印象操作の必要性
照明も点けないままに連れ込まれた暗がり。
制作台らしき大きな机だったり、用途不明な器具がそこら中に並んでいるのを見る限り、想像通りこの部屋がメインの工房なのだろう。
「……おい、もういいだろ放しなさい」
「んん~?お姉さんにくっつかれるのは恥ずかしいのかなぁ?」
誰がお姉さんか。顔が良いだけの妙な女に誘惑されて靡くほど、最近の俺は女性耐性が希薄では―――
「いいから、そのまま。大切な話って言ったでしょう」
「っ……」
またこの声だ。
悔しい事にそのギャップ、何故だか毎度のこと言葉が詰まる。所詮は俺も思春期男子ということか……
「さて―――あのね、誤魔化しも嘘もいらないから、正直に答えてね」
「何なんだ一体……」
本当に、何から何までこちらを振り回してくる奴である。
ドギマギさせられている事実に半ばヤケのような気持ちで睨むような目を向ければ、懐からこちらを見上げるニアの瞳は既に真直ぐ俺に向けられていた。
「君さ―――そのアバター、現実のままでしょ」
「――――――」
そうして投げられた言葉は、俺の予想の遥か彼方。
余りにも直球に此方のリアルを抉るその発言に、俺は完全に思考をフリーズさせて固まった。
「もういちど言うけど、誤魔化しも嘘もいらないし、無駄だからね」
言いながら、俺の腕を抱いているのと逆の手を持ち上げて、彼女はトンと自らの藍色の瞳を示す。
「あたしの『魂依器』がそう言ってる。これは質問じゃなくて確認だよ」
「う、そだろ……目が?ってか、そんな魂依器が―――」
「流石にリアル情報をすっぱ抜く、なんて犯罪みたいな効果じゃないからね?でも、君のアバターがリアルの君自身だっていうのは分かっちゃうんだ」
そんな事が……有り得ない、とも言えないのは流石の【Arcadia】クオリティか。
「…………その質問の意図はなんだよ?」
「信じられないかもしれないけど、親切心」
こんな空気感出しといて親切心だぁ?と訝しむ俺に、ニアは逆に呆れるようなジト目を向けて来た。
「君、話を聞く限りだと四柱にエントリーするつもりなんでしょう?」
「目下その予定だな」
「その顔で?」
「顔は関係ないだろ!?」
ケンカ売ってんのかコイツといきり立つ俺を見て、彼女は「やれやれ」と何やら諦めたようなリアクション。
「本当に分かってないね君。アルカディアが現実でも大注目のコンテンツだって説明、つい最近カグラさんがしてくれたんでしょ?」
「……ああ」
「なにかイベントないし新情報がある度に、ニュースとかになるくらい世界中が夢中だって」
「そうだな」
「そうだな、じゃないの。四柱戦争っていうのは、そんなアルカディアでも最大のお祭りなんだよ?どういう規模の注目が集まるのか、ちゃんと考えなさい」
「それ、は……」
何だコイツ突然キャラ変わりやがって……なんて暢気に考えられていたのは数秒前までの事。ニアの言葉は確かに悉くが正論であり―――いや本当に馬鹿かな俺は?鷹揚に構えてる場合じゃねえんだが?
