揺れる心
どうしてあんな態度をとってしまったのだろう。
日が落ちる夕焼けの空の下。誰もいなくなった公園のブランコに座りながら少女は考えていた。
どうして自分はあんな目に遭わなくてはいけなかったのか。彼女達が何故自分にあんな言いがかりをつけてきたのか。
本当に彼は、頼まれたからという理由だけで自分を助けたのか。
別に大した悩みではない。そんな思い耽るような内容でもない。
ただ、まるで宝箱の鍵を見つけたと思ったのに、その鍵では開けられなかったような、そんな感覚。
絶望はしていない。別に元から鍵を探していたわけでもなければ、宝箱と呼べるほどの期待を抱いていたわけでもない。
ただ嬉しかった。見ず知らずの人間である自分を、勇気を出して救ってくれたことが、本当に嬉しかった。
両親以外、味方がいないと思っていた私の日常に光が差したと勘違いするほどに。
でも違った。彼は私を助けようとして助けたのではなかった。そこに彼の意思はなく、ただ指示されたらから行動したにすぎなかった。
言葉にできないとはこういうことを言うのだろう。自分に味方などという存在はいないというわかりきった事実を再び突きつけられたような気がした。
静寂を破るように、辺りに着信音が鳴り響く。
(……知らない番号。誰?)
恐る恐るスマートフォンを耳に当てる。
「……もしもし」
『おお姫川。ようやく繋がった』
「……なんの用?」
電話の主は担任の教師だった。拒絶を示す人間の懐にずかずかと土足で入り込むような不躾な女。
『いやお前が私の電話着信拒否しているの把握している。だからわざわざ娘のスマホを借りたのさ』
「あたしは何の用があるのか聞いてるんだけど。用がないならさようなら」
『あぁ待ちたまえ。お前、今日穂高に会っただろ』
「穂高?」
『なんだあいつ名乗りもしなかったのか。目の下にクマがある不健康そうな青年だ。本屋で会っただろう』
なんだ、やっぱりそうなんだ。
「あぁ。あんたが寄越したやつでしょ? 穂高って名前なんだ」
『名前なんだ、って隣の席のやつの名前くらい覚えておきたまえ』
「そんなの興味ないから知らないわよ。それで? 彼がどうしたの?」
『何、教え子の不始末を請け負うのが担任の務めというものだと思ってな。あいつ、お前に私が指示したから助けに来たって言っただろ?』
「そうね。一言一句全く同じことを言っていたわ。やっぱりあんたが指示してたんだ」
正直今すぐにでも電話を切りたかった。もうそんな話は聞きたくない。そんなことを話してどうなるというのだ。
『そんな人を悪人のように呼ぶんじゃない。それに、穂高にも言ったが私はきっかけを作ったにすぎん』
「は? なにそれ」
『あいつにはあいつなりの意思があって行動したということだ。
でもあいつは自分でも何故お前を助けたのかわかっていない。あいつは嘘が嫌いでな。変に取り繕うくらいなら事実だけを伝えようとしたんだろう』
「何それ。意味が分からないんだけど。事実を伝えたって言うんならあれが事実でしょ? 他になんの理由があるって言うのよ」
『普通自分を犠牲にしてまで知り合いでもない赤の他人を助けると思うか? 例え担任である私に頼まれたからといって』
「それは……。あんたがいつもみたいに変な圧力をかけたんじゃないの? だから逆らえなくて嫌々あの場に来たんでしょ?』
『ない。それは絶対に。自分で頼んでおいてなんだが、例え私が命令したとしても絶対自分からリスクをおかすようなことはしない。本来なら』
「なんでそんなことがわかるのよ。保身に必死なくせに、生徒の何がわかるっていうのよ」
『それは私の口からは言えん。とにかく明日は登校しろよ? そしてあいつともう一度話してみるんだ』
「いや。何のために私がそんなことをしなくちゃいけないわけ? そんな無駄なことをする必要ないでしょ?」
もういい。この教師と話をしていても埒があかない。
耳から離し、電話切ろうとしたその時。
『あいつはお前とよく似ている。だからお前が抱える周囲の環境への不満を変えられるとしたらあいつしかいないんだ』
「え? それってどう──」
聞き返したところで返ってくるのは、一体の感覚で流れるビジートーンだった。
「……」
あの教師の目的がわからない。彼女の行動は矛盾に満ちている。生徒を心配しているのかと思えば、問題の解決に自分は関与しない。
まるで物語を進めるための村人だ。助言やヒントを与えるが、当人がその場から動くことはない。
確かに、自立を促すという意味ではそれが最も正しいのかもしれない。それは至極当然のことで、無関係の人間が割って入るべきではない。教師としてあるべき姿なのだろう。
だが、彼女が動けばもっと早く解決したのではないか。彼をあの場に差し向けるより、自分で動けばもっと早く自分は助かったのではないか。
まぁ彼女も1人の人間だ。保身第一。生徒同士の面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁といったところだろうか。
まぁ別にどうでもいい。教師なんて存在が役に立たないことなんて今になったことじゃない。
なんにせよどうせ結果は変わらない。同じ回答が返ってくるだけだ。そんなことはわかっている。
……しかし何故胸の高鳴りを感じるのだろう。
「……馬鹿みたい」
顔伏せてそんなことを呟いていると、一匹の猫が鳴きながら擦り寄ってきた。
「あんた達は単純でいいわよね。私はそんな風に生きてはいけないわ」
いつだってそう。人間は単純そうでそうではない。都合によって転がるように変わる。
成績がいいからと言って褒められるわけではない。励ましたからといって喜ばれるわけではない。
……人助けをしたからと言って感謝されるわけではない。
「あ……」
自分が心底嫌になる。わかっていながら自分も結局同じなのだ。どんなに抗ったところで生まれ持った種であることには変わりはないのだ。
先ほど自分が穂高と呼ばれる青年にしたことはまさにそれではないか。
「……最低」
猫が可愛らしい顔で頬を擦り付ける。それはまるで自分を慰めているようで、まるで自分をあちら側に誘うようであった。