さらば平和もどきの日常
「……ちっ」
面倒事はごめんだというのに、本当に今日はついていない。不幸だ、間違いなく。
まるで自分が悪人のようではないか。困っている人間を見捨て、保身に目が眩み、逃げるように助けを求める手を振り払う。
だが今回の件で自分のどこに非があるだろうか。よく知りもしない人間が時間に巻き込まれ、その人間を助けろなんて言われても無理難題もいいところだ。
そして極め付けなのはそれは俺がいなくても解決できること。にも関わらず俺に関与しろと言うのはおかしな話ではないか。
「あの人昔から訳の分からないところで俺にふるから苦手なんだよ……」
以前からあの書店の店長は何が問題事が起きると自分に解決させようとする。それなんの意味があるのかはわからない。
今回だってそうだ。自分が行かなければどうせあの人によって姫川の疑いは晴らされる。
「……俺がいなくたって、誰かが──」
言葉を遮るように電話が鳴り響く。
(まさか桜さん? って……)
電話の主が誰かわかり、憂鬱さがさらに増す。しかし、この電話を無視することは後々もっとめんどくさいことになることだけは、理解していた。
「……もしもし」
『おぉ、ようやく出たか。穂高、姫川にはもう届けたか?』
無意識に圧力を放っている担任の声。体がどっと重くなったように感じる。
「いや、まだですけど」
『なら、丁度いい。 姫川に言伝を頼みたいんだが』
「え〜っと。それはどうして?」
『あいつ私からの電話絶対出ないんだよ。電話してもいつも私の声を聞くなり、拒否されてしまってな。両親も共働きだから今は迷惑だろうし』
すごいな姫川さん。担任からの電話ぶつ切りするんだ。
「あの。姫川さんは家にいないです」
『あぁそれはわかっている。だから──』
「実は──」
自分はことの成り行きを全て話した。姫川が家にいない理由。今現在、駅前の書店で他生徒と揉めていること。そして、彼女に罪はないということを。
「ということがありまして。彼女は多分今取り込み中だと思います」
『……はぁ。なぁ穂高、お前もしかして姫川を見捨てるつもりじゃないだろうな』
「は、はい? 見捨てる? 冗談はやめてください。彼女が無実だというのは書店の店長さんがおっしゃっていたんです。
なら俺が行かなくても、店長さんが解決してくれ──」
『また"誰か"、か?』
「あ……えっと……」
『穂高。明日話がある。でも今日は姫川を助けに行ってくれ』
「え?! いや、だから!」
『あいつはお前と似ている』
銃で打たれたかのような衝撃が全身に走る。
「お、俺と姫川さんが似てる? 何を言ってるんです?」
閉鎖的で陰気な自分と似てる? 姫川さんが?
『彼女と話してみればわかるさ』
「いやそんなこと言われても」
『彼女に必要なのはお前だ。小学生の頃、お前が助けようとした少女と同じように』
「! あんたなんでそれを知って──」
『それじゃあ頼んだぞ。あいつを、姫川を救ってやってくれ』
そう言って電話は切れた。周りから音が消え去り、自分の耳には、耳元でなる繰り返されるビジートーンのみが響いている。
「……どうしてあんたがそれを知ってるんだよ」
忌々しい過去の記憶。思い出したくない過去。自分にとって触れられたくない禁忌の箱。
もしも。自分がこのまま帰宅すればどうなるのだろう。やはり、何も変わらない。俺が行っても行かなくても、結果は変わらない。
ふと右を向けばショップのウィンドウ自分の顔が反射している。
手入れのされていない髪。連日の夜更かしのせいで目立つクマ。いつ見ても自分の顔は薄気味悪い。
昔はこんなこと思いもしなかったはずなのに。いつのまにか自分の心は笑ってしまうほど腐っていた。
いや。いつの間にかではない。自分の心がこんな風になってしまったのは、いつからかなんて忘れるわけがない。
多勢に無勢。そんな大きなものに1人で立ち向かえるほど自分は強くなかった。
「……」
今の姫川もそうだ。おそらく彼女は今後多くの暴力に1人で立ち向かわなくてはいけない。確かに今までも姫川に立ち向かった者はたくさんいるのだろう。
でも今回は今までのように力でねじ伏せるようなやり方は通用しない。下手をすれば学校全体が彼女の敵になるかもしれない。彼女は嵌められたのだ。心の底から醜いと思える人間の罠に。
「俺と、同じ……」
あの時。自分はどうして欲しかったのだろう。周りの視線、聞きたくなくても耳に入る陰口。ここに自分の居場所はないと、突きつけられた現実。
周りに味方はいない。唯一の頼りだった教師にも見捨てられてしまった。
現実から逃げたくて、でも逃げるも自分には勇気がなくて。ただ一歩踏み出せばよかったものを、震える手足は動こうともしなかった。
両親にも相談はできなかった。共働きで、自分を養うために必死な両親を悲しませるようなことはできなかった。
……自分の周りには誰かなんて頼れる人間は誰1人としていなかった。
(本当だ。そっくりじゃないか)
彼女の事情はわからない。でも自分が知る限り彼女に友人はいない。彼女はいつも1人だった。学校に来てもただそこにいるだけ。
彼女は怖い、強いなんてものは自分の勝手な偏見だ。妄想に過ぎない。
だから、もし自分を彼女に当てはめるのなら。
「"誰か"助けて、て言うだろうな」
その瞬間、踵を返して走り出した。ひどく気持ちの悪い走り方をしていると思う。呼吸が乱れ、急速に速くなる鼓動が今にも心臓が飛び出そうとしているのではないかと感じさせる。
らしくない、とは思う。自分でもこんなことしても損をするのは自分だとわかっている。
でも理屈じゃなかった。疑いがはれたとしても彼女は今後1人だ。逆恨み、そう言った人間の醜さを相手にする必要がある。
暴力に終わりがある。しかしそれには終わりがない。
正直な話、本当に辛い。
彼女は強いのかもしれない。でも同じ好として、半分くらい背負うくらい、今の自分ならできる。
6年間。自分にはそれだけの経験がある。高校生活の3年と言う短い間くらい耐えられないわけがない。
だから──
「今更ビビるなよ」
そう自分に言い聞かせるように走り続けた。