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「なんというか、申し訳ありません」
深々と父に頭を下げてしまう。家を巻き込む事態になるのは多少想定してはいたが、まさかこんな形になるとは。だが父はむしろ平然……と言うよりも冷静に俺の申し訳ないという思いを切り捨てた。
「覚えておくがいい、ヴェルナー。宮廷貴族として大臣になるのであればこの程度の事はいつ起きてもおかしくないと覚悟しておくことだ」
その、この程度の中には万が一マゼルが亡命とかしたら家も命もなくなることもあり得るんだけどな。意外と父の肝が据わっていて失礼ながら驚いてしまう。大臣になるぐらいだから当然だと言うべきか、脳筋世界のせいなのか。
むしろ俺としては大臣になんぞなりたくないという気分だが。
「それにお前はマゼルを信じているのだろう」
「それはもちろん」
そこは自信を持って言える。よほどヴァイン王国側が問題を起こさなければマゼルがヴァイン王国を見捨てることはない。もっとも魔王討伐後もあちこちの国を冒険してまわる可能性ぐらいはあるだろうけど。
俺が断言したせいか、父は軽くうなずいて「ならばよい」とあっさり話を打ち切った。が、俺の方は気になったことがあるんで確認をしておきたい。
「もしかして、周囲には」
「向かいのシュトローマー伯爵邸と右隣のユーネル子爵邸には騎士団の人間が常時詰めているほか、裏向かいの旧ディール男爵邸は男爵が内務大臣補佐を拝命したため転居し空き家となった。現在は空き家扱いでゴレツカ殿が預かっている」
「……泥棒が入る余地は全くありませんね」
がっちりガードされてるじゃんか。ゴレツカってゴレツカ近衛師団副長殿ですか? 旧ディール男爵邸、数人程度じゃない人数が詰めてるだろそれ。他の貴族や商業ギルドとかが逆に羨むレベルだぞ。
ツェアフェルトが何もしなければ警備は万全ともいえるし、何か企めば即座に武力鎮圧されそうだ。その空気をまったく外に見せなかったあたり父もさすがに貴族だな。
「国の予算で館が警備されていると思っておけばよい。アリーとアンナは貴族の料理人などの仕事を学ぶ事になるだろう。リリーはしばらく礼儀作法を学ばせる」
「承知いたしました」
マゼルの両親は学園に行ってないから貴族式のアレコレを今から覚えるのは正直ちょっときついだろうからまあわかる。それに貴族の料理人は重職だ。料理人は毒殺防止も兼ねるから信頼されてないと務まらないし、それだけに給与も高い上級職扱いになる。
リリーさんの方は年齢的には問題ないが学園の方が半分閉まってる状態だしな。貴族家で働きながら礼儀とか学ぶのは手段の一つとしてはありふれているとも言える。
ただマゼルの家族は王都襲撃前に避難させる予定だったんだけどなあ。これどうしよう。王太子殿下のお声がかりとなると簡単に移動させるわけにもいかん。予定通りいかないことはよくあるがちょっとこれは想定外だ。
とりあえず考えていてもしょうがないので一礼して父の執務室を下がり、自分の執務室に入る。さっきは気が付かなかったが窓際に花が飾られている花瓶があるな。派手じゃないのは悪くないけど俺の部屋に花って似合わない気もする。
とりあえず机の上が片付いていることに安心。書類が積みあがってる脇机なんてない。ないったらない。
そっちを見ないようにして試作品の入った二つの箱を机の上で開けてみる。見た目は期待通りっぽいな。ちょっとチェックしてみるか。その後で別の奴の依頼書書かないと。やること多いな。
試作品の動作チェックを済ませると依頼書類作成の番なんだが、うーん、うまくいかない。ペンを持っていない反対側の手でがしがしと頭を掻きむしってしまう。ノックに対してうわの空で返答をした。
「失礼します、ヴェルナー様。お茶をお持ちしたのです、が……」
俺の返答を受けてお盆にティーセットを乗せて部屋に入ってきたリリーさんが絶句している。うん、俺でも他人の部屋に入ってこの様子を見たらそうなるかもしれない。足の踏み場がないもんな。
「あの、これは」
「あー、見苦しくして申し訳ない。ちょっとうまくいかなくてね」
苦笑してペンを立てる。床の上に丸い物体が無数に散乱しているのを確認して我ながら恥ずかしい。集中してたんで失敗作を丸めてその辺に放り出してしまっていたようだ。ダメな小説家かよ。
