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「あの……どこかおかしいでしょうか」
しばらく絶句してしまったので不安になったんだろうか。リリーさんがそんなことを言ってきたが、ここにいることがおかしいとか言ったらさすがに傷付くだろうからそうは言えない。
と言うかメイド服が似合いすぎていてむしろそういう意味でも反応に困るんだが。
「ああ、いや、別におかしくはないけど何でここに?」
「はい、伯爵様のご厚意で働かせていただいています」
笑顔でそう答えられた。父上何を考えてるんですか。内心でとは言え素で突っ込んでしまった。
だいたい貴族の家で働くって実は結構うるさい。身元保証とか何かあった時の責任の所在とか。いやもちろん民間からの登用もあるにはあるけど。基本的に労働力として職場を用意し雇用するのも貴族の役割の一環だからな。
皮肉っぽい言い方をすれば、肉体労働は下層階級の仕事、上流階級の貴族はそんなことをしないという対外アピールの一面はあるのは否定できない。
とはいうものの、大臣宅で働くともなれば相応の立場が必要になる。実は中級以上の貴族家だと単純な泥棒ぐらいなら財政的に影響はない。泥棒を雇っていた、人を見る目がないとか言われる名誉の問題は大きいが。
だが大臣としての書類とかが流出するとそれはもう馬鹿にならない騒ぎになる。だから普通は一族の令嬢とかが礼儀見習いの修行兼ねて雇用されたり、親が使用人だった娘が雇用されたりする。その時点で身元保証が終わってるから。
まあメイドと言ってもピンキリではあるんだが。ぶっちゃけ掃除とかやる
余談だがメイド服って実は中世後期まで一般的ではない。何度も言うが中世だと服が高い。だから普段は汚れたり破れたりしてもいいような古くなった服で仕事をすることの方が多くなる。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」なんかが中世女性が着る普段の仕事着の例。
貧乏な貴族だと当主一家のおさがりをメイドが着てたりするんで、どっちが使用人だかわからないなんてことさえ起きたりする。逆に物語のネタになったりもするんだが。来客の坊ちゃんが一目ぼれしたのが令嬢じゃなくてメイドだったとかな。
よく物語で前触れなしに来客が来て騒ぎになるのは、来客時に着る外向けの使用人服を着ていないんで、普段どんな服を着てるのか来客に内情が見られてしまう可能性があるという面子の問題も大きい。
だがこの世界どういうわけだかメイド服とか貴族の使用人レベルまでは高価ではあってもやたら服が充実している。なんでも数代前の王妃が産業としての服飾に力を入れていた名残らしい。自分が一番恩恵にあずかっていたそうだが。
職人の傾向として上流階級向けの職人が多いのはいいのか悪いのか。まあそこはどうでもいいか。自分が着る服も質がいい事もあるし、文句を言うとバチが当たりそうな気もするんでそこは思考から追い出すことにする。
あとゲーム世界のせいなのか知らんが前世での中世と近世がたまにごっちゃになってる。今目の前にいるリリーさんが就いている接客や給仕を担当する
そういうイメージがあるだろう、食事で給仕とかするメイドさんって前世では十九世紀ごろからの話。中世では給仕とか、客の出迎えとかって普通は男性の従僕がやっていた。
十九世紀初頭でも男性を雇えない貧乏な家が女性にやらせていたんで、女性にやらせるとお里が知れると言われたらしい。これには中世の男尊女卑思想が影響していた一面はあるはず。実際男性の従僕と比較して五割から七割ぐらいが女性の給与だったらしいし。
例外は乳母とか女性家庭教師とかの次世代育成に関わる仕事だがその辺は長くなるんで割愛。
ところがこの世界ではもう客間女中とか普通にいる。女性騎士や女性冒険者もいるし、学園には女性教師もいたな。前世の中世よりも女性の社会進出が進んでいると言えなくもないのか。
メイドの正装服が華美なのも含めてイメージ上のヨーロッパがそのまま反映されてる感じだ。あんまり考えるとこっちの頭が痛くなるんでこの世界はこういうものだと気にするのはやめておこう。
とにかく、この世界の貴族が雇う客間女中ってのは前世で言えば大企業の受付嬢みたいなもんで、来客対応をする関係上、容姿も重視されるが出迎え時のマナーとか貴族家で開くパーティーでの給仕とか、結構重要な立場を任されることが多いんだよなあ。うーん。
