嘘だらけの世界
俺は嘘が嫌いだ。
だからもしこの世界が嘘のない世界であったのなら、どれほど幸せだっただろう。
この世界は誰もが嘘をついていて、誰もが偽りの自分を装って生活している。それも仕方のないことだ。そうでなくてはこの世界は容易に牙を剥いて来るのだから。
嘘は自分を守るための鎧で、嘘は自分を永遠に蝕み続ける呪いだ。
そんなものを強要するこの世界は間違っている。
でも、今こうしてこの世界に対する文句を言ったところで、それすらも広言に過ぎない。
政治家はよく、世の中を良くする、暮らしやすい国を作るなどと公言しているが、そんなことをして何の意味があるのだ。
嘘という鎧で固められたこの世界において、政策などというものは錆を落とすくらいにしか役に立たないというのに。
以前書店で本を買った際、カバーをかけるか聞かれたことがある。
無論自分はそれを断った。ブックカバーとは本の表紙に傷がつかないようにするプロテクターの役割を持つというがそんなものは建前だ。
本当の目的は"隠す"ということ。
自分が読んでいる本のタイトル、表紙画。そう言ったものを他者に見られることを防ぐため。
人間とは他者からの視線を過剰に意識してしまう生き物だ。自分がどう見られているのか、どうして自分を見ているのかなど、考えてもどうしようもないことを考え続ける生き物だ。
故に、本にカバーをすることで少しでも自分に視線を向けさせないようにする。
しかし俺に言わせてみれば、それは本への冒涜だ。
自分が見られていると勘違いした愚かな人間の愚行。周りの人間は決してお前達を見てるわけではない。本を見ているのだ。
それがどんな本で、どんな内容なのか。そう言ったものへの興味。ブックカバーとはそう言った考察の機会を奪うものである。
本とは、万人に他者の気持ちを考察する機会を与えることのできる素晴らしいものだ。
本の作者がどういう意図でこれを書いたのか。小説であれば登場人物がどんな心情を持っているのか。書面に書かれていない彼らの本心を考えることで、まるで自分もそこにいるかのように考えさせてくれる。
そして何より。本は嘘をつかない。
本には著者の本心が書かれている。どんな形であれ、それは著者が書きたいと考えた"本物"の気持ちだ。
江戸時代のような検閲が厳しかった時代とは違い、現代は表現の自由が保障されている。
故に本の世界だけは嘘や偽りのない本物の世界なのだ。
だから俺は本が好きだ。
しかし、もしも今自分の生きている世界が神という著者によって書かれた小説なのだとしたら。
自分は、本を好きでいられるだろうか。