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私のヒーロー

 ……刺すような視線が辛い。


 いや自分が悪いのはわかってはいるのだか が、それでもあの興味がないもの、その場における異物を見るような視線が、怖い。


「……誰あいつ?」


「……さぁ?」


(あぁ空気悪。マジで部外者って感じだわ)


 男子生徒2名がこちらを見てコソコソと話している。ただ聞こえていないつもりなのだろうが、静まった店内にはいやでもその内容が耳に入ってくる。


「君、穂高彩清君、だよね?」


 そう言って近づいてきたのは最上だった。


「こうやって話すのは初めてだよね? 私は最上寧々。よろしくね」


 妙に慣れた手つきで自分の手を握るその仕草に鼓動が早くなるのを感じる。柑橘系の心地の良い香りが鼻腔をくすぐり、何やら自分が悪いことをしているのではないかと言う気になってしまう。


「あっ。えっと。ど、ども。よろしく」


(おいおい。なんで俺こんなに狼狽えてるんだよ。いやまぁ学校の人気者の女の子に手を握られれば誰だってこうなるとは思う。うん。俺だけじゃないはずだ)


「それで……。どうしたのかな? すごい慌ててたみたいだけど」


「あぁ。いや。その……」


(お前達が寄ってたかって姫川を陥れようとしているから止めにきた、とは言えないよな……)


