――7(●)――
※三人称でヴェルナーとは別の場面となります
おかしい。
王太子は怪訝な表情を隠そうとせず周囲を眺めやっていた。
周囲の騎士たちもいつもと違う、と言う様子を隠しきれなくなっており、その傍には少年の王太孫が不安げな表情で控えている。
開戦直後は王太孫も早く前線に出たいというようなことを繰り返し、周囲の騎士たちを困らせていたが、周囲の空気が変わったことには気が付いているのだろう。
今では借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
たびたび飛び込んでくる使者は、味方の戦況を伝えるもの。表現を選んでいるが、勝報ではなく苦戦や混乱を伝えるものが多い。
そしてそれ以上に多いのが敵の戦意と行動についてだ。
「殿下、これは……」
「普通の魔物暴走ではなさそうだな」
魔物暴走自体は珍しい事ではあるが、初めてではない。
普段は人間側が様々な手段で対応すれば大体は散り散りになって解体し、溶けてしまう。魔物側に指揮官がいない、ただの集団だからだ。
だが今回はまるで……。
「死兵の軍、ですな」
「私も同じ感想だ」
腹心の騎士の感想に王太子も苦い表情で答える。何しろ相手は損害を無視して襲い掛かってくるのだ。勝手が違う、としか言いようがない。
こうなると数は力である。騎士団ですら徐々に死傷者数が増え損害が大きくなってきたことに気が付かないはずもない。
だが乱戦状態で撤退するのは用兵の観点でいえば下策も下策である。徐々に後退するしかないが、切っ掛けが掴みにくい。
ずるずると乱戦が続き、気が付くと戦闘の音は本陣近くにまで及びつつあった。
「ノルポト侯からのご報告っ、クランク子爵、討死!」
「なんだと!?」
駆け込んできた伝令の伝えた内容に側近の騎士が思わずと言う形で声を上げ、王太子も無言のまま眉をしかめた。
クランク子爵その人についてさほど親しいわけではない。が、左翼は爵位貴族が戦死するような事態に陥っているという事になる。
実際の所、本陣ですべての戦況が確認出来るような楽な戦いはそう多くない。まして変化に応じてすぐに指示が届くわけでもない。混戦ならなおのことである。
総司令官の指示が最前線の現場に届くまでの間、兵を指揮して戦線を維持し、指示を受け取り実行する前線指揮官の質が軍隊の質を評価するポイントの一つでもあるのだ。
逆に言えばクランク子爵隊はもはや兵を指揮する人間がいなくなったわけで、子爵隊にあと何人の騎士がいたとしても部隊としては期待できない。
部隊単位で副将がしっかり決まっているツェアフェルト伯爵家隊はこの世界ではむしろ例外である。
更にほとんど間をおかず、ドホナーニ男爵の負傷後送とミッターク子爵の行方不明と言う報告が本陣に届き、王太子の周辺に重苦しい空気が漂い始めた。
中央の第一騎士団、右翼第二騎士団には指揮官級の人材に犠牲者は出ていないようだが、騎士の中にも犠牲者が出ていることは確かである。このままでは被害が大きくなる一方だ。
そう考えていた矢先、右翼の方向から歓声が上がった。
「何事だ?」
王太子の発言にしばらくは答える者はいない。
だが、本陣前でも歓声が上がるとともに急に戦場の音が遠ざかっているような気配は感じられ、本陣の中に奇妙な静寂が生じる。
「申し上げます!」
「何事か!」
右翼の方向から駆け込んできた伝令に、騎士の一人が鋭く応じる。やがてその報告に、王太子の周辺から困惑と共に安堵の声が上がった。
第二騎士団が『人語を話す、巨大な人間の体に蛙の頭をした怪物』を倒した途端、魔獣たちが後退を始めた、と言うのである。
そのような魔物は聞いたこともなかったが、どうやらそれが敵指揮官であったに違いない、と王太子の周囲も信じたのだ。
戦場の音が遠ざかっているのは普段なら雑魚同然の魔獣に苦戦させられていた騎士団が逆撃に移ったためだろう。
「父上、僕も前線に出たいです!」
どうやら事態が好転したと理解したのか王太孫が再びそんなことを言い出した。
すぐに応じなかったのは、今迄苦戦していた前線の有様をまだ子供の息子の目に触れさせるべきかどうか躊躇したからである。
情景が凄惨な状態になっていることも考えられたからだが、そのような光景を見せるのも教育か、と考えた矢先、王太子の耳朶を本陣の外から届く声が打った。
「王太子殿下、進言したい事がございます!」
この一言を書かないと評価はいらないと思われるらしいので…
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