客用のテーブルにお盆を置いたリリーさんが拾い始めたんで慌てて俺も片づけを手伝う。貴族らしくないと言われるかもしれんが、これは全面的に俺が悪いんでやらせるだけだとさすがに気が引ける。
二人で全部を拾い集めて部屋の隅にまとめておく。ゴミ箱に入らないぐらいになってしまったんでしょうがない。
「悪いね」
「いえ、お気になさらないでください。あの、お茶をお持ちしたのですが」
「ああ、そうだね。一休みしようか」
うまく行かなくてイライラしてたのは確かだしな。俺がそう言うと安心したようにお茶を入れ始める。手際はなかなかいいな。接客業やってたからただの村人よりは慣れてるのかも。
「どうぞ」
「ありがとう」
一口飲んでみるとちゃんと茶葉の香りもするし濃さも程よい感じだ。淹れ方うまい。
「美味しい。ありがとう」
「はい」
ほっとしたように笑顔を浮かべる。学生時代もどっちかというと男の友人とつるんでることが多かったから、女の子にこんな近くで笑顔を向けられると困る。ティルラさんみたいに見慣れてればともかく。
とりあえず聞きたいことがあったからその辺は意識から追い出した。
「そう言えばリリーさんは」
「あの」
呼びかけたら困ったように声を上げた。はて。
「お立場もありますから、呼び捨てにしていただけないでしょうか」
「あ、あー」
そうね。マゼルの妹を呼び捨てにするのは気がひけるんだが貴族が使用人にさんつけるのは確かに問題だわ。納得もしたし理解もしたが呼び捨てにするの意外とハードル高いなこれ。
「わかった。……リリー」
「はい」
うぐ、笑顔の破壊力がでかい。とりあえずなんとか話をすすめる。
「ここで働くことになっているみたいだけど、いいの?」
「はい。こんな立派なお屋敷で働けるなんて思っていなかったので、伯爵様からお声がけしていただけたのは嬉しかったです」
「そ、そう」
「それに皆さんお優しいですし、勉強もさせていただけているほか、礼儀作法も教えていただけているのでやりがいもあります」
「あ、いや、いいならいいんだけど」
まあ普通貴族の家で働けるのって平民階級から見ると名誉なことになるんだが、表向きの理由だけじゃないからこっちの内心は複雑だ。ただリリーさんは素直に喜んでいるっぽいんで俺も気にするのはやめておこう。
「ヴェルナー様は何をしていらっしゃったんですか?」
「ちょっと図を描きたかったんだけど」
机の上には複数の金属の玉と一部を改造した魔道ランプ、そして紙とペン。とりあえずこれをなんとか図にしたかったんだが、イメージ画像レベルでもここまで複雑だとなんというか俺の手には余る。
「ご覧の有様なんだよ」
「ええと……」
困ったように笑われてしまった。うん、四角とか三角とか曲線がごちゃごちゃしてるだけだよな。描いた俺ですらそう思う。苦笑いしていたらリリーさんが意外なことを言い出した。
「あの、よろしければ少し紙とペンをお借りしても……?」
「え? いいけど。座る?」
「はい、ではあちらで失礼します」
気分転換と軽い冗談のつもりだったんだが、リリーさんは躊躇なく魔道ランプも持っていき、来客用のテーブルの上に俺が丸めた紙の反古を広げた。そこでサラサラとペンを走らせ……え?
「上手い……」
「宿だと文字の読めないお客様もいらっしゃるので、食事の内容とか、村のお店の場所とかを絵にしていたんです。両親にも褒められました」
理由は理解したがこれは絶対そんなレベルじゃない。多分リリーさんは絵画か何かの芸術系スキル持ちだ。宿が焼け落ちてたからか全く気が付かなかった。まさかこんな才能があったとは。
「どうでしょうか」
「正直驚いた」
リリーさんの見た目からのイメージとは違いレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチを彷彿とさせるリアル寄りの絵だが、ものすごく上手いし見やすい。これは詳しく説明して、ちゃんとした紙に清書してもら……いやちょっと待てよ。
「リリー……は文字の読み書きできるよね」
「え? はい、宿帳の代筆とかをすることもありました」
「計算もある程度はできる?」
「宿代とか、お食事代の計算とかぐらいでしたら。今はもうちょっと複雑な計算を時間があるときに勉強させていただいています」
待て待て待て。この世界で文字の読み書きができて、足し算引き算レベルでも計算の基礎ができていて、絵も上手いだと?
ひょっとしてこの子かなり貴重な人材なんじゃね。