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「くっそう……!」


 聖オリビエ通りの6番地にある古い建物から追い出されたミレーヌ・リースは、肩を怒らせながら淑女レディらしからぬ悪態をついた。門前払いを食らうのはこれで何社目だろうか。

 持ち込んでいるのはもちろんコニーの冤罪に関する記事だ。今回訪れたのはゴシップを専門にしている大衆雑誌なので興味を持ってくれるかと思ったのだが。


()()()()()()()で悪かったわね!」

 端から遊びと決めつけられて、まともに取り合ってすらもらえなかった。

「ああ、もう……」

 途方に暮れて空を見上げていると、大通りの方が何やら騒がしい。見れば、ひとりの少女が街頭で懸命に声を張り上げているようだった。

 後ろ姿しか見えないが、女性にしては短めの栗色の髪がふわふわと揺れていた。





「―――どうか、処刑に反対する署名をお願いします! コンスタンス・グレイルは無実なんです!」


 昼下がりの往来には多くの人が行き交っている。けれど少女の必死な訴えも虚しく、人々は一瞬足を止めるものの、内容を訊くと肩透かしを食らったような表情を浮かべて立ち去ってしまう。貴族の処刑など庶民にとっては娯楽でしかないのだろうか。

 それでも少女は声を張り上げ続いていた。「お願いします、お願い、どうか話を聞いて―――」

「ケイト……」

 たまらず声を掛ければ、友人は驚いたように振り向いて、それからくしゃりと顔を歪めた。

「すみれの会に、行ったんだけど」

 その声は、わずかに震えていた。

「十年前とは時代が違う、王家に目をつけられたくないって、言われちゃって」

 それでもケイトは泣かなかった。一瞬だけ顔を俯かせたものの、すぐに迷いを振り払うように勢いよく顔を上げる。強い眼差しがミレーヌを捉えた。

「でも、私は諦めないから。ぜったいに」

 ああ、とミレーヌは思った。この子は、なんて強いのだろう。それに引き換え、たかが何回か拒絶されたくらいでこの世の終わりのように感じていた自分が不甲斐なくて、ミレーヌはぐっと唇を噛みしめた。


「―――それは、けっこうな心がけね」


 その声は、突然割り込んできた。視線を向ければ、いつの間にか小太りの中年女性が傍に立っていた。その姿を見たケイトがはっと息を呑む。知り合いだろうか?

 女性は怪我でもしているらしく、白い三角巾で腕を吊っている。痛々しい姿をじっと見つめていると、彼女はあっさりと肩を竦めた。

「ちょっと()()()が過ぎちゃって」

 いったいどんなお遊びだ、と思ったが賢明なミレーヌは沈黙を貫いた。

「大人しく療養していたんだけれど、可愛らしいお客さまが来たって言うじゃないの。それでベッドから飛び起きてきたのよ」

「で、でも、もう断られて―――」

「あなたの対応をしたのは青年部の人間だったそうね」

 ケイトがきょとんと目を瞬かせる。

「十年前に公開処刑の廃止運動を先導したのは()()()の方なのよ」

 それから、何でもないことのように言葉を続けた。

「私たちが力になるわ。間抜けな鳥が毛繕いしているうちに首を絞めてローストチキンにしてやりましょう」

 まるで己に決定権があるかのような言い方に、ミレーヌは思わず口を挟んでいた。

「その、あなた、は……?」

 女性はミレーヌの方を振り向くと、「自己紹介がまだだったかしら?」と首を傾げた。

 恐る恐ると頷くと、彼女はわずかに口角を持ち上げてこう言った。


「―――キンバリー・スミスよ」





◇◇◇




 くたばれ、老害どもめ。


 ウォルター・ロビンソンは品悪く舌打ちをした。椅子の背もたれに腕を回し、蹴りつけるように机の上に足を乗せる。その姿はまさに絵に描いたようなチンピラである。日頃から『清く正しく』が口癖の彼の秘書が見たら、おそらくその場で卒倒することだろう。


 ここ数日、ウォルターは王都中を奔走していた。もちろん、コンスタンス・グレイルを助けるためだ。

 こう見えてウォルターは義理堅い男である。そしてコンスタンス・グレイルには返しても返しきれない借りがある。何せ、ウォルターの想い人であるアビゲイルを救ってくれたのだから。受けた恩は利息をつけて返すのがウォルターの流儀だ。それに、アビゲイル当人からも頼まれている。本当は彼女自身が動きたいのだろうが、今は消えた義娘の行方を探るので手一杯なのだ。

