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 中立派のケンダル・レヴァインがテオフィルスに接触してきたのは、アデルバイドに派遣していた使節団がファリスに帰国してすぐのことだった。


「レヴァインか。どうした?」

 使節団の大使であった彼は、ユリシーズ誘拐の責任を取らされ降格処分を受けていた。今はまだ謹慎中のはずである。

「どうしてもお耳に入れておきたいことがございまして」

「今度は私の心配か。また禿げるぞ」

 久方ぶりに見る生真面目な男は心労からか一回りほど痩せたようだった。痛ましいことに、ただでさえ慎ましやかだった生え際もずいぶんと後退してしまっている。

「ロドリック殿下は、今どうしていらっしゃるでしょうか?」

「順調に引き篭もっているぞ。最長記録じゃないか?」

 そう言って嘲笑してやれば、相手はわずかに目を細め、それから周囲を警戒するように口を開いた。

「―――ロドリック殿下は【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】という組織と手を組んでおります」

「……【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】?」

 テオフィルスは眉を寄せた。【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】は大陸全土を股にかけるという巨大な犯罪組織の総称である。巷では戦争や紛争、謀反クーデターの裏には必ずこの組織が暗躍しているとも言われているらしい。テオフィルスとてそのくらいは知っている。しかし―――

「あの小心者にそんな組織に入り込む度胸があるとは思えないが」

「もともと繋がりがあったのはアンナ妃です。彼女はロドリック殿下の行く末をひどく憂いていたそうで、地盤を作ろうとしたようですね」

 なるほど、とテオフィルスは小さく舌打ちをした。あの毒婦ならやりかねない。

 レヴァインはさらに言葉を続けた。

「組織の人間は身体のどこかに太陽の入れ墨があるとか」

「入れ墨?」

 ふいに脳裏を過ぎったのは側近のひとりだ。アレクサンドラの幽閉に尽力し、追放ではなく処刑を強弁した男。確か奴には―――右耳の後ろに入れ墨がなかったか。

「心当たりが?」

 顔色の変わったテオフィルスに気づいたレヴァインが、真意を探るように訊ねてくる。テオフィルスは動揺を隠すように首を振って否定した。

「俄かには信じがたいな。そもそも、あいつが玉座になど就けば保守派からの反発は免れないだろう」

 ロドリックの母親であるアンナは伯爵家の庶子だった。つまり、あの引き篭もりには平民の血が流れているのである。いまだに貴き血筋に執着する堅物たちが卑しき血を持つ新王を認めるとは思えない。

 そう告げても、レヴァインは厳しい表情を浮かべたままだった。

「……ユリシーズ殿下をかどわかしたのは【暁の鶏(ダェグ・ガルス)】です。傍系とはいえ、あの方はコーネリア・ファリスの血統をお持ちだ。彼を傀儡の王とし、ロドリック殿下は影で実権を握るおつもりなのでしょう。亡き母君のように」

「なるほど、屑だな」

「殿下も、くれぐれもご注意を。他の殿下方が排除された今、かの御方はテオフィルス殿下の暗殺計画を画策していると聞きます」

 これが本題か。テオフィルスは鼻を鳴らした。

「せいぜい気をつけることとしよう」

 それから、ゆっくりと、薄い鳶色の瞳に同じく薄い灰色の髪を持った男を見下ろした。

「ところでレヴァインよ。貴様は、一体どこでその情報を仕入れてきた?」

 ケンダル・レヴァインはどこの勢力にも属さない中立派だ。さらに言えばこの男は今までずっと隣国にいた。

 国外にいたはずの人間が、どうして国内の機密情報を手に入れているのか。疑問に思うのは当然だろう。

 平民上がりのレヴァインが、後ろ盾の弱いユリシーズに肩入れしていたことは知っている。

 ならば、これは罠ではないのか。例えば、ロドリックとテオフィルスを敵対させて相打ちにしようとさせるような―――


 咎めるような口調にレヴァインは一瞬だけ目を丸くすると、ひどく可笑しそうに口の端を吊り上げた。

 そして、告げる。


「―――アレクサンドラさまにございます」




◇◇◇



「それで」

 でっぷりと肥えた男は、贅肉に埋もれた首をせいいっぱいに動かして訊ねた。

「この豚めは、一体何をすればよろしいのでしょうか」

 するとハームズワースの女神は花が綻ぶように艶やかに微笑み、こう言った。


『―――鼠探しよ』



◇◇◇



 というわけで、ドミニク・ハームズワースは王城に来ていた。


 祭典用のどっしりとした法衣を纏い、病床に伏した王子のために祈りを捧げに来たと告げれば重厚な門はあっさりと開いた。その足で向かったのは王子の療養するエルバイト宮ではなく、国の要であるモルダバイト宮殿だ。