 何か上手い言い訳を考えてくればよかった。まぁ自分にそんな余裕はなかったわけだが。


「て、店長さんに少し用事があって!」


「店長さんに?」


「そうそう! ちょっと色々とね! というか最上さんこそどうしてこんなところに? 最上さんこの近くの人だっけ?」


「あぁ。ううん。違うんだけど。たまたまね、寄る機会があって」


「……そうなんだ」


「そんなことより。穂高君、今日は悪いんだけど帰ってもらえないかな? 私達、これから大切な話し合いをしなくちゃいけなくて」


 最上が手を合わせて申し訳ないというような素振りを見せる。


「話し合い?」


「うん。だからね、できれば私達だけで話がしたいから帰ってもらえるとありがたいんだけど」


「……話し合い、ねぇ」


 彼女達がしているのが話し合いなどではないことなど見ればわかる。


 そして彼女達にとって自分はイレギュラー。つまりこの場にいること自体、都合が悪い。


 4対1。そして、最上の背後に立つ姫川の表情を見れば、それが極めて一方的なもので、自分が嫌いな人間の悪性なのだと。


「どうしたのかな?」


「……最上さん。悪いんだけど君達は本当に話し合いをしてたの?」


「もちろん。私達は──」


「でも、側からみれば話し合いをしているなんて思えないけど?」


 目尻を赤くし、悔し涙を浮かべながら立ち尽くす姫川雪を見て、誰がそんな話を信じられるか。


「……穂高君は何も知らないからそんなことを言えるんだよ。姫川さんはね、杏に暴力をふるったのよ? それもあざが残るくらい強い力で」


 視線を姫川達の方に向ける。そこにいたのは確かに"右頬"にあざのある少女がいる。


「私達は杏の友達として、姫川さんのしたことを許せないし。やってないって嘘をつき続ける彼女に罪を認めさせようとするのは普通じゃないかな?」


「……嘘をついているのはどっちだよ」


「え?」


 あぁそうか。彼女達は知らないのか。人を殴るとどうなるのか。


 頭に嫌な記憶が蘇る。


 安曇高校は、県内でも有数の進学校である。それ故にそこに通う生徒は良くも悪くも純粋なことが多い。少なくともまともな私生活を送ってきたはすだ。


 だから知らない。人を殴ったあとの手にはそれなりの跡が残るということを。


「あの。皆さんは人を殴ったことってありますか?」


「は? そんなのあるわけがないだろ」


「当然です。彼女のような野蛮な人と一緒にしないでもらいたい」


「私達だってないわよ。ねぇ杏?」


「そうよ! あるわけないじゃない! 大体今さっき殴られたばかりの人間に対してそんなこと聞くなんて、どういう神経してるの?」


「そうなんだ。因みにだけど、答えは殴った手は赤く腫れるんだ。まぁ力加減でどうにでもなるけど、少なくともあざが残るほどの力で殴りつければ、間違いなく腫れる」


「それがどうかしたのかな?」


「ねぇ最上さん。姫川さんの手。見てみなよ」


 姫川の手は綺麗だった。あぁ別に変な意味ではない。ただすらっとした絹のように白い手だということ。そこに人殴った形跡はなく、腫れてすらいない。


「あれは人を殴った人間の手じゃない」


「でも私は見たのよ?! この目で!」


 今まで聖母のような微笑を浮かべていた最上が声をあらげる。


「それに穂高君は何も知らないでしょ? 大体跡がないからってやってないなんて決めつけられるわけ……」


「あざが残るくらい強く殴って何の跡もないなんて逆に信じられないけど?  少なくとも俺は知らない。


 まぁ理由は他にも。ねぇ姫川さん」


「何?」


「姫川さんって確か"右利き"だよね?」


「! 何で知ってるの?」


「あ……いや……」


 たまにしか学校に来ないから、気になってはいたけど怖くて顔を見れないから、横目にスマホをいじっているところを見ていたとは言えない。


「いや、左利きの人ってさ珍しいから。もしかしたらって思っただけで。それでどう?」


「……右利きだけど」


「そっか。杏さんの顔の怪我右頬にあるから右利きの人じゃなくて左利きの人がやったんじゃないかなって思うんだけど?」


 自分は見逃さなかった。自分が左利きと指摘した途端奥にいた男子生徒の顔が一瞬強張り、左手をポケットにしまったのを。


「……だから? 別にそんなの左手で──」


「ねぇ。その奥にいる人、急に左手をポケットをしまったけど、何か思い当たることでも?」


「は、はぁ?! 別に俺何も」


「そう? なら左手の甲、見せてよ」


「な! ふざけんな! 何で俺が……」


「ふざけてんのはてめぇだろ。いいから黙って手出せって言ってんだ」


 それは怒りがこもった声だった。自分でもどこからそんな声が出たのか、自分が今どんな顔をしているのかわからない。


 ただ、つもりに積もった怒りが限界まで近づいていた。


 男子は驚いたような顔を浮かべる。まぁそれもそうだろう。自分のような学校生活の底辺に位置する人間がこんな態度をすれば驚きもする。


「……もし出せないならそれが答えさ。姫川さんは何も悪くない」


 彼らがどうして姫川を陥れようとしたのかはわからない。ただ、他人事のようには思えなかった。


 正直ここに来る途中何度も迷った。本当に自分は行くべきなのか。自分が行くことでさらに彼女を傷つけることになるのではないか。


 でも来てわかった。涙を浮かべる姫川を見て気づいた。結局自分は怯えていただけだ。


 面倒事に首を突っ込み、その後の自分の生活に支障が出るのが怖かっただけだ。


 過去のトラウマに囚われ、危うく自分と同じ境遇の人間を生み出してしまうところだった。


「……ちっ。行くわよ」


