身代り霊能力者と孤独な自殺霊

作者: 藤原 惟光

ちょこちょこ手直ししました。

「なるほど、帰り路にあるマンションの屋上に人影が見える、と。」


駅前の静かなカフェの奥のボックス席で、小柄な黒髪の少女が正面に座る同じくらいの年頃の女子高生に確認するように尋ねる。

尋ねられた女子高生はキラキラに盛られたネイルを落ちつか無げにすり合わせながら頷いた。

明るく染められ、くるくると踊るように巻かれた髪が濃いめのチークをのせた頬にかかっている。


「そうなの!最初は住人の人がただ立ってるんだと思ったんだけどぉ、ずっと動かないし、なんか不気味で…。」


その時のことを思い出したのか、女子高生はぶるっと身を震わせる。


「調べてみたら、そのマンション飛び降り自殺があって屋上立ち入り禁止になってるって言われて、友達と一緒に帰ってみたけど、見えるって子と見えない子といて、これ幽霊じゃない?って話になってぇ。」

「今のところ何かされたりとか被害を受けたりとかはされてないのですね?」


黒髪の少女はじっと何かを確認するように女子高生を見つめる。黒く大きな瞳は全てを見通しているように深い思慮を感じさせている。


「お祓いした方がいいのかな?でも人んち(?)だし、うちらがお願いするのも違うかなって、そしたら友達が君のサイトに相談したら?って言ってたからぁ。」


女子高生の間延びした説明に、少女は軽くわかりました、と頷いて、ちょっと考え込みながら視線を空中の一点をしばらく見つめていた。


まるでそこに何かがいるかのように。


ときおり頷いたり、小声でなにか呟いている。

女子高生の不安そうな視線の中、しばらく宙を見つめていた少女が視線を再び女子高生に戻した。

その黒目がちの幼い外見に似合わない、大人びた表情がじっと女子高生に注がれる。


「今視た限りではあなた自身に霊が憑いているわけではないので、安心してください。」


少女の言葉に女子高生はほっとしたように緊張を緩める。


「おそらくその人影は飛び降り自殺した人だとは思いますが、こちらで確認の上、マンションの持ち主にお祓いを勧めてみましょう。」

「マジで?あたしお金とかないんだけれど。」

「今回はお話を聞かせていただいただけですし、あなたのお祓いをするわけではありませんので謝礼の必要はありません。」


少女は取り出したメモ帳にマンションの場所を書き留めていく。


「お祓いをするかどうかはマンションオーナーの方の判断ですし。一応、用心のためにこの札をお守り代わりに持ち歩いてください。」


少女が取り出した小さな札には流麗な文字と不可思議な文様が書きつけられていた。


「そして、帰り路にできるだけそのマンションの屋上を見上げないようにしてください。」


幽霊と目が合うとやっかいですから、と付け加えると女子高生はがくがく震えながら頷いた。


「もしマンションのオーナーさんがお祓いを受けてくれなくても、少なくとも通りすがりの方を怖がらせることがない状況にはできると思います。」


ときおり宙を見つめて何かと会話するような仕草を挟みながら少女は女子高生に微笑みかけた。


「数日中には完了すると思いますので、無事終わったらまたメールでご連絡します。その後は普通にマンションの上を見上げても大丈夫です。」

「わかった!メール待ってる。ほんとマジで怖くって、でも家に帰るのにあの道通らないと帰れないしさ。」

「はい、それでは気をつけてお帰り下さい。」


少女から渡されたお札を鞄にしまい込んだ女子高生は足早にカフェを出て行った。

少女は女子高生を見送った笑顔のまましばらくその席に座り続け、その姿が完全にカフェ店内から消えてから、ふっとため息をついて肩の力を抜いた。


「終わりましたよ~。」


周囲に誰もいないなかで、少女は自分の手元、正確には手に握った小型マイクに向かって声をかけた。


「…マイクに言わなくても依頼者が出て行ったのは見えたから知ってる。今日もお疲れ様だったな。」


少女の背後、正確には斜め後ろのボックス席に座っていたサラリーマン風の男が、立ち上がって少女の前の席、先ほどまで女子高生が座っていた席に移動してきた。

濃い茶色の短い髪を流すようにセットし、アンダーリムの細身のフレームの眼鏡をかけた男は年齢は20代前半、一見してエリートサラリーマンといった外見をしている。

切れ長の目は色素が薄いのかアンバーに近い色をしており、すっと通った鼻梁に薄めの唇は整った顔立ちながら冷たさを感じさせる。


「問題のマンションの住所がこれです。鷹見(たかみ)さん、今夜行かれるんですか?」

「ああ、自殺霊の浄化は早くするに越したことはない。時間がたてばその分悪霊になりやすい。」


顔だけなら世界経済の動きでも論じていそうな顔で、男は幽霊だのと語っている。

いつ見ても見た目にそぐわない特技の持ち主だなあ、と少女は男の顔を眺めながら思う。


「どうした?空中に浮遊霊でも見てるような顔して?」

「見てません。というか、いても見えないの、ご存知ですよね。」

「ああ、お前は見た目だけなら優秀な霊能力者顔なんだがな。」

「だけって…。こんな見た目だから鷹見さんの代わりに霊能力者のフリ、してるんじゃないですか。」


一見、神秘的な雰囲気をまとった少女は、目の前の、本物の霊能力者にを半眼で睨みつけた。



晴海結季(はるみゆき)は見た目だけなら神秘的な雰囲気の日本人形のような少女である。

背中の中ほどまでまっすぐに伸び、切り揃えられた黒髪に、色白の肌、大きめの黒目がちな瞳は彼女を16歳という年齢よりも幼く見せる。

しかし、その表情や身にまとう雰囲気は逆に歳不相応な落ち着きを感じさせていた。

生真面目で今時珍しい古風な考え方や常に敬語の言動もそんな印象にに拍車をかけている。

そんな彼女は昔から考えごとをするときにぼんやりと空中を見る癖があった。更にその状態で独り言を呟くという癖まであった。

結果、彼女の周囲にはある噂が流れた。


『晴海結季は幽霊が見えている。』


実際には結季は幽霊を見たこともなければ声も聞いたことはない。気配を感じたこともなく、金縛りにあったこともない。


そんな霊感ゼロの結季の見た目がちょうどいいと、身代わりの霊能力者になってほしいと話を持ちかけてきたのが、鷹見春希(たかみはるき)という男だった。


春希は結季とは逆に、見た目だけなら心霊現象など鼻で笑った上に下らんことを言ってないで現実を見ろと説教を始めそうなリアリストな大人にしか見えない外見の持ち主である。