「―――本来であれば、近いうちにエンリケ殿下から()()()を頂く予定だったのですが」

 ハームズワースは腹をゆすりながら機嫌よく目の前の人物に話しかけた。

「ご慈悲?」

 不審そうな表情を隠���ないのは、エンリケの弟であるジョアンだった。もちろんおいそれと会える相手ではないが、聖職者の説教に耳を傾けるのは為政者の義務でもある。

「ええ。ご存知ありませんか? 我々が神から言葉を賜るには敬虔な方々からの()()が必要なのですよ。目に見えぬ祈りなどではなく、ね」

 要は寄進を強請りに来たのだと暗に告げれば、倒れた兄に代わって父王の代理を務めている年若い王子は不快そうに顔を顰めた。おや、とハームズワースは内心首を傾ける。コンスタンス・グレイルの処刑を許可したのはこの弟殿下だと聞いていたので、さぞ真っ黒な腹の内を抱えているのだろうと思っていたのだが。

「兄上がそんなことをなさるとは思えない。貴殿の勘違いだろう」

 きっぱりと否定するジョアンを、ハームズワースはじっと観察した。窶れて見えるのは兄を心配してか、それとも他に憂慮があるのか。もともと清廉な人物だと聞いていた。もしそれが真実であれば裁判も受けていない令嬢を処刑にするなど考え難い。とすれば、可能性があるのは―――脅迫か。

 そう言えば、今日はまだ妃殿下も小さな姫君プリンセスも姿を見ていない。ハームズワースは慎重に言葉を選んでいった。

「どうやらそのようですね。エンリケ殿下への祈りは終わりましたし、私は次の迷える子羊のもとへ行くことにしましょう。……ところで」

「なんだ」

「ジョアン殿下ご自身は、神の御手を必要とされているのでしょうか?」

「……それ、は」

 厳しいだけだった表情に初めて狼狽が浮かんだ。当たり(ビンゴ)だ。畳みかけようと息を吸い込んだその瞬間、新しい声が割り込んできた。

「―――これは失礼、お取り込み中でしたか?」

 振り向けば、扉の前にひとりの男が佇んでいた。

 気配など、まるきり感じなかった。ついでに言えば、入室の許可を求める挨拶もなかったはずだが、ジョアンは不敬を咎めるどころかさっと顔を青褪めさせた。

「……いや、今お引き取り頂くところだ」

 そう言って、まるで後ろ暗いことでもしていたかのようにハームズワースを追い出そうとする。

 何やら不穏な気配を感じたハームズワースは、得体の知れない男の方に身体を向けた。

「ええと、あなたは―――」

「ああ、ルーファスです。ルーファス・メイ。先日から財務総監代理をしております」

 これと言って特徴のない男だ。

 中肉中背で、どことなく気弱な顔立ちをしている。おそらくこの男が獄死したサイモン・ダルキアンの後任となったのだろう。

「あなたがそうでしたか。私は見ての通りしがない神のしもべです。ところで、我が教会にいらして頂いたことはありますかな?」

「生憎、着任したばかりなもので。いずれぜひ」

「ええ、どうぞご一考を。色々と便宜が図れますよ。()()()()

 ハームズワースはにたりと笑うと、そのまま手を差し出した。ルーファス・メイも応えるように穏やかな微笑を浮かべたまま右手を伸ばす。珍しいことに、この男は屋内でも白手袋をしているようだった。

「―――っ」

 指先が触れあったその瞬間、ばちばちっと小さな火花が散った。ルーファスが弾かれたように手を引っ込める。慌てた様子で手袋を外し火傷の有無を確認するのを見て、ハームズワースは低く笑った。

