしょう?』
マルタの話では、昨日からひっきりなしに信書を携えた使いが訪れたという。自慢じゃないが、生まれてこの方こんなにたくさんの招待状なんて届いたことがない。
『そりゃあ、話の種になるもの。貞淑であるはずの貴族の子女が公衆の面前であんなことやらかすなんて、ねえ?』
してない。何度も言うようだが、コニーはしてない。やらかしたのは目の前の女王さまである。
届いた招待状を見せろというので長椅子に腰かけガラス天板のテーブルに広げた。ざっと見積もっても二十はくだらない。そのひとつひとつをじっくりと検分していたスカーレットが、ふいに歓声をあげた。
『あったわ!ぜったいあると思ったのよ。招待状にフリルと金箔を使う下品な癖は十年たっても相変わらずね、エミリア・カロリング!』
そう言って、ひときわ目立つ招待状を指さしたので、コニーはそれを手に取った。裏には送り主の名が書いてある。
「……ゴードウィン男爵夫人?」
『ゴードウィン?やだエミリアったらダグラス・ゴードウィンと結婚したの?あの太っちょと?二本足の豚みたいだって、あんなにバカにしてたのに』
ふん、とスカーレットは鼻を鳴らした。
『とにかくエミリアの舞踏会に出るわよ、コンスタンス。あの子はね、おしゃべりと人の不幸が大好きなの。十年前のできごとだってうまく訊けば発情期のカナリアのように捲し立てるに決まっているわ』