株価変動や円相場でも語りそうな顔で、霊能力者だと名のられた時の衝撃を結季は忘れない。


彼はブログで心霊関係の噂や相談のやり取りをするスレッドを管理しており、実際に幽霊がかかわっていそうな話の投稿を見つけては調べ、場合によっては浄霊も行っている。

そんな中で投稿者や相談者に直接話を聞き出すのに、結季を身代りに立てているのだ。


「鷹見さんみたいな人が心霊相談の待ち合わせ場所に来たら、相談者さんが十中八九逃げちゃいますからね。」

「悪かったな、冷血漢にしか見えない顔してて。」


結季の言葉に春希は苦虫を噛んだような顔になる。一応外見のことは気にしているらしい。


「それにしても、マンションのオーナーさんはお祓いを受けてくれるでしょうか?」

「まあ、そこは話の持って行きようだろう。」


春希は結季から受け取ったメモを確認しながら請け合った。


「俺の本業はビルメンテの営業だから、最初は普通に仕事の話から入って、簡単な見積もりくらいはサービスでやってやるって言えば建物には入れてくれる。」


そう言って入ってしまえばこっちのもんだ、とばかりににやりと笑った。


「自殺の一件で事故物件になってるうえに幽霊騒ぎが起きてるんなら格安でお祓いもすると言えば乗ってくるだろ。」

「……ちょっとだけ鷹見さんが詐欺師に見えました。」

「ビルのメンテも見積もりもお祓いも全部本当のことなんだから詐欺じゃないだろ。」


春希は堂々と言い放つと、結季と相談者の話を聞き出し、結季にこっそりと指示を出すために使ったイヤホンやマイクなどの機材を回収する。


「それじゃあ、今日は俺はこのまま問題のマンションに行く。帰りは送ってやれないが大丈夫か?」

「はい。それじゃあ、鷹見さんも、気をつけて下さいね。」


結季は慌ただしく席を立つ春希を見送ると、少し時間をおいて、家路へとついた。



数日後、春希から無事浄霊が完了した旨を聞いた結季は相談者の女子高生に報告を済ませ、いつものように帰宅途中にある本屋へと立ち寄っていた。


なんとなくオカルト関係のコーナーを見る。

春希と知り合うまではほとんど興味もなかったジャンルだが、まがりなりにも身代わりをしているのだから、多少は知識があった方がいいのかもしれないと、目についた本をパラパラと眺める。


