白椿の女
白椿の女。
むかしむかし、田舎道でのこと。
年若い男がいつものように干し草を詰んだ牛車に乗り家路を急いでいると、美しい女が道の端にぽつりと立っていた。
「もし、乗せてくださいませんか」
鈴を転がすような声。
もう逢魔時だ。女が一人、外に出ていていい時間ではない。
「い、いいですよ」
心臓がなぜか波打つ。
女は美しく、黒地に白椿が染め抜かれた着物もとても良い品に見える。
二十歳をいくらも過ぎていない女がなぜ独り道端にいたのか。
干し草まみれの荷台に乗ってもらうのが申し訳ない。
女が乗り込んだのを確認して牛車をゆっくり動かした。
いくら駅馬車を掴まえられなかったとはいえ、見知らぬ男の牛車に乗るとはいったいどのような事情なのか。
もちろん男に悪い気は起こすつもりはない。
村を過ぎれば、 10里ほど先に宿場町がある。
昼間なら駅に向かう乗り合いの馬車も捕まえられるが、今時分にはもうないだろう。
駅ならこの別嬪さんが心安く泊まれる宿はいくらでもあるのに。
からから。
男は飼い葉を高く買ってくれる宿を思い浮かべた。
まさか宿場町まで行ってとって返したら、村の門番も寝こけてしまっているかもしれない。
困っている様子だったから、ついつい安請け合いしてしまったが、さてどうしたものか。
「うちの村に誰か知り合いでもいるんですかね」
「...ええ。」
女は言葉少なげに答えた。その声音はどこか気まずそうだ。
うちの村に釣り合う男などいたろうか。
駆け落ちをすっぽかされてあんなところに立っていたのか。
からから。
「もう少しでつくけれど」
もう、村の門の閉まる時間だ。住民は入れるが、よそ者は医者や、産婆、村人が身元を保証するものしか入れず、他は村の外で野宿するしかない。
「知り合いって誰ですかね」
どうも、村に知り合いがいるという話は嘘ではないか。
「...」
からからと車輪の音だけが響き、やがてぽつりと女の声が返った。
「あなたの知り合いということにしていただけますか」
決してやましい思いを持っているわけではない。
もう完全に日は落ちている。
もし、嘘をついて村に入れたとしても、小さな村の中に宿などない。
難儀するのは目に見えている。
「もしよかったら...うちに」
なぜか無性にに心臓がざわめく。つっかえながら、少しだけ後ろを向いた。
盗られるものもない。ぼろ屋だが、夜露は凌げるだろう。粗末な布やむしろをかぶって寝てもらうことになるが...。
干し草の間からちょこんと顔を覗かせた女が艶っぽく微笑む。
「お代は...」
「いいですよ。」
笑って、答え再び前を向く。
からから。
「もう、頂いていますわ」
瞬きのあと男の視界が傾いだ。
そこで男は先ほどまでとは何かが欠けていることに気づいた。
(なんでー...牛の......)
からから。
日はすでにとっぷりと暮れていた。
翌朝。
村まであと半里のところで横倒しになった牛車が見つかった。
そばには奇妙な首のない男と馬の遺骸が転がっており、村人たちは恐れおののいた。
すっぱりと斬られた切り口はとても人の仕業とは思えなかったからだ。
首なし男の素性はすぐに知れたが、男と牛の首は村人がいくら探しても、見つからなかった。
白椿の女の姿はどこにもなかった。