 ルチアを攫った犯人は十中八九【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】だろう。けれど相手はなかなか尻尾を掴ませないようで、捜索は難航している。

 くそったれ、とウォルターはもう一度吐き捨てた。状況が厳しいのはウォルターとて同様だった。室内に山積みにされている木箱に納められているのはコンスタンス・グレイルの処刑中止を求める嘆願書だ。今現在、彼女の友人たちが先導して集めているものとは違い、グレイル子爵から直接預かってきたものである。

 一体どんな手を使ったのかと訊ねると、子爵は何でもないように「我が家にはとっておきの勝利の秘訣があるんだよ」と言って微笑んだ。ご先祖様から受け継いだ由緒正しきモットーでね、と。


 ―――汝、誠実たれ。


 一度ついた炎は瞬く間に燃え広がり、今やグレイル領の若い連中が徒党を組んで王城前で抗議運動をする計画まで立てているという。さすがに一歩間違えれば投獄されかねないので、元気が有り余っている奴らは率先してキンバリー女史に預けることにしているが。


 そこまでは、確かに順調だったのだ。


 しかし、いざ嘆願書を届けるという段階になって問題が起きた。

 王宮側から嘆願書の受け取りを拒否されたのだ。貧民窟上がりの商人など信用ならないという理由で。どれだけ金を積んでも恫喝してもへりくだっても駄目だった。この様子では無理矢理渡したとしてもその場で握りつぶされかねない。

 そこで思い出したのは宰相であるアドルファス・カスティエルの存在だった。カスティエル家は娘を処刑された過去があるし、婚約者であったランドルフ・アルスターの関係でコンスタンスとも親交があったと聞いている。そこで伝手を頼って接触を試みたのだが―――


 第一王太子に付き添っているという噂のアドルファス・カスティエルは、どういうわけか、今、この国にはいないようだった。


「間が悪すぎるんだよ、くそったれ……!」

 頭を掻きむしっていると、背後から呆れたような声が掛けられた。

「ちゃんと組合に入ってないからこういうことになるんですよ」

 ぎょっとして振り向けば、白いシャツにズボンというシンプルな装いをした坊主頭の好青年が立っている。

 ウォルターは思わず目を丸くした。


「ブロンソンのお坊ちゃん? なんで、あんたがここに」

「ニールです。秘書の方が普通に通してくれましたよ。入る前にちゃんとノックもしましたが」

 聞こえていなかったようですね、と青年はあっさりと肩を竦めた。

「……ええと、それで? ブロンソン商会のお坊ちゃんが何のご用ですかね?」

 今このボンボンは組合がどうとか言っていたか。ウォルターの記憶が正しければ、それは歴史くらいしか誇るところがない弱小商会の集まりではなかったか。ちなみにくそダサい名前の。

「ニールです。用というか、一応、あなたにもご報告を。例の嘆願書、王宮に受け付けてもらえることになったので」

「は?」

 意味がわからずに、ウォルターは間抜けな声を上げた。

「困っていたんでしょう?」

「あ、ああ、いや、でも、どうやって……?」

「城下街商人組合を舐めてもらったら困りますね。まあ、あなたは組合にあまり良い印象をお持ちではないようですけど。ご存知の通り取るに足らない者たちの集まりですが、錆が浮くほど長い歴史だけはありましてね。どの商会も貴族連中に貸しのひとつやふたつ持っているんですよ。だから、皆で知り合いに()()()して、()()受け取って頂くことになったんです」

 ―――組合の理事はダミアン・ブロンソンだ。その息子であるニールは次代の理事候補であり、そんな彼が直々に声を掛ければ協力を得るのは容易いだろう。それはわかる。けれど、もちろんそれは善意からではない。老舗であるブロンソン商会に貸しを作り、いずれ利子付きで返済してもらう腹積もりに違いないのだ。

 正直なところ、この子どもにそこまでされる義理がない。ウォルターはニールの真意がわからず眉を寄せた。

「ええと、その、坊ちゃん」

「だからニールです」

「こんなことしたって、あんたには一文の得にもなんねえと思うんだが」

「そうですね。でも―――」

 何かを思い出すように目を細めたニール・ブロンソンは、憎たらしいほどハンサムな笑顔を浮かべてこう言った。


「コンスタンス・グレイルだったら、きっと、それがどうしたと笑うでしょうね」

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