とりあえず、実話怪談集の本を1冊選び、レジへと向かった。


「……?…あれは、佐原(さはら)くん…?」


レジでエプロン姿で接客してるクラスメイトを見て結季は思わず足を止めた。

以前からこの本屋は利用しているので、そこでクラスメイトの佐原各務(さはらかがみ)がアルバイトをしていることも知っている。

結季が足を止めたのは彼が目の前の客に困惑した様子で話をしていたからだ。


「こちらお取り寄せご希望、ですか?はい、今からですと1週間ほどかかるかと、はい、かしこまりました。いつもありがとうございます…。」


普段は客に対しても、クラスメイトに対しても明るくさわやかな好青年の表情が翳っているのを見て、結季は首をかしげた。

各務のまえにいる客は中学生くらいの少女だ。後ろ姿なのでその顔や表情は見えなかったが、各務に何度も頭を下げている。


無事注文が終わったのか少女は踵を返して足早に去っていく。


そのときちょうど出口側にいた結季とすれ違った。


黒髪を耳の下で二つに結っている、大人しそうな少女だ。顔色が悪く、表情は暗く沈んでいる。結季にぶつかりそうになって、消え入りそうな声で謝罪しながら店を出て行った。


「……?」

「ああ、晴海ちゃん、いらっしゃい。」


何となく気になって目で少女を追っていた結季にレジカウンターから各務が声をかけてきた。

明るいふわふわの茶髪を所々ヘアピンで止めてアレンジしている各務は古風な外見の結季とは逆に今時の少年らしい外見だ。

色素が薄めでひょろりとした長身はちょっと外国の血が入っているかららしい。


「佐原くん、今の…。」

「ああ、ひと駅向こうの中学校の子らしいんだけどさ、ここ3ヶ月くらいで10冊近く同じ本を注文してるんだ。」

「同じ本…。」

「うん、だからちょっと気になっちゃってさ。あ、お会計だよね。ちょっと待ってね。」


会計を済ませ、そのまましばらくいくつかの棚を冷やかしていると思わぬ時間が過ぎていた。

あわてて本屋を出た時、目の前を救急車とパトカーがサイレンを鳴らしながら駅の方へと走りぬけて行った。


家に帰りついた結季は着替えると祖母がテレビを見ている居間へと向かった。


「お祖母ちゃんただいま。」

「お帰り、結季ちゃん。見て御覧、かわいそうに、まだ中学生だってさ。」

「え…?」


テレビでは女子中学生が駅のホームから線路へ飛び込み自殺したニュースが流れていた。




「…この子の名前は奥井優子(おくいゆうこ)ちゃんって言って、私のクラスメイトです。…でした。」


心霊相談によく使ういつものカフェの奥のボックス席で、青ざめた少女が差し出した写真を結季は複雑な思いで見つめた。


名前は初めて知ったが、その写真に目の前の少女とくっつくようにしてはにかみながら笑顔で写っている少女の顔には見覚えがあった。

2週間前、結季の行きつけの本屋ですれ違い、その後に死んだあの少女だった。


「奥井さんは自殺…と報道されていますが…。遺書などは…?」

「なかったそうです。最初は事故かもしれないとも聞いたんですけど、周りの人に止められるのを振り切って線路に飛び込んだって…。」


涙声で震える少女は花村香苗(はなむらかなえ)と名乗った。

小柄な結季より更に小さく、華奢な少女だった。両サイドを一部だけ結った髪にはピンクのシュシュをつけている。

奥井優子の自殺の3日後くらいからHALのブログへ相談が始まった。

「クラスメートが友達の幽霊に会った」という内容で始まった投稿は回を重ねるにつれて「別のクラスメートが襲われて怪我をした」というものに変わり、「クラスの人が次々襲われている」「私も襲われるかもしれない」と切迫した内容になっていき、春希が会って話を聞いてみようと言いだしたのだ。


実際に会って話を聞くのは結季の役目であるが。


「自殺の理由は…?」

「わかりません。優子ちゃんは大人しくて、授業とかも真面目で、悩んでたなんて…。」


『…今のところ彼女の傍には霊の気配はない。幽霊に会ったというクラスメイトに何があったか聞き出してくれ。』


イヤホンの指示に心の中だけで頷いて、今にも泣きそうな香苗にそっと声をかける。


「その…クラスで優子さんの霊にあったというのは…?」

「最初に見たって言ってたのは杉原舞(すぎはらまい)ちゃんていって、クラス委員長の女の子なんです。」


香苗はつっかえながらも、話し始めた。


「学校の裏庭で、死んだはずの優子ちゃんを見て、それからクラスの子が順番に見たって言い始めて…。」

「襲われて怪我をしたというのは…?」

山地佳織(やまじかおり)ちゃんっていう子です。クラスの女子グループのリーダーみたいな感じで、明るくて元気な子なんです。」


そこまで言うと、香苗は思い出したようにぶるりと身を震わせた。


「それが…階段から落ちて足にひびが入ったって…。お見舞いに行ったら『奥井に落とされた』って泣き叫んでて…。」

「…他には?」


結季の静かな言葉に、香苗は訥々と語る。震えて時折つっかえる声と青褪めた顔が彼女の恐怖を物語っていた。


「佳織ちゃんと仲の良かった女の子グループが、皆…。中には骨折した子もいて、『殺される』って…。」

「…その子たちと奥井さんとの間に、生前何かあったのですか?」

「……わかりません。」


香苗はふるふると頭を横に振る。ピンクのシュシュがひらひらと揺れた。


『浮遊霊で、特定の誰かに取り憑いてるってことでもなさそうだな。今のところお守りを渡しておくぐらいしか対策はなさそうだが…。』


イヤホンから聞こえる春希の言葉に結季は少し考えるように宙を見上げる。

その視点は空中の一点で固定され、あたかもそこに何かがいるような態度に見える。


「え?!ヤダ!何かいるの?!」


パニックになり結季の視線をきょろきょろと追う香苗の顔は真っ青だ。


「あ、いえ、奥井さんは今ここにはいらっしゃいません。…花村さん、ひとつ、お伺いしてもよろしいですか?」

「…なんですか?」


結季は、困ったような、傷ましいものを見るような表情で、目の前の少女をまっすぐ見つめる。


「奥井さんに対するいじめに、あなたも参加していたのですか?」

「!!!?」

『何・・・?!!』


結季の唐突な言葉に香苗は目を見開き、春希はイヤホンの向こうで驚きの声を漏らした。



「…何のこと…ですか?」


青ざめた顔のまま、結季に問い返す香苗の表情は怯えと警戒に強張り、唇は震えている。


「奥井さんが死ぬ直前、現場近くの本屋さんで偶然彼女を見かけました。」


結季はあの日のことを思い出し、ちょっと言葉を止める。俯いて、小声で謝っていた少女。


「勿論その時は彼女のことは知りませんでした。ただ、その書店の店員さんが友人で、彼女が短期間に同じ本を注文して取り寄せていたと言っていました。」

「……っ。」


香苗の肩がビクリと震える。


「何の本かまでは聞かなかったのですが、学校で使うテキストじゃないかと思ったんです。」


結季の黒い瞳にぶるぶると震えている香苗が映っている。


「その書店はこの辺りで一番大きな書店で、近隣の学校の教科書の発注も行っていると聞いたことがあります。」


結季の学校もその一つだ。


「ふつうは教科書を紛失したら親御さんが学校を通じてそう言った書店に取り寄せをして、親御さんが購入されると思いますが、彼女は自分で注文し、取り寄せていた。」


結季の言葉に青ざめていた香苗の顔は更に色をなくし、土気色になっていった。


「…わた…私は…優子ちゃんと、一番仲良しで…。」

「彼女がいじめを受けていたことは否定しないのですね。知っていて、知らないふりをしていた…?」


結季の指摘に白かった頬にぱっと朱が昇る。


「だって怖かったんだもの!佳織ちゃんに逆らったら私がいじめられる番になっちゃうんだもの!」


香苗はぱっと立ちあがって叫んだ。


「怖くて、助けたくても動けなくて、こっそりごめんなさいって言うしかなかった!」


香苗の目からぼろぼろと涙がこぼれおちる。結季は黙って目の前の少女を見つめた。


「でも優子ちゃんは陰でこっそり仲良くしてくれるだけでいいって言ってたんだもの!私がいるから頑張れるって言ってくれてたんだもの!!」

「……ではなぜそんな彼女の幽霊に自分が襲われると思ったのですか?」


心当たりがなければいじめっ子たちが襲われたと聞いても、自分だけは大丈夫と思うのが普通ではないか。

結季の質問に香苗は再び真っ青になって口をつぐむ。


「奥井さんと何かあったのですか?」

「……。」


『おい、こっそり仲良くしていたと言っていたな。どこで会っていたのか聞いてくれ。』


「え?」


唐突に耳に届いた春希の指示に結季の口から思わず声がこぼれる。香苗の顔に怪訝な表情が浮かぶのを見てあわてて落ち着いた表情を取り繕った。


「いえ、質問を変えます。奥井さんとこっそり仲良くしていたと言ってましたけど、どこか秘密の場所のようなものがあったのですか?」

「……優子ちゃんが、自殺した駅の近くの、倉庫…。」


学校の近くではクラスメイトに見られてしまうと考えたのだろう。

放課後や休日、そこで待ち合わせてはクラスメイトに見つからないように遊びに出たり、二人でおしゃべりして過ごしたのだと言う。


「そこで、その日、何かあったんじゃないですか?」


結季は書店で注文を終えて、立ち去る少女を思い出す。これから死ぬつもりの人間は本を注文しないだろう。にもかかわらず、あの直後、彼女は自殺した。

あの直後に、何かがあったのだ。少女を絶望させ、死を選ばせるほどの何かが。


「……あの日、優子ちゃんと待ち合わせしてたんです。」


時折しゃくりあげながら、香苗が口を開いた。


「そしたら、偶然倉庫の入り口で佳織ちゃん達に会ってしまって…。ごまかしておしゃべりしてたら、優子ちゃんに見られて…。そのすぐ後に…優子ちゃんが…。」


最後はほとんど涙声で聞き取りづらかったが、凡その事情はつかめた。

おそらく二人だけの場所にいじめっ子と一緒に談笑する香苗をみて、裏切られたと感じたのだろう。そして絶望し、自殺した。

何故そんなことで、と結季は思ってしまう。

しかし、いじめられ、香苗以外に味方がいない優子本人にとってはそれが絶望に値する出来事だったのだ。

もしかすると友だと思っていた香苗が佳織と共謀して自分を待ち伏せしていると思ったのかもしれない。


「…実は…佳織ちゃんが怪我した次の日、夢に優子ちゃん、出てきて…。『香苗ちゃんの裏切り者!信じてたのに!!』って…。」


それで自分も狙われると思い、今日まで怯えていたのだ。


「お願い。優子ちゃんの幽霊とお話させて。私は優子ちゃんを裏切ったりしてないって!」


香苗がパッと顔を上げ、結季にすがりついてくる。


「優子ちゃん、ちゃんと話せば分かってくれると思うの!ちゃんと成仏させてあげたいの!!」


結季はしがみついてくる少女の肩に手を置いて、軽く目を閉じた。何とかしてあげたいとも思う。しかし結季自身にその力はないのだ。

結季はただ黙って春希の言葉を待った。


『幽霊とは話はできない。』


結季の耳に感情を抑えたような春希の声が届く。結季は軽く目を見開いたが、何となく予想していた内容に、目を伏せた。


『幽霊は死んだ時点で思考や感情が止まっている、話しかけたとしてもほぼ通じない。死んだ魂が持っているのは過去の記憶と死んだ瞬間の感情だけだ。』


春希の言葉は冷たく聞こえるが、事実である以上、告げないわけにはいかない。


「…申し訳ありませんが、優子さんとお話することはできません。」

「なんで?!幽霊が見えるんでしょう!?誤解を解いて、わたし、ちゃんと優子ちゃんが成仏できるようお祈りするから!!」


香苗の悲痛な声に結季の胸は痛む。


『幽霊が生者と話をして、未練や恨みをなくして成仏するというのは物語や説話だけの話だ。死んで、怨霊になってしまった以上、祓われるか、力を失い自然に消えるかだ。』


結季が春希の言葉を自分の言葉として伝えると、香苗は絶望もあらわに、結季を責めた。


「何でよ!優子ちゃんがかわいそうよ!何とかしてよ!!」

「では、このまま彼女の恨みが晴らされるのを待ちますか?」

「……。」


結季の静かな反論に香苗は言葉をなくす。友人の霊が救われてほしいと思う一方で復讐の標的になるのは怖いのだろう。


「……なにぶん、地縛霊と違い居場所の特定がしづらいのですが、彼女と縁の深い場所なら、呼び寄せることができるそうで…できます。」


うっかり伝聞口調になってしまい、さりげなくごまかす。


「なので、その倉庫の場所を教えて下さい。それと、もうひとつだけ、お願いがあります。」


辛抱強く香苗を説得した結季が倉庫の場所をメモに書き取れたのは数十分の後だった。




「お前まで一緒に来る必要はなかったんだぞ。」


さびれた無人の倉庫を前に、春希は冷たい印象の切れ長の双眸を眇めている。


「亡くなる直前にお会いしたことのある方ですし、なんだか放っておけません。」


結季は倉庫までの地図を書き込んだメモを手に春希を見上げた。連れて来てくれなければ地図は渡さない、道案内もしないと言ってここまでついてきたのだ。


「鷹見さん、先ほどのお話ですけど…。」

「ん?ああ、幽霊に話は通じないってやつか?」

「はい。死んだ時点で感情も思考も止まっている、と。」


幽霊が見えない結季にとっては幽霊は小説や映画の中でしか知らないファンタジーの存在だ。

当然、今までのイメージとしては霊能力者や陰陽師、お坊様やエクソシストによって祓われ、未練を断ち切り、清々しい顔で成仏していくのがハッピーエンドなのだと思っていた。


「晴海がどう思っているかはわからんが、今まで俺が視て、祓ってきた連中は一人の例外もなくそうだった。」


春希の口調は苦い。


「死んだときの感情、特に恨みを残して死んだ奴ほどその感情しか知らないみたいに怨念の塊になってる。こちらから話しかけてもほぼ通じない。」


壊れて、同じ場面だけを再生するテレビみたいなもんだ。と春希は言った。


「言葉が通じない、というよりはコミュニケーションをとる機能が失われてるって感じだな。身体がないから聞く耳も、情報を処理する脳もないんだろ。まあ、俺自身は幽霊じゃないから推測だがな。」


春希から、幽霊がどういうものか聞くのはそう言えば初めてだ、と結季は思い当たる。

結季が霊感がないので、身代わりをさせていても春希はほとんどお祓いの現場までは付き合せようとしないし、過去に祓った霊の話もされたことがなかった。


「自殺した奴の霊が性質の悪い悪霊になりやすいって言うのも、自殺者のほとんどは死ぬ瞬間孤独と絶望、そして誰かへの恨みを抱えているからだ。」

「孤独と絶望…。」

「そんな状態で思考と感情が止まった魂は怨念の塊だ。もしその恨みが誤解から生じるものだったとしても、死んでしまったら真実を知ることもなく、ただ対象に恨みをぶつけるだけの悪霊になる。」


「悲しいですね。せめて誤解を解いて、心置きなく成仏できたらいいのに。」


結季の言葉に春希は悲しいような困ったような顔で笑った。


「そうだな。それができりゃ、良かったんだがな…。」


結季の頭をくしゃっと軽く撫でると春希は結季をその場に置いて倉庫の中へと足を進めた。


近くの小さな工場の所有だという倉庫は近年の不景気に伴い、ほぼ使用されない状態になっていた。

その為中は廃材がいくつか置いてあるだけで、床もうっすらほこりが積もっている。

ところどころ掃き清められていたり、靴跡が散っているのは香苗達のように中に入り込んで遊ぶ子供がいたからだろう。


「…この辺りでいいか。」


春希は倉庫の中ほどの開けた場所に鞄から出したチョークで円陣を描く。

その四方にこれまた鞄から出した札を動かないように石でできた塑像の文珍を乗せて固定すると中央に香苗から譲り受けたシュシュを置いた。

恨みの対象である香苗の持ち物を依り代に優子の霊を呼び出すのだ。


準備が整うと札を構え、祝詞を唱えはじめる。

祝詞とは言っているが、神社などで儀式に唱える祝詞ではない。

正しい祝詞は儀式の用途や内容によって変わる。当然死者を呼び出す正式の祝詞などない。なので、その辺は春希の我流だ。

要は世に漂う霊的存在に作用する響きを持つ音として祝詞の拍子が春希と相性がよかったと言うだけの話だ。


唱えながらこの場所に思念のつながりを持っているであろう霊の気配を探る。

細い糸をたどるように、思い出と悲しみと絶望と孤独がないまぜになった念の欠片を手繰り寄せる。

結季は倉庫の入り口で人が来ないように見張りつつ、春希を見守っている。

春希の眼にはうっすら光りを帯びた円陣と、その中央から細く伸びた青白い光の糸が見えているのだが、おそらく結季の眼にはいい歳した男が落書きを前にブツブツ言っているようにしか見えないのだろう。

そう考えるとやっぱりついて来てもらうのではなかったと思ったが、後の祭りである。


手繰る思念の糸が冷たい手ごたえを返してきた、と思った瞬間、それは目の前に現れた。


「どうして…。香苗……信じてたのに…ひどいよ…。もういやだ…。全部、全部いやだ…。皆嫌いよ…。」


顔を手で覆うようなしぐさで、泣いている少女。奥井優子に間違いなさそうだ。


「花村香苗はあの日偶然会った山地佳織から君を庇うために話をしていただけだそうだ。君を裏切るつもりはなかったんだ。」


無駄と知りつつも春希は優子の霊に語りかける。優子は春希の言葉が聴こえないかのように同じポーズで怨嗟の言葉を吐き続けている。


「嫌い…皆嫌い…いじわるな佳織ちゃんも、クラスのみんなも…でも一番嫌いなのは香苗…優しいふりして…騙してた…佳織ちゃんと一緒に私のこと笑ってた…皆…皆…大嫌い!!!」


悲鳴のような叫びと共に、切り裂くような風が春希を襲う。陣に置かれたシュシュが散り散りに引き裂かれた。

クラスメートを怪我させるうちにその恐怖を吸って力をつけてしまっているようだ。ここで浄化してしまわなければ香苗があのシュシュのようになってしまうだろう。


「鷹見さん!!」


後ろで結季の悲鳴が聞こえる。幽霊は見えなくても、現実に風が吹いたりすればそれは結季にも見える。細切れになったシュシュも見えただろう。


「いいからそこにいろ!こっちには来るな!!できれば壁の影に隠れてろ!!!」


今にも駆け寄ってきそうな気配の結季にそう怒鳴ると春希は懐から円陣に置いたのとは異なる札を取り出した。

我流の祝詞を唱えながら吹きすさぶ風の中心で泣き叫ぶ少女に眼を凝らす。札と祝詞が光る刃となって感情や記憶、魂を取り囲む思念の鎧を削り落とす。

亡者から生前の記憶、怨み、すべてのしがらみを祓い清めていく。


「いや…嫌い…きらい…きら…い…」


少しずつ、少女の姿が薄くなる。生前の、彼女を彼女たらしめる記憶、感情、思い出、すべてを剥ぎ取るように春希の力が淡い炎となって彼女を包み込む。

薄れゆく少女の姿の奥に、光る魂の核を見出し、春希の声が更に朗々と響く。


「嫌い…憎い…憎い…でも…香苗が…いないと私…寂しいよ…香苗…大好き…嫌い…。ほんとは……世界でいちばん…大好き…。」

「…死ぬ前に、生きている間に、ちゃんとそう言えばよかったんだ。」


泣き叫び続ける少女の姿が完全に消え、ただの光の塊になった魂をそっと両手で包み、春希は呟く。届かない言葉と共に浄化された魂が世界に溶けるように消えるのを見守る。


魂の気配も消え、完全に静まった場に暫く立ちつくした後、春希は背後の気配に声をかける。


「もういいぞ。全部終わった。」


倉庫の入り口から覗き込むようにこちらをうかがっていた結季がパタパタと駆け寄ってきて、ポケットから綺麗にアイロンされたハンカチを出して春希の頬に充てた。


「鷹見さん、ここ、少し切れてます。」

「そんなことしたらお前のハンカチに血が付くだろう。こんなもん、舐めとけば治る。」

「駄目です。だいたい、自分のほっぺたをどうやって舐める気ですか。」


結季は子供を叱るように言うと、その顔を悲しげに歪めた。結季には霊の声は聞こえない。

だから聞こえたのは春希の最後の呟きだけだ。


「それに、鷹見さん、泣きそうです。」

「…泣かねえよ。慣れた。」

「慣れたっていう顔じゃないですよ。」


結季の労わるような声に、春希は頬に添った彼女の手をつかみ、ハンカチごと目に押し当てた。そのまましばらく無言の時間が過ぎる。


「…サンキュな。」

「……どういたしまして。」


手を離したとき、結季の頬が赤く染まっていたが、春希は気づかず、その手からハンカチを受け取る。


「これ、洗って返すな。」

「…いつでもかまいませんよ。」


結季がため息交じりに苦笑する。美形は卑怯だとか何とか呟いていたが、春希の耳にまでは届かなかった。



「鷹見さんは、どうしてお祓いをしてるんですか?」


帰り路、結季が不意に春希に問いかけた。


「話も通じない相手に怪我までして、それにブログの相談で受けた霊のお祓いはほとんどボランティアじゃないですか。私には身代わりのバイト代を払ってるのに。」


結季の言葉を春希はただ黙って聞いていた。


「ガキから金は取れんさ。お前はせっかくの週末を見えもしない幽霊相談の代役させられてんだからバイト代は受け取っておけ。」


そう言って結季の髪をくしゃりと撫でる。そのしぐさが、まるでそれ以上聞いてくれるなと言っているように思えて結季は口をつぐんだ。


何となく無言のまま、結季の家の前までたどり着く。


「送ってくださってありがとうございます。」

「いつものことだろ。毎度礼を言われるほどのことじゃない。」

「はい、でも私が毎回、言いたいんです。鷹見さんに会えて、こうして過ごせるの、私、嬉しいので。」


結季はそう言ってほほ笑むと、純和風の日本家屋の門をくぐって、家の中へと入って行ってしまった。


「…あの顔はヒキョウだろ…。」


後に残された春希が赤い顔でそう呟いたことも知らないで。


自分で読んでて読みづらかったところを少し直しました。余計に読みづらくなってたらすみません…。