常識インストール
「切り替えていこう」
憎しみに溺れた俺は二十秒前に死んだ。新生俺はクリーンな気持ちで生きていこうと思う。
何はともあれ、大収穫ってか超収穫と言っても過言ではない望外の戦果だ。ユニーク報酬しかり、神スキルしかり……先理眼のMP馬鹿食いは対策を考えないとな。効果時間十秒弱でMP全損って燃費悪いとかいうレベルじゃねえぞ。
ちなみに指輪を外してMID:0で起動したら五秒持たなかった。精神力って偉大だったんだね……
死亡してダンジョン入口に戻された俺は、見慣れたリスポーン地点を眺めながら深く息を吐く。なんというか、最後に盛大に馬鹿をやってようやく気が抜けた気持ちだ。二日間と少しよく頑張ったよ、おつかれ俺……
「そして次の仕事だ俺」
齢十八にして社畜の心構えは備えている。やるべき事があるならば身体を休める事は許されない、心を燃料に体を燃やして突き進めカンパニースレイヴッ!!
……アホな事やってないでサクッと行こうか。素材集めの時間だ。
右手に嵌めた【螺旋の紅輪】を確かめて、左手には【白欠の直剣】をスタンバイ。意識を切り替えてギアに火を入れた俺は、もう何度目とも知れない兎の楽園へと足を踏み入れていった。
◇◆◇◆◇
数時間後、俺はとある場所に出頭させられていた。
小洒落たバーカウンターに、閑散とした店内。そしてやたら無口な初老のNPC店主……つまりはいつもの酒場。
そしてこの場所に俺を呼び出す人物といえば、決まってこの人―――一昨日ぶりのカグラさんである。
あの後ひたすら素材集めに夢中になっていた俺の元に、一通のメッセージが届いたのが数分前の事。
『いつもの酒場。今すぐ』
などと死ぬほど端的な呼び出し文に恐怖を抱いた俺は、即座に作業を切り上げて再びゴール地点まで直行。設置されていた転移門からホームとして更新しておいた『セーフエリア』へと飛び、そこから更に転移門を経由してイスティアの街に舞い戻ったのだが―――
「―――ふっ……!く、くふふっ……!!」
何やらお怒りかと思われた当の魔工師殿は、とんでもない上機嫌で俺を迎え入れたかと思えば……件の【螺旋の紅塔】においてのリザルトを報告するに至り、現在はカウンターに突っ伏して笑いを抑えるのに必死なご様子だった。
「もう―――アンタ、もうほんとにっ……最高だよ……ふ、く……っ!!」
「そんなに笑いますぅ?」
一週間後という約束を前倒しにして再会した魔工師殿のそんな様子に、何か叱られるのかと身構えていた俺は拍子抜けして頬杖を突く。
「はぁ……これが笑わずにいられるかって。世間はもう『攻略者は一体誰だ』って阿鼻叫喚の大騒ぎだよ?これ、間違い無くリアルでもニュースが組まれ―――」
「ちょっと待って?」
いや俺、今さっきカグラさんに伝えた以外にクリア報告なんてしてないんだが?
「なんでもう周知されてんの?」
「なんでって……あぁ、これも知らないのか」
困惑する俺に一度首を傾げた彼女は、すぐに「得心がいった」と頷いて見せる。
「未攻略ダンジョンはね、初めて踏破された際に目立つ演出があるのさ。ダンジョン全体が発光して、空に向かって赤い光が塔のように放たれるんだよ」
みんな『祝砲』って呼んでるけどねと、カグラさんは上機嫌継続中だが……ていうか、なに?さっきリアルでニュースがどうたら言ってませんでした?
「いや、まあ、理解したけど……ニュースだなんだは大袈裟でしょ?」
流石にそれは冗談キツいぜハハハと笑って見せると―――え、なに、嫌だやめて。このタイミングでそんな真顔なんて見たくないやめて!!
「無知だ無知だとは思ってたけど……アンタ、テレビとかネットとか全く見ない人間なのかい?流石に世間の風潮に疎過ぎやしないかね」
三年ほど一切の情報媒体を断ってました、とは言えないので無言で顔を背ける。言わずともその反応で何となくは察したのだろう、カグラさんは「一周回って面白い」とばかり愉快そうに笑った。
「大袈裟でも何でもない。テレビでもネットでもニュースになるのは間違いないし、あらゆる媒体で特集が組まれるのも確実だろうよ」
「う、ウソだ……いくら唯一の仮想世界だからって、たかがゲームの中の出来事でそんな……」
「あぁ、今のでようやくアンタの理解が根本的にズレてるのを確信したよ」
戦慄を浮かべる俺の顔をマジマジと見やる彼女は、面白がる様子をいっそう強めながら言う。
「始まりの日からずっと、この世界はたかがゲームなんかじゃないのさ」
「―――吞み込めたかい?」
「……………………うん」
長きに渡る一般常識のレクチャーは、凡そ一時間程かかっただろうか。三年前の時点で凍結していた俺の常識という常識は破壊し尽くされ、出来上がったのは呆然自失の馬鹿一名。
カルチャーショックなんて表現では生温い絶大の衝撃を受けて、俺は間違いなく生涯で最高レベルの動揺に震えていた。
何に一番動揺したって……いやもう一番も二番もないくらい、何もかもに脳天をぶん殴られ続けたようなアレだったけどさ……
「アルカディアのトップランカーが……現実世界のなりたい職業ぶっちぎりとか……」
「まぁ、文字通り遊んで暮らせる地位には間違いないからね」
そもそもまず『職業』として扱われている事に驚愕なんだが?
「仮想世界の情報発信番組が……国を問わず世界中でゴールデンタイムを席巻してるとか……」
「例え傍から見るだけでも、比類の無い娯楽であることは間違いないからね」
異世界中継みたいなものと考えれば分からなくもないけどさぁ……?
「挙句の果てには……日本が、何だって?」
「国際指定不可侵条約保護国家―――……だったかな?まぁ、世界で一番偉い国になっちまったのは、事実だね」
もうほんと、もう―――
ここはどこの世界線だ?
というか、よくもまあそんな天変地異の如く世界が激動する三年で無知を貫けたな俺?
「アタシがいちいちアンタの無知に驚いてた理由は、いい加減わかっただろう?」
「そりゃ、まあ、そうだよな……」
今の総理大臣だれだっけ?とかいうレベルの無知では済まされない。まさしく世界が変わった、そういう規模のお話である。
「流石にここまでとなると、アンタも何か事情があったんだろう?深くは聞かないけど、これから表舞台に立とうってんだから少しは調べ直しとくんだね」
全くもってその通り、ぐうの音も出ない。
と、そんな風に呆然としていた俺は、ともすれば消沈しているようにも見えたのかもしれない。空気を切り替えるようにパシンと一つ拍子を打つと、カグラさんは「そんな事より」とわざとらしく明るい声で切り出した。
「辛気臭い面してる場合かい?せっかく山程の戦果を持ち帰ったんだ、楽しい話をしようじゃないか」
そう言って笑う彼女の振る舞いは、ショックに震える俺の気を紛らわせるためのものである事は明白で―――荒っぽいロールプレイしてるけど、やっぱ気遣いの人だよなこの人……
主人公傷心につき、現実世界のアレコレに本格的に目を向けるのはもう少し先のお話。
ちなみに「国際指定不可侵条約保護国家」は地味に名称間違ってますよ姐さん。
コイツここまで世情に疎くてどうやって大学受験とかパスしたの?という至極まっとうな疑問に対する解答は暫し先。今はスルーしてお待ち下さいませ……