 最上が最後どんな顔をしていたのかはわからない。ただ怒りのこもった舌打ちをすると、逃げるように書店から出ていた。


 そしてそれに続くように、焦りと困惑を浮かべて無言で3人も続く。


「……っはぁぁぁぁ。き、緊張したぁぁぁ」


「お疲れ様穂高君。いやぁ、スッキリスッキリ。流石私達のお助けヒーローだよ」


「だからそのダサい二つ名みたいなのやめてもらえます?」


「事実でしょ? それにほら」


 桜が指を指す。その先にはこちらに背を向けうずくまる少女がいた。肩を震わせ、鼻を啜る音が聞こえて来る。


「本当にきてくれるとは思わなかったわ」


「来なかったら後でなんて言われるかわかったもんじゃないですからね」


「例え君が来なくても、私は何も言わなかったよ。私は知ってるからね。君がどんな思いで今まで耐え抜いてきたのか」


「そりゃ嬉しいことで」


 2人の間に静寂が訪れる。正直何を言えばいいのかわからなかった。安心と言えばいいのか、重荷が降り緊張から解放され、一気に疲れがやってきた。


 ただ。彩清にはききたいことがあった。


「……一ついいですか?」


「なんだね?」


「どうして。俺だったんですか?」


 事後にはなるが、やはり自分がここに来る必要性はあまり理解できなかった。合理的に考えて、自分はいてもいなくても結果は同じだ。


「君にとっては嫌な記憶かもしれないけど。私にとって小学生の時の君は本当にヒーローだったんだよ。


 1人っ子でクラスに友達がいない私の遊び相手になってくれて。6歳も歳が違うのにね。


 でも君は歳なんて関係ないって言っていつも一緒にいてくれた。私が困っていたり、同級生に揶揄われたりした時には、何歳も年上の男にも立ち向かってくれた。


 どんな時も明るくて、困っている人を放っておけなくて。それが自分にとって何の利益にもならないっていうのに、誰かのためって言って君は無邪気に笑っていた。


 それが結果として君を苦しめることになったわけだけど、それでも私はそんな君が大好きだった」


「あの、恥ずかしいんでやめてもらえます? そんな昔話。あの頃はただ向こう見ずだっただけなんですよ。後先考えないで行動してたからあんなことになったわけですし」


「そんなことない。私は君の真っ直ぐなところ、好きだよ?」


 桜が彩清に含みのない笑みを向ける。


「か、揶揄わないでくださいよ! ったく。本当にそういうところは相変わらずですよね」


「そういうところ? ってどんなところ?」


「……それは、言えないです」


(童貞キラーなんて、陰で言ってるなんて言えないだろ……)


 昔から桜は、好きだとか男を勘違いさせるような言葉を平気に口にする。別にそれが恋愛感情ではないことくらいわかるが、まともな女性経験のない自分からしてみれば、その言葉の持つ魔力は絶大なものだった。


「そう? まぁ無理に聞こうなんてしないけどさ。


なんでかな。私は君には彼女も助けてほしかった。いや、彼女を助けることで昔の君が戻って来るんじゃないかって期待していたんだ。


 ごめんね。君を巻き込むようなことをして」


 桜が頭を下げる。


「……別に、人間ってそういうもんでしょ。桜さんが嘘をついていない分まだマシです」


「ははは。マシ、か」


「マシ、です。大体どうするんです? 明日から俺、学校中敵だらけかもしれないんですけど」


「それは。本当に申し訳ないと思っている」


「……まぁ。言っても3年なんで。3年くらいならまぁ、何とかなる、かも」


「私にもできることがあれば何でも相談してね。できる限り力になるから」


「んー。本屋である桜さんにできることなんてたかが知れてるんで、商品70%引きしてもらうってことで」


「なっ! 君はそういうところは相変わらずなんだね……」


「当たり前でしょ。こっからまた本が友達の生活になるんですから、友達料金ってやつですよ」


「それは今もそうじゃ……」


「なんか言いました?」


「いや何でもないよ! ……でも、本当にそうなるかな?」


「ん? なんか言いました?」


「いや何でもないよ」


「そうですか。って、あぁ!」


 彩清の声が店内に響き渡る。


「まずい……。家の鍵俺が持ってるから母さん、家に入れないんだった……」


 急いでスマホを取り出し時刻を確認する。指し示す時間を見て、彩清の顔からすっと血の気が引いていくがわかった。


「桜さん……。俺帰ります。どうやら今日厄日みたいなんで……」


「そ、そうなんだ……。大変だね」


「じゃあ。お邪魔しました……」


 ゾンビのようにふらふらと、ぶつぶつ何かを呟きながら彩清は帰って行った。


「本当に、君は面白い子だね」


 桜の中で昔の彩清の姿がフラッシュバックする。懐かしい思い出の数々がまるで昨日のことのように感じられる。


「本当、君は君なんだね。今も昔も」


 かつて小さな少年から告げられた言葉が胸をじわじわと熱くさせる。


「ふふ。"将来はお姉ちゃんと結婚する"、か。


 私は今でも待ってるんだけどな……」


 その願いは叶わないかもしれない。自分で原因を作っておきながら、何でわがままなのだろう。


 でも。それでも戻ってきてほしかった。かつての小さなヒーローに。


「あれ。そういえば……」


 いつの間にか、泣き蹲っていた少女の姿がない。


 窓辺に目を向けると走り去っていく後ろ姿が見える。


「……ありがとうね"彩"。私のお願いを聞いてくれて」


 その言葉が向けられたは現在か、それとも過去か。答えを知るのはただ1人だった。

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