つまり彼女は、こう言いたいのだろう。
―――その顔を晒して本当に大丈夫なのか、と。
「あ、の……つかぬ事をお伺いしますが」
「うん」
「四柱戦争って、その……アレかな?映像がこう、大々的に地上波で放送される感じだったり……」
アルカディアのトップランカー達は、プロのスポーツ選手のような扱いを受けている。カグラさんから聞かされたばかりの、そんな噓のような常識が頭を過った。
果たして、恐るおそる尋ねた俺の問いに対するニアの答えは、
「そりゃもう―――オリンピックばりに、ね」
予想を遥かに超える規模で、俺の心をぶん殴って来たのだった。
◇◆◇◆◇
「―――あれ、長々と何してるのかと思えば……もう仕上げたのかい?」
十数分後。改めて照明を点けた工房でアレコレとやり取りをした末に、俺とニアはカグラさんを待たせていた部屋へと戻って来た。
驚いたように此方を見てくるカグラさんの視線の向かう先は、俺の後頭部―――正確には、そこに括り付けられている髪紐である。
結論から言うと、俺は出来る限り現実の姿とアバターを遠ざけるために印象操作を余儀なくされた。
大々的に現実世界へとその様子が放送される『四柱戦争』に参戦し、あまつさえある程度目立つ事を目指すというのならばお茶の間に顔を晒す事は確定事項。
そしてほぼリアルフェイスそのままの俺がそれをやらかした場合、待ち受けるのは純然たる「リアルバレ」の惨事ただ一つである。
現実で有名人になるのが嫌かどうか以前に、そもそも自分の顔が大々的にテレビなんかで晒される事自体に覚悟も何も出来ていないのだ。
もしこのまま自己強化が順調に進み、スムーズな流れで四柱戦争に参戦&活躍という理想的な運びとなった場合、俺のメンタルもスムーズな流れで死ぬ事となる。
という事情から、レッツニアチャンプロデュース。
人は瞳の色や髪型なんかが違うだけで驚くほどイメージが変わるのだ―――的な事をなんかやたら専門的なノリで語りだした藍色娘に従って、俺は彼女から専用のスタイリストアイテムなんかをレンタルして髪を弄ることにした。
色味自体は黒のままだが、若干色調を落として灰色寄りの薄黒に変更。加えて現実より僅かに長くしていた髪を更に伸ばし、下端で纏めて邪魔にならない程度の尻尾にした。
正直、髪を縛るなんて生まれてこのかた経験が無かったためクソ恥ずかしい。大丈夫かよこれ恥の擬人化みたいになってないだろうな……
そしてそこにピタリと嵌まり込んだのが、そもそも此処へ足を運んだ目的であった【紅緋の兎飾り】―――飾り紐や留め具で見事な『髪飾り』として生まれ変わった、紅玉兎の宝飾である。
「成程、そうなったか。わりと似合ってるよ」
「マジで言ってる……?」
何の気なしといった具合のお言葉を頂戴するが、俺としては完全なる疑心暗鬼。簡単な形とはいえ縛った上に髪飾りって……これ男がやって許されるファッションなのか?
「もー、ちょっとは信頼してよねぇ。ちゃんと男の子が身に着けても映えるようにデザインしましたぁ!」
「そうは言ってもだな……」
自信が無さ過ぎて、心做しか背筋まで曲がり始めた気がする。
「気にし過ぎだよ。オッサンみたいな顔でツインテールにしてるような男と比べたら何でもないだろうに」
「そうそう。ゴリゴリマッチョでハーフアップにしてるような男と比べたらお洒落の範疇だってば」
「何だよそのバケモノどもは……」
比較対象が極端すぎて草も生えない。
「ほ・ん・と・に!だぁーいじょうぶだってば!せっかく格好良いんだから自信持ちなって!」
「フツメン捕まえてなに言ってんだコイツは」
新手の煽りかな?
「そんな事より、結局そっちは完成って事で良いんだね?折角だからどんなもんか見せとくれ」
「そんな事……まあ、うん。あ、良いよな?」
頷いて後頭部を差し出しかけて、一応製作者であるニアにも確認を取る。
何故かまたふくれっ面になっている細工師は「どーぞお好きに」などと投げやりに言って、不機嫌アピールを隠そうともせずそっぽを向く。
おい何故いきなり拗ねた。何に対してのどういう感情なの?