「おや、失礼。静電気でしょうか。それとも―――女神の戯れか」



◇◇◇



『お前、痛みを感じないの?』


 宮殿を出れば、声までも麗しい女神が怪訝そうに訊ねてきた。おそらく先程の握手の件だろう。

「まさか。ただ、あなたから与えられる痛みはすべて至上の悦びだというだけです」

 当然のように答えれば、まるで虫けらでも見つけたような蔑んだ表情で静かに見下ろされる。ハームズワースは慌てて咳払いをすると、もっともらしく言葉を続けた。

「それで、何か気になることでもあったのですか?」

『この陽気に手袋なんて怪しんでくれと言っているようなものじゃなくて?』

「まあ、確かに珍しいですが、潔癖症の私の大叔父は真夏でもシルクの手袋をしていましたし……」

『あら、今とっても耳障りな鳴き声が聞こえた気がしたのだけれど、どこかに養豚場でもあるのかしら?』

「いやはや真夏に手袋など全く以って怪しい限りですなあ!」

 声を張り上げれば、スカーレットは嬉しそうに、そうでしょう、と微笑んだ。空気までもがぱっと華やぐような美しさだ。ぼうっと見惚れていると耳元に果実のような唇が近づいてきて、ハームズワースの胸は年甲斐もなく高鳴った。

『―――()()()()()

 ひどく楽しそうな声に、ハームズワースはわずかに目を見開く。

『手首に太陽の入れ墨―――あの男、ルーファス・メイと言ったわね』

 見上げれば、ハームズワースの女神は傲慢な笑みを浮かべていた。

『あいつが鼠よ。すぐに素性を調べ上げて』

「仰せの通りに、我が君」

 胸に手を当て深々と腰を折れば、ふう、というため息が落ちてきた。

『……このくらいなら平気なのね』

 何の話だろうと顔を上げれば、紫水晶アメジストの瞳と目が合った。

『いつもは、さっきみたいな力を使うと眠くなるのよ。今回は威力も抑えたし、一瞬だったから何ともないみたい』

 ああ、とハームズワースは頷いた。

「それはそうでしょうね。ああいった現象を起こすにはかなりエネルギーを消耗するのです。実体を保てなくなるのも無理はない」

 スカーレットのような彷徨さまよえる霊魂は、現世から何らかの形で生気を吸収することで存在を成立させている―――とハームズワースは考えている。その力を利用して生前の姿を模したり、物体を移動させたり、騒音を立てたりするのだ。

 霊に憑りつかれた人間の多くが衰弱していくのは当たり前だ。日ごと生気を奪われているのだから。けれど、コンスタンス・グレイルは特に弱っているようには見えない。おそらくスカーレットは大気や植物からも生気を得ることができるのだろう。ハームズワースの経験では比較的理性や分別のある霊魂にこのタイプが多い。いわゆる守護霊というものだ。

 それに、力を使い切って姿を保てなくなってもすべての霊魂が消滅するわけではない。彼らが本当の意味でこの世から消えるのは―――


 そこまで考えると、ハームズワースはゆっくりと口を開いた。

「ところで、スカーレットさまがこの世におられる目的は復讐ですかな?」

『当たり前でしょう』

 問えば、何を馬鹿なことをと言わんばかりに目を細められる。

「ふむ。それは、今もでしょうか?」

『なんですって?』

「ですから、今この場にいるスカーレットさまは復讐のために動かれているのですか? それとも―――コンスタンス・グレイルを助けるため?」

 その言葉にスカーレットは一瞬だけ押し黙った。それから吐き捨てるように告げる。

『……復讐に、決まっているじゃないの。あのポンコツが下手を打ったおかげでわたくしの復讐が果たせそうにないからお前に協力を求めたのよ』

「そうですか」

 ハームズワースはあっさりと肯定した。正直に言えば、復讐のためでもコンスタンス・グレイルを助けるためでもどちらでも構わなかったのだ。それより重要なのは―――


「肉体を失った魂が現世に留まり続けるには、強い感情―――もしくは目的が必要だと私は考えています。つまり、スカーレットさまをこの世に繋ぎとめているのはその復讐心なのでしょう」


 スカーレットが怪訝そうに眉を上げた。そんな姿でさえ、丹精に描かれた聖書の挿絵のように神々しい。


「だからきっとご自身の復讐が果たされたと感じたら―――あなたは、神の御許に戻られる」

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