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封じられた本心

 というわけで現在に至る。


 書店でのごたごたの後、ようやく帰路につけると思ったところで、姫川が後ろから全速力で追ってきた。


「あ、あの。姫川、さん?どうかしました?」


「ひゃっ! あ、あの! その……」


 下を俯きもじもじと落ち着きがない。ほのかに香る甘い香りとちらちらとこちらを伺うような視線に心臓が縮み上がる。


「そ、その。大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫……。それ、より」


 深呼吸をし息を整え彩清を見つめる。


(やっぱり怒ってんのかな……。いやだって、名前も知らないような奴が横やり入れてきたら、誰だよってなるよな……)


 問題があれ以上大きくならなかったとは言え、姫川はただ一方的に責め立てられ、やり返すこともできなかった。


 あんなに理不尽な冤罪をかけられ、言われたい放題だったのだから鬱憤も溜まるだろう。


「あの! 本当にすいません! いや、余計なことをしたって自覚はあるんですけど、その……」


「な、なんで謝んの?」


「いや、姫川さん。自分で解決したかったのかな、って」


「いや、別に。てか余計なことなんて思ってないし……。ただあたしは!」


 姫川が急に距離を詰めてくる。


(あ、終わった……)


 これからくる衝撃に備え目を瞑る。しかし、いつまで経ってもそれがくることはなかった。


「あ、あれ……?」


「何で、助けてくれたの?」


「はい?」


 予想外の質問に


「だから! なんであたしのことを助けてくれたの? あたし達別に知り合いでも何でもないじゃん。それなのにどうして?」


 姫川は顔を真っ赤にしてこちらを見つめている。


「あぁ、えっと、それは……」


 桜や梓川に頼まれたから。それが答えである。実際問題、彼女達に頼まれでもしなければ自分は動かなかった。


 だからそう答えればいいはずなのに、その言葉出てこない。


 見栄をはりたいわけではない。嘘をつくのは自分の信条を捻じ曲げることになるし、自分が嫌いな人間そのものになってしまう。


 姫川の顔を見る。目尻を赤くし、こちらを見つめるその表情は何かを心配しているようにも見える。


 頼まれたから助けた。それ以外に理由など……。


(……ダメだ。何もないわ)


 愛想笑いのような笑みを浮かべ頭に手を当てる。


「実は、姫川さんのことをあのお店の店長さんや担任の先生が心配してて、頼まれたんですよね」


「……頼まれ、た?」


 姫川は唖然とした表情を浮かべる。


「そうなんですよ。たまたま僕があの近くを通りかかって、それで──」


「わかったわ」


「え?」


 姫川の表情が無表情になり、穂高に背を向ける。


「ありがとう。それじゃあ」


 そういうと姫川はどこかへ立ち去ってしまった。


「……それだけ?」


 いや別に何か褒美が欲しかったわけでもお礼を言って欲しかったわけでもなかったのだが、自分のことを追いかけて来たのだから、何か他にも用事があるのかと考えていたのだ。


 自分の返答が間違っていたのか。であれば彼女は自分に何を期待していたのか。そう言ったもの全てが分からず終いとなった。


「はぁ。まぁいいや、さっさと帰ろう」


 正直明日からの学校生活に備えて、少しでも早く休みたかった。


 自分がしたこと。それは最上やその取り巻きの人間達の顔に泥を塗ったようなものだ。もう少しで彼女達の計画は成功したというのに、完全な部外者である自分にそれを潰されてしまった。


 そして店を出て行った際の最上の様子からして、自分への怒りは極限に達しているだろう。


 明日から学校全体からどんな罵詈雑言を浴びせられるのだろうか。


「でも。あんな裏の顔があるなんてなぁ。美しいものにはなんとやらって言うけど、本当だとは思わなかった」


 今日の彼女は誰にでも優しく、誰よりも真面目だと言うイメージとはかけ離れた行いをしていた。


 その理由が何であるのか、なぜ姫川がターゲットになったのかは自分にはわからない。


「何にしろ明日が憂鬱だな。……ってか、姫川さんって滅多に学校来ないし、もしかして俺だけ集中砲火な感じ?」


 よくよく考えれば、彼女は学校に滅多に来ないではないか。


 つまり、明日から学校で嫌がらせという嫌がらせを受けるのは自分だけであって、彼女にはさほど影響はない。


「終わった……」


 心の底から先ほどまでの自分の行いを後悔した。そうだそうだった。彼女、学校、来ないじゃん。


(最初から負け戦だったってことかよ。洒落にならねぇ)


 何かを得ることなく、学校生活における1番必要なものを失った。どうやら自分は明日から武装無しで戦場に行かねばならないらしい。


 そんなことはお構いなしに、ポケットから耳障りな電子音が鳴り始める。


「……はぃ」


「あん、どうした? 元気ないじゃないか」


「今絶賛あなたの言うことなんて聞かなければよかったと後悔中です」


「何を言っとるんだお前は。でもよくやった。いや実は、お前が尻尾を巻いて逃げたんじゃないかって心配してたんだ」


「そうすればよかったって心の底思います」


「何故だ? 姫川も喜んでいただろ?」


「お礼は言われました。でもそれだけですよ」


「ん? んん? いやいやおかしい。私の予想では今頃お前達は仲良くやってると思ってたんだが」


「どこをどうしたらそんな妄想にたどり着くんですか…….。俺と姫川さんは反対も真反対の人間じゃないですか。先生は似てる、なんて言ってましたけど何処が似てるのか俺にはさっぱりです」


「いやそんなわけ……おい。お前まさか、私に頼まれて助けに来た、なんて言ったんじゃないだろうな」


「そりゃいいましたよ。それが真実ですし」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 電話の向こうで深いため息が聞こえる。


「お前さぁ。本当に馬鹿なんじゃないか?」


「ちょ! 教師にしては直接的な表現すぎると思うんですけど」


「事実だ。はぁ。お前が姫川を助けたのはお前の意思だろうが……」


「はい? いや、先生に言われなきゃ即帰してましたし、別に俺は助けたくて助けたわけじゃ……」


「私はきっかけを作ったに過ぎん。……まぁいい、明日学校で詳しい話を聞こう。姫川に書類を渡してくれたんだろうな」


「あの……そのことなんですが……」


「お前まさか……」


「……すんません」


「今すぐ姫川の家に行ってこい!」


 耳が痛くなるほどの怒声とともに電話が切られた。


「厄日だな……」


 具合も悪くないのにこんなにも足が重いのはいつぶりだろうか。まるで地雷原を歩かされているような、あるいは毒の沼地だろう。


 歩めば歩むほど、自分が不幸になっている、そんな気がした。


 


 


 

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