ともかく色々突っ込みたいけどリリーさんに言っても仕方がない。熱心に仕事してるんで言いにくい感もちょっとあるし。
凱旋式で使ったマントを脱いで手渡すと、専用ハンガーにかけて丁寧にブラッシングを始めているリリーさんを横目で見つつ、リリーさんを指導していたティルラさんに声をかける。
「鎧の着替えは後だ。ノルベルトは?」
「現在は自室で作業をされておられます」
「解った。俺の執務室に呼んでくれ」
「かしこまりました」
うん、同じ聴くなら父本人か父の執事でもあるノルベルトの方がいいだろう。そう思いながら俺が預かっている執務室に入るとフレンセンが頭を下げてきた……のはいいんだが何だこれ。
「ご無事のお戻りをお喜び申し上げます」
「ああ、そういうのはいいから。で、これは何だ」
俺が指さしたのは机の上。なんか色々書類が積んであるんだが。と言うかよくこれ崩れないな。積んだ奴のバランス感覚は褒めていい。
「こちらの書類は釣書と似姿の束、こちらの束は商業ギルドや衛兵隊からの提案書や要望書、こちらは報告書で試作品のサンプルが別にあります」
「釣書と似姿にも突っ込みたいが提案書や要望書ってなんだよ」
「提案書は商業ギルドの関係者からで、あれほどの武具類に関する情報を得ていたヴェルナー様にご意見が欲しいと」
「俺は商業方面にこれ以上手出しする気はない」
そもそもあの装備品に関してはゲームの知識なんだよ。経済を理解しておく必要はあるから基本的な流通状況は貴族として知る必要はあるけど、商売ができるほど詳しくないっての。
それに商売に手を出すと絶対にコンスタントに手を入れつつ長期的な改善も必要になる。少なくともしばらくはそんな暇はない。魔王が討伐された後なら考えてもいいけど。
「要望書のほうは水道橋巡邏の手順書に感銘を受けた方々が他の職場でも同様の手順書作成を希望しておられるとの事です」
「なぜ俺に言う!?」
いやフレンセンに言ってもしょうがないんだが。と言うか自分たちで作れ。場所によって必要条件違うだろうが。本当にそういう技術継承のノウハウが見て覚えろ状態なんだなこの脳筋世界め。手順書を作る手順書が必要なのかひょっとして。
「そのほかに面識を得たいと言う方からのお誘いなども」
「間に合ってる」
確かに俺の交友関係広いとは言えんけど。貴族としての顔繋ぎならまだ父がツェアフェルト家の当主だし、一応俺は学生の年齢。俺目当てってのは大体最初から下心満載の相手だろう。そんなのに割く時間はないんだよ。俺を踏み台に王太子殿下に近づこうってやつも多いだろうし。
思わずため息が出てしまった。なんでこんなことになっているのやら。頭を抱えこそしなかったが内心で愚痴を言っていたらドアのノックの音がしてノルベルトが到着を伝えてきた。すぐに入ってもらう。
ひとまず積んである書類の山から頭の中を切り替える。聴きたいこともやらなきゃいけないことも山積みされているが、まず直近の問題だ。
「ご無事で何よりでございます、ヴェルナー様」
「そのあたりは省略してくれ。父からこれからの事は?」
「大筋では伺っております」
「なら話は早いな。本日は館の人間は外出を禁止する。使用人の家族の所には手配が済んでいるはずだ」
「はい。伯爵様も王都に残っていたツェアフェルト家の関係者や傭兵まで手を回して対応済みでございます」
さすがにその辺はそつがないな。ゲームや小説では騎士や警備兵は主人公の引き立て役でしかないが、本来彼らは戦闘と治安維持の専門家だ。任せておいても問題はないはず。とは言え警戒を緩めるわけにもいかないんだよなあ。
机上の紙の山を横目で見て内心ぐったりしながらロビーに椅子を持っていかせた。落ち着くまではロビーで警戒しつつ非常時に備えることにする。そう思いながらついでに確認しておく。
「ハルティング一家はどうなっている?」
「伯爵様のご指示で家族そろって住み込みで働いてございます」
よし、後で父を問い詰めよう。
※それをベースに改造すると
『貧乏伯爵のメイドに転生しましたがお嬢様と間違えられて婚約申し込みされて困っています!』
とか言う話が書けてしまいそうな逸話もあります(笑)
活動報告の方で修正に関して記載しました。
こちらでも御礼申し上げます。