「んじゃ、失礼するよ」
ともあれ、改めて首を捻りカグラさんに髪飾りを差し出す。紅緋に輝く宝飾を彼女が指先でタップすると、俺も一度は目を通した詳細ウィンドウが展開した。
【紅玉兎の髪飾り】装飾品:髪飾り MID+150 ※譲渡不可
紅玉兎の加護を宿した髪飾り。不滅の祈りは宝飾を身に着ける者に守護を授け、死の運命を遠ざける。
「―――コイ、ツは、また……」
言葉を失い乾いた笑いを浮かべるカグラさんは、数分前の俺とニアの焼き直し。
相変わらずのフレーバーテキストオンリー。しかしながらプレイヤーであれば、装備品に秘められた効果は触れる事で理解する事が出来る。
ニアの手によって明確にアクセサリーとしてその効力を発揮したコイツの効果は、以下の通りだ。
【紅玉兎の髪飾り】
・戦闘時に装備者が致命的なダメージを負った際、一度に限りこれを無効化する。
・効果発動時、この装備品は『破損』する。
・戦闘終了時に『破損』状態である場合、この装備品は修復される。
・『破損』状態時、特殊効果『決死紅』を獲得。
・『決死紅』―――装備者の精神を等分した値を、敏捷及び器用の値に加算する。
「流石に……お目に掛かったことの無いレベルの怪物だね」
「細工師の腕が良かったんじゃないかな」
「凄いのはニアちゃんじゃなくて、そのオバケみたいな宝石ちゃんですぅー」
本格的にヘソを曲げているコイツは本当に何なの?
折角のフォローも蹴飛ばしてくる訳の分からない藍色娘は置いといて、今はこのオバケの方へ注目していこう。
この装備の何がヤバいって、書いてある事が全部ヤバいのがもうヤバい。頭悪い感想しか出てこないが、実際に頭の悪い性能を誇っているのだから仕方ない。
とりあえず……なんかもう当たり前のように記されているが、MID+150は単純計算で15レベル分のステータスブーストである。
【螺旋の紅輪】の+100と併せて、これで実に25レベル分の加算。アクセ二つ付けるだけで実質Lv.125とか馬鹿じゃねえの?
そしてお次はメイン効果である『致死無効』だが、早い話が「ふんばり」とか「くいしばり」とか「根性」的な代物である。類似効果はアルカディア内に今のところ存在しないらしく、現状唯一無二の性能との事。
コイツがまた細かい性能面でおかしな事になっており、まずは発動条件がメチャクチャ緩い点。満タンどころか一定以上の体力を維持する必要すらなく、HPが1でも残っていれば死亡判定が発生した瞬間に確定で発動するのである。
次に、正確なその効果が『死亡判定の要因を無視する』というものである点。
例えば真正面から鈍器なりなんなりで顔面をぶち抜かれて死亡判定が発生した場合、常識的に考えればこれを『無効化』するというなら「攻撃喰らって吹っ飛ばされたけどダメージは無し!死亡回避!」となりそうなもの。
けれどこの装備の『致死無効』はそんな生温い判定処理ではない。
文字通り、死亡要因の判定を消去する―――つまりは一撃に限り、あらゆる致命的な攻撃が俺のアバターを擦り抜けるという事だ。
頭おかしい。単純に考えて、タイマンで一撃必殺の技を打ち合った場合に確定勝ち出来るって事だぞ?真面目に意味が分からない。
更にはそんなぶっ壊れ効果を発動した先に待つ、『決死紅』とかいう本気なんだか冗談なんだか分からないネーミングの特殊効果。
これ、MIDの数値を振り分けるのかと思ったらそうではなかった。単純に、MIDと同値の追加ステータスをAGIとDEXに分けて加算するのだ。
つまりアクセ二種によるMIDの加算分+250は据え置きで、更にステータス二種にそれぞれ+125ポイント―――セルフLv.150とかもうチート呼ばわりされても反論出来ないんだが?
仮に『決死紅』発動状態でソラの《天秤の詠歌》による支援を受けたら、ステータス合計Lv.180相当のバケモノが誕生する事になるわけで……
「あのさぁ」
「なんだい?」
「これ普通にプレイヤーが使って大丈夫なやつ?」
考える事を放棄して気の抜けた問いを投げかけた俺に、カグラさんはフッとにこやかに笑って見せると―――
「何かの間違いで垢BANされても、弁護はしてやるよ」
そんな恐ろしい事を宣うのだった。
―――ニアちゃん?君はいつまで何に対して拗ねてんの?
実は照屋なお姉さん。頑張って褒めたのをスルーされた挙句、先輩相手には素直な態度の違いを見せつけられて勝手に拗ねる。
分かるわけないでしょ?
ユニーク品とはいえ壊し過ぎでは?というお声が予想できるので一言。
誰相手を想定かは言いませんが現状でも全く足りません